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一昨日、娘と寝落ちて寝ていると、夫が帰って来たのに気付いた。気付いた時には夫はイラっとしていた。


夫はいわゆるONとOFFを見事にする人なので、OFFにならずに家に帰ってくると、だいたい分かる。


一昨日は、ここでは伏せるが、本当に些細なことでイラっとしていたようだった。そして昨日の夜、その些細なきっかけでスイッチが入ったことを謝っていた。そして、どうしてだろう??と話し合った。


極論、愛して、好きで、理解して、分かり合って結婚した相手だから、だからこそ、自分が大切にしているものを相手にも同じように大切にして欲しいのである。


そうは見えない様子や行動を見ると、イラっとする。これは感情だ。これを出さないことは、とてもストレスなことだ。ただ、そのまま表現すると良質なコミュニケーションがとれない。だから、感情を抑えて殺すことがある。感情という「本音」に蓋をするときだ。これを続けていると、無感情になる。これこそ人としておかしくなる。


だから、抑えて殺すくらいなら、出していた方がましではあるけど、その代償はある。


ただ、その感情の裏には、自分が大切にして欲しいものを相手が大切にしてくれない「悲しさ」がある。これは「本音の裏」である。


そして、思う。ここをみんな見逃している。目の前にいる、イラっとする相手は・同じように自分の大切なモノを大切にして欲しい相手は、イコール、自分が大切にしている相手だということを。大切にしたい思い、ここに愛があるということを。


大切にしている相手に大切にして欲しいだけなのだ。愛している相手に愛して欲しいだけなのだ。それは、自分も相手を愛しているから。愛している相手がいる自分を愛したいのだ。


自分へも、相手へも、愛がある。これが、「本音の本音」である。


「本音の本音」はいつも優しい。愛で溢れている。これを見逃している。



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なかなか変われない…それって自分自身のせいじゃなくて、捉え方を変えたら今から変われるもの。そんな言葉を文章で伝えたい。最後はやっぱり自分と向き合い切るかにたどり着くから、その強さを持つ人になりたい。