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自分が「映像重視」であることを自覚した話

※2500字以上の記事です。
 お時間のある時に
 お付き合いいただけると嬉しいです。

今でこそ、映画やドラマに関して、
自分が「映像重視」であることを
自覚していますが、

昔は、そうでもなかったかもしれないし、
いつの間にかそんな風に
なっていました。

この記事では、私がどういう時に
自分が「映像重視」であることを
自覚したのか記事にします。

ちなみに、この話は妻以外の人に
したことがありません。

こんなことを話す機会もないですし、
人に引かれたら嫌だなぁと思い、
自分の胸の中に
ずっとしまっている話なんです。

今回は特別に有料記事として、
その話をここに書きます。

「読みたい」と思った方は、
ぜひご購入ください。

でも、恥ずかしいので、
他の人には内緒ですよ(笑)


私は子どもの頃から
テレビが大好きなテレビっ子で、
いろいろ観ていました。

アニメも好きでしたし、
バラエティも結構観ていましたね。

そして、両親が
映画好きだったのもあって、
おもにビデオですが、

小さい頃から映画も
いろいろ見せてもらいました。

その頃の私が観た映画というのは、
大体、親が選んだものを
一緒に観る感じでしたね。

自分で観たい映画を
選んで観るようになったのは、
高校生くらいからです。

それでも、その頃に自分で
レンタルで借りる本数というのは、
たかが知れていて、

年に何本借りるかどうか
という感じだったと思います。

高校を卒業して、社会人になると、
一人で映画館に行くようになったり、
自宅でも観たい映画は自分で
借りるようになりました。

今の自分と同じで、
古いものも新しいものも
邦画も洋画もいろいろ観るように
なったんですね。

その頃に観たもので、
自分がもっとも影響を受けたのは、
ヒッチコックだったり、
コーエン兄弟だったりします。

彼らが作っていたような
凝ったタイプの映像に
触れることによって、

私の映像に対する感性は
一段と高くなった気がします。

しかし、当時は自覚がありませんでした。

なぜならば、テレビにしても、
映画にしても、
自分が好きなものを選んで
観ているだけだからです。

やがて、妻と同棲するようになり、
今度は自分の好きなものだけでなく、
妻が好きな映画やドラマも
観るようになりました。

これも私の中では大きな出来事でした。

というのも、私はドラマを
そんなにたくさん観ていなかったので、
妻の影響がなければ、

今みたいにドラマを
たくさん観ることはなかった
と思うんです。

ドラマを観るようになって感じたのは、
映画とドラマの映像の作り方の
違いでした。

映画は割と観客に
「理解すること」を求める
映像になっています。

集中して観ないと、
理解できない作品も多いわけです。

一方で、テレビドラマは、
一部の視聴者をターゲットに
しているわけでもなく、

なるべく多くの人に
観てもらいたいという意図が
感じられます。

作り方が親切で、
映画に慣れていた私からすれば、
「それは親切すぎるだろう!」
と思うこともしばしばでした。

しかし、そんな私も
ドラマに慣れると、

ドラマの映像ならではの
おもしろさも見出すように
なっていきました。

映画とドラマでは、
映像の質感も、セリフ回しも、
音楽の使い方も違います。

そういう違いがわかってこそ、
それぞれの映像の魅力が
よりわかるんですよね。

一つのことしか知らないと、
その分野の本当の魅力は
わかりません。

その昔、映画評論家の
淀川長治氏が

「映画を評論するには、
 歌舞伎も舞台も、
 いろんなものを観ないとダメ」
と言っていたそうですが、

その真意はここにあると思います。

狭い範囲にとどまっていては、
ものごとを見る視点は
広がっていかないんです。

ここからが本題ですが、
私が自分が「映像重視なんだ」
と自覚したのは、

20代の後半になってからだった
と思います。

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