愛に溢れる

期待すること自体は愛に溢れていた件

誰かに、期待をしそうになった瞬間、それは止めた方が良い。私たちは、知れば知るほど、相手に期待するようになっていると思う。


チュートリアルの徳井さんの東京国税局に所得隠し・申告漏れを指摘されたスキャンダルも、知った時は、なんだかがっかりした自分がいた。あんなに頑張って、面白くて、テレビで見ない日はない人になるまでには、ながーーい下積み時代があったろうに、、、なのに、スキャンダル起こしちゃって、、、しかも、「想像を絶するルーズさ」とか言ってしまった時には、「あ~あ・・・」と私は思ってしまった。


有名人にでさえ、期待している訳だ。


とまぁ、、、ちょっと遠い存在にする期待はそれほど自分を傷付けはしないからいいとして、、、近い存在に期待すればするほど、期待外れだった時にがっかりしたり、傷付くのは自分だ。じぶんが大切に思っている事、大事だと思っている事、優先したいと思っている事、それが相手と違ったり、相手が違う行動をしたりした時、期待は裏切られる。


だから、そうならないために、「諦める」というフェーズにはいる。


でも諦めても、相手の行動をスルー出来るだけで、相手との関係が大いに変わるわけじゃないのが現実な気がする。


この「諦める」という行為を、良くパートナーシップの話をするときに良く耳にしていた。その度に私は違和感を抱いていた。大切に思っている相手なのに、一番近くにいる相手なのに、その相手が諦める対象って、、悲しくないのかなぁって、、、しかも笑って話していたりすると、違和感はMaxで、本当は大切に思いたいのに、それを笑ってごまかしているみたいに見えた。


でもこの諦める対象が、本当は夫じゃなかったことが、、、昨日のnoteを投稿しようとしたときに気付いたのだった。


期待をするからガッカリしてしまう。
だから、諦めて期待することを止める。
私もそうだった。じぶんに対して。
  
 
期待は自分の持っている価値観から湧き出る
反応みたいなものだから
諦めて期待することを止めることは
自分の価値観を無視することと同じ
じゃないだろうか。
 
 
それって、自分を大切に出来ているだろうか??


諦めているのは、、、「相手を」「夫を」じゃなく、まさに「自分の価値観」だったこと。自分が大事なものを相手との間にはテーブルにさえ上げないということ。


これは、自分の価値観を相手の前では捨てると同じ様な事。夫の前ならば、本当は大切にしたい人であり愛する人の前で自分の価値観を捨てている訳だ。だから妻たちは辛くなる。


とは言え、自分の価値観を捨てずに大切にするためには、自分の価値観を相手に押し付けることではない。あくまで、自分の価値観を大切にするのは究極は自分一人でいいということだ。全ての価値観が相手と同じなんて相手は存在しない。愛し合っても、結婚しても、家族になっても、生んだ子どもだとしてもだ。


「私はこれを大切にしているんだ。あなたにも大切にして欲しいとは思うけど、、、あなたの大切にしているものもあるよね。だから自分で大切にするね。」と。一人は時に寂しい時もあるかもしれないけどね。でも、これが現実とも思うの。(私は孤独だというアイデンティティを私が持っているのはこの辺りから来てる。)

 
だから、自分の価値観から来る期待は相手にかけるモノじゃなく、自分で大切にするモノだったのだ。


期待は相手にかけるモノじゃなく
ただただ自分を構成している大切な自分のモノでいい。


究極自分のモノでいい。


でも、愛した相手なら、いとしい相手なら、共にしたいともうから、同じ気持ちでいて欲しいから、期待してしまうのだろうね、、、だから、期待自体は愛に溢れていると思う。期待するということは、そこに愛がある証拠でもあると思う。


「期待」の気持ちを抱くこと自体は悪じゃない。「期待」と「期待すること」を区別する事ですな。



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