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知らなきゃハドソン~札幌に一大ゲームメーカーがあった時代~(2)小学校の先生が語った創業期のハドソン

※2019年11月1日に書いた記事に
 加筆修正をしたものです。

'80年代生まれの私にとって
ハドソンは有名なゲームメーカーの一つで、
子どもの頃から親しみがありました。

しかし、多くのゲームメーカーは
「本州にある会社」というイメージで、
子どもながらに地元・札幌に本社があった
ハドソンは異質な存在にも感じたものです。

ある時、どういうきっかけで
そういう話題になったのか
思い出せませんが、

小学校の先生が
ハドソンについて教えてくれました。

(ファミコンが全盛だった当時は、
「話の掴み」として学校の先生が
 ゲームの話をする機会が
 多かった気がする)

「ハドソンって、
 今は大きな会社になっているけど、
 先生が子どもの頃は町の小さな
 おもちゃ屋さんだったんだよ。
 先生も子どもの頃に行ったことがあるんだ」

そんなことをまったく
知らなかった私は
先生の話に驚きと感動を覚えたものです。

そして、ちょっぴり先生のことが
身近に感じることができたんですよね。

当たり前のことですが、
先生も今の自分たちのように
おもちゃ屋さんでおもちゃを買って
遊んでいた時代があったのかと。

この話を聞いたのが
小学校5年生の時でしたが、
('93年のこと)

任天堂もまたトランプや
花札を作っていた
玩具メーカーだったことを知るのは、
もう少し後のことだったような気がします。

学校の授業の内容は
ほとんど覚えていませんが、
先生が掴みに使った、
どうでもいい話はよく覚えていて、

「ハドソンは小さなおもちゃ屋さんだった」
というエピソードは
ずっと私の胸の引き出しにしまわれていました。

大人になってから色々調べてみると、
先生の言っていたことは
ちょっと違っていて、

ハドソンは創業時(’73年)、
アマチュア無線などを扱った
お店だったようです。

もしかすると、先生は私たちにも
わかりやすいように
「おもちゃ屋さん」
と言ったのかもしれません。

もしくは、創業者が
SL 好きだったそうなので、
蒸気機関の模型なんかも
置いていたのかもしれませんね。

ちなみに創業時の店名の「ハドソン」は
蒸気機関車 C62 の愛称からとったもので、
自ら撮影した SL の写真の販売も
していたようです。

函館本線で運行していた C62
(写真は京都鉄道博物館のもの
Wikipedia より引用)


【参考文献】
ハドソン公式HP HUDSON SOFT (archive.org)


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