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私の名前の由来

「いっき82」という名前は、
6年ほど前にブログをはじめた時に、
使いはじめたハンドルネームです。

「いっき」は本名をもじったものですが、
それだけだとハンドルネームが
被ることもあるだろうと思い、
生まれた西暦から「82」を加えました。

「82」は「はちじゅうに」と読みます。

「はちじゅうに」なんて変だ、
と思われる方もいるかもしれません。

しかし「直木賞」の由来にもなっている、
直木三十五(なおき さんじゅうご)
という作家さんもいたので、
変ではありません。
(これは後付け。
直木三十五のことはよく知りません)

私はこのハンドルネームも
自分の本名もなかなか気に入っています。

本名の方は「いい名前だね」
と言われることも多いです。

実は、当初、私の名前は、
ハンドルネームと同じ
「いっき」になりそうだった
ということを母から聞いていました。

その「いっき」が、
何に由来していたかというと、
マンガ原作者の梶原一騎でした。

若い方は、ご存知ないでしょうが、
彼はマンガの絵は描かなかったものの、
日本のマンガ界で手塚治虫に並ぶほどの
貢献を果たした作家と言っても、
過言ではないでしょう。

彼が原作を手掛けたおもなマンガを
以下に挙げます。

他にも有名な作品はありますが、
ここに挙げた作品はいずれも
日本のマンガ史に欠かせない作品ばかりです。

これらの作品のアイディアを
同じ人が考えたんですよ。
すごいと思いませんか。

私が先ほど、梶原一騎のことを
手塚治虫に並ぶほど、
マンガ界に貢献を果たした作家
と言いました。

それは、上記のような、
たくさんのヒット作を出したから
ということだけで、
言っているのではありません。

それは彼が原作者として、
「スポーツマンガ」を定着させたからです。

彼がマンガ原作者として、
活動していたのは、
‘60〜’80年代のことです。

もしもその時代に彼がいなかったら、
スポーツマンガが定着することも
なかったかもしれません。

スポーツは、マンガの神様と言われる
手塚治虫が苦手とするジャンルでした。

『巨人の星』がヒットした時も、
手塚治虫は
「これのどこがおもしろいんだろう?」
と周囲の人に聞いていたと言われています。

なおかつ、梶原一騎は、
もともとマンガ原作者を
目指していたわけではなく、
文学作家を目指していました。

たまたま、デビューしたのが、
少年誌だっただけなんです。
(やはりスポーツものの小説を書いていた)

本人としては、マンガ原作者になったことが
不本意な面もあったことでしょう。

しかし、彼はマンガのストーリーを考える
「原作者」というポジションも確立させたのです。

梶原一騎が出てくるまで、
日本のマンガ界では、
絵もストーリーも
一人で手がけるスタイルが一般的でした。

これはたまたま、
パイオニアである手塚治虫が
絵もストーリーも
一人で作ることのできる
多才な人だったからです。

例えば、アメコミなんかは、
完全に分業制で、
絵とストーリーは
別の人が担当するのが一般的です。

そもそも、絵を描く才能と
ストーリーを考える才能は、
本来、別物ですから、
当たり前の話ですね。

「スポーツマンガを定着させた」
「マンガ原作者のポジションを確立した」
梶原一騎の二つの功績が、
日本のマンガの多様性に
かなり貢献しているのではないでしょうか。

と、偉そうに語ってきましたが、
実は、私は梶原一騎の作品を
まだ一度も読んだことがありません^^;
(えっーーー!)

自分の名前に由来する作家として、
親近感があるので、
いつか読んでみたいです。

小さい頃にマンガ家になることを
夢見たのも私の名前が
梶原一騎に由来することと、
無縁ではない気がします。

今日は私の名前の由来にちなみ、
梶原一騎について書いてみました。

みなさんの名前の由来も
ぜひ聞かせてください。

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