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大切なものを大切に出来ない、それが一番悲しい。

忘れないために今日は書く。

昨日も心が揺さぶられるものに触れてきた。


昨日は雨だったのもあり、午前中は3歳娘と家にあるものでこれまでとは違う遊びを思いついたりしていた。実は、最近娘が言うこと。「おやすみのひは、ゆっくり いえに いたいよねぇ~」って。家ばっかりにいるとウズウズしてくる私には「え~~~」となる言葉。昨日もそんなことがあったので、出かけるのをどうしようかと思っていたが、午前中遊びきった後、「ご飯食べたら、電車で出かけようか~?」と提案したら、なんなく娘からOKがでた!昼寝もしそうだから、小雨だけど帰ってくる頃には雨も止んでる、ベビーカーで出かけよう!さっさと外に出た。


行先はこちらだ。


NPO法人バブリング主催の《イチゼロイチイチ・わたしのなかのグレー展》へ行ってきた。

世の中には、黒か白、
はっきりできないものがたくさんあります。
どこから家族なのか。
男と女との違いは。
罪とはなにか。
優しさとはなにか。
境界線をつくって、物事を簡単に判断することは、人間が生きていくうえで身につけた知恵かもしれません。
ただ、境界線によってうまれた生きづらさもあります。
白か黒か、はっきりできない自分の中の"グレー"。
それに気づくことで、周りの人、そして自分を見つめる余白が生まれます。その余白こそが、誰かのカミングアウトを受け入れ、
強く寛容な社会につながっていくと、私たちは考えています。

NPO法人バブリングについてはこちら↓


娘の都合もあり、たまたま午後のトークセッションから「触れる」ことになった。そのテーマは罪。いわゆる犯罪。

正直、私にはあまり関係のない「異」なるものという印象のもの。だが、今の私にはこの「異」なるものに触れる時に揺さぶられる感覚が病みつきなのであるwそういう意味では自分の中にはないテーマだったのでちょっとソワソワしていた。なんとなく男性の方が多いような気もしたし。


昨日は何に心揺さぶられたか。やはり「かなしみ」だった。犯罪の裏には必ずと言って良いほど「かなしみ」があるということだった。犯罪者のほとんど、100%と言って良いほど、子どもの頃に性暴力や暴力を受けている被害者だったと言う。衝撃だった。


だからと言って犯罪を犯して良い訳はない。暴力の被害者である人すべてが犯罪者になるわけではない。その境目は何なのか。ある人は人との絆があれば、ある人は相談できる人がいれば、犯罪の抑止力になったのではないかという。そしてもう一つ、感情のコントロールだ。子どもの頃から感情を上手に表現できなかったこと、それが大きいのではないかと、という話も出た。


喜怒哀楽。感情はやはり人生に彩りを与えてくれるものだ。感情を抑えていることはやはり人生に色を失っていくような気がする。自分の感情は彩りと言うほどキレイなものじゃないと思う人がいるかもしれないけど、怒りも悲しみもやはり美しいと思う。ただし、それに支配されない、移ろいやすい感情が安心して着地できる「心」、自分の感情の裏にある本音を自分で抱きしめられる「心」があれば、感情はいつも自分の味方である。


時々、その心を休めるために、同じような経験をしている人、同じように感じる立場の人と話をしたらいい。自分の感情を抱きしめられないのは、本音が出てくるまで感情の上部にある喜怒哀楽の部分を出し切っていないように思う。吐き出す。


SNSにはトークセッションの人物の名前写真は出さないで下さいと言われたので(リンク内には載ってるけど)ここには載せないが、彼の活動の源は何か?をハッキリさせたかったので、質問した。


犯罪をなくしたいから?犯罪者の悲しみを知って欲しいから?自分の犯した罪を償うため?


優しい目で言われた。

「加害者側から言えば、大事にしたいものを、大事に出来なくなるという自由を奪われる、それが犯罪。だから犯罪に手を染めて欲しくない。」


今回「触れた」のは犯罪という極端なテーマではあったが、本質はなんら変わらない。


子ども、パートナー、家族、生き甲斐、仲間、じぶん。時間、お金も。


大切なものを大切に出来ない、それが不自由であること。それが一番悲しいことのように思う。


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