「面白がること」がごきげんに生きるこつかも
ネガティブで終わりにしたらがっかりすると思って。。。
あぁ、、、相手を信頼していなかった。
そして、ネガティブなのはいかん!という認識をまだまだ持っているという現れでもあった。
対話イベントを主宰する地域活動をしているのだが、その際、一部会をリードすることがある。
私はなんとなく、暗く?重く?深刻に?伝わってしまう傾向が(まだ)ある(これからの伸びしろ!)。それが、結果、怖い・優しくない・否定的みたいにに(まだ)伝わったりしてることはあるのかなと思っている(これも伸びしろ)。
そして、そう伝わることを恐れてもいる。結構いつも。
口を開けば正当なことばかり言って、誰かを傷付けてやしないかと。
ごきげんに生きるということは、
非常にニュートラルに生きる事だと思う。
移ろいやすい感情が安心して着地できる「心」を育みたい。
ここでは、ネガティブになるのがUnHAPPYなのじゃなく、HAPPYだけを並べるのがポジティブなのじゃなく、喜怒哀楽な感情は人生を彩る動きのある現象。その現象を受け止める心はいつも静かでありたい、ニュートラルでありたい、それが、ごきげんに生きる、ということだと言いたかった。
こんなことを自分で言っていながら(いいこと言ってると思うけど)、自分が口を開くときは、ネガティブさを歓迎していない自分がいた。
「ネガティブになりたくない!」「ネガティブでありたたい!」と思い・願う時点でポジティブな自分はいないし、ネガティブである自分を認め、ネガティブな自分しか現れていないということ。
ネガティブな人間はポジティブになりたいと願うし、ポジティブな人間もネガティブにはなりたくないと願うだろう。
どちらの人間もネガティブを嫌う人間しか現れていない。
そうやって分けてることが、自分を苦しめてる。
「今日はいい日だった。」「今日は最悪な日だった。」
そうじゃなく、
「今日はめっちゃいい日だった。」「今日はただのいい日だった。」
いい日しかないのだ。
「自分が口を開くときは、ネガティブさを歓迎していない自分」、こんな自分が口を開く時、もれなく自分からネガティブさがどこかで伝わるということだ。
開き直って諦めるのじゃなく、「無い」ということを愛し、不足を愛し、満ち足りていないことを愛す。丸っと愛す。ここ、ひらったくしか言えないな。まだ。(開き直ってたな今まで。。。そして諦めない、その反対は…)
もうこうなったら、自分の周り全てで起こることを面白がるしかないのである。
終わりをどうすればいいか分からなくなって来たので、、終わり。
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なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。