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真実は一つ。あるのは、無数のストーリーと解釈。

我が家は3歳の娘が一人。

私は出かけるのが好きで、一人でもフラフラといくタイプ。そして一人時間がすごく欲しい人でもある。最近娘がお昼寝をしなくなったことについて、ちょっとばかり、悲しいのである。お昼寝のタイミングを計らって本を読んだり、書いたり、考えたり出来るから。

先日娘と友人二人で、電車で30分くらいなのだが、神保町の駅で待ち合わせをした。友人二人も子どもがいて、その中には同い年の子が一人いる。

私はいつもの通りベビーカーで行くことに。すると、、生き慣れない神保町。有楽町で乗り換えたのが始まりで、、、地上から地下鉄に乗り換えなくてはならず、エレベーターがすんなり見つからない。そして待ち合わせの時間を考えたら、もたもたしている時間はない。ということで、私は、遭遇する階段、、階段、、階段、、階段、、全ての階段で、娘を担いだ。その間、こんなことがあると娘はとにかく私を応援することになっている。

「マーマーがんばーれ!マーマーがんばーれ!(拍手付)」

そして、神保町の駅までヘトヘトになって子ども付きで友人二人と落ち合うと、、、全員歩いていたのである!!どちらの友人もベビーカーで来たと思っていて、二人とも私と同じようにベビーカーを担いでここまでたどり着いたとばかり思っていた。

私がベビーカーで娘を連れまわすのは、娘が歩くのが遅いと嫌、普段から歩きたがらないのに14kgの3歳娘から出先で抱っこせがまれたらしんど!、もしお昼寝なんぞしたらずっと抱っこなんか無理!そんな事情があり、私はこれまで迷わずベビーカーで3歳娘を連れまわしていた。そう、私の都合で。

でも、同じくらいの年齢の子どもがママに手を引かれ歩いて電車を乗り継いできた姿を見て、あぁ~歩く機会を失わせていたのは、この私だったかもしれないな。もしかしたら、ベビーカーに乗せてばかりだったから歩きたがらなかったのかもしれない。

抱っこ星人で困る娘、というストーリーとは別の、私の都合で歩かない娘、というストーリーが生まれた。

ぶっちゃけ、どちらが真実かは知らない。どちらも「かもしれない」ということでしかないのだけど、一つのストーリーしか見えていない時と比べると「困る娘」度合いはグンと低くなるのを感じた。

真実は一つ。あるのは、無数のストーリーである。無数の解釈である。

見る角度を変えれば、見ている景色は変えた角度分だけ、新しいストーリーが現れてくれる。

それ以来、手をつないで歩いて出かけることが増えたのである。ありがたき、幸せ。

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なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。