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トマト農家として独立に向け奮闘中!移住するなら子どもが産まれたこのタイミングしかないと思った。

どう生きたいかを考えた答えがここ、日高村だった。
『こいつ本気でここでやっていくんだな』って
おっちゃんたちに認められたのは、軽トラを買った時。

三好諒さん 

高知県日高村の地域おこし協力隊3年目。東京から縁もゆかりもなかった高知県日高村に、家族3人で移住をするという大きな決断をした三好さん。協力隊になる前は、青果市場の仲卸会社の営業として働いていた。農業生産法人コスモスアグリサポートにてフルーツトマトの栽培研修を受け、現在は独立に向けて奮闘中。

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Q:なぜ、地域おこし協力隊になったのですか?
A:ずっと興味があった移住、するならこのタイミングしかないと思いました。

「協力隊になる前は、青果市場の仲卸会社の営業として働いていました。生産者に会いに行って現場を見て、実際に話を聞く機会が多かったんです。その中で、よく一般的に言われる”生産者の高齢化”を肌で感じて、本当に農業の現場ってそんな感じなんだなって思いました。それなら『自分が作る側に回るのもありなのかも』って考え始めました。

ちょうどその頃に子どもが生まれて、家族で住める家を建てようって、関東で場所を探していたんです。いろんな街を検討したけど、関東では一生暮らしていくビジョンがどうしても見えなくて…。住みたいと思うところがないんだったら、『いっそのこと関東から出ちゃおう!』ってなりました(笑)

移住にはもともと興味があったんです。きっかけは、妻の母親が埼玉県から福島県に移住したことでした。母親のところに遊びに行ったら『田舎に住むってめっちゃいいじゃん!』ってなって。福島は、昼はちゃんと暑くて、夜はちゃんと涼しいんです。『それって当たり前じゃない?』って思うようなことだけど、東京に住んでいるとコンクリートに囲まれているので外で過ごしていると昼も夜も暑くて、そんな小さなことさえも当たり前じゃなかった。
人や車が多くて常に騒がしい、東京のいろんなことを煩わしく感じていました。

移住はずっとしたいと思っていたし、農業にも興味がでてきて、子どもも産まれた。移住するならこのタイミングかなって思いました。それから、当時の仕事をやめて就農することと、移住することを本格的に考え始めました。」

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Q:数ある自治体の中から、なぜ日高村を選ばれたのですか?
A:とにかくいろんな条件にぴったりで理想的でした。

「最初に、すぐに実家に帰れる場所じゃないところが良いっていうのがあって。一回出たら絶対に帰りたくないって気持ちがあったんで、中途半端に関東に近いところじゃなくて、うんと遠いところにいきたかったんです。それでなんとなく”勘”で本州じゃなくて、四国がいいなって思いました(笑)

そんな中、東京の交通会館に高知から出張に来てた人たちの雰囲気がよかったこと、高知に親戚のいるママ友から『高知はすごくいいよ』って話を聞いたこと、当時の仕事で取引をしている中で、高知の野菜の信頼性がすごく高かったこと。いろんなことが重なって移住するなら高知かなって思うようになりました。

あと、『フルーツトマトでやっていきたい』っていうのがありました。トマトって野菜の中でも流通してる市場が太いんです。中でも特に価値の高いフルーツトマトなら将来的にもやっていけそうだなと思いました。フルーツトマトを栽培できるところで探していたところ、候補に出てきたのが”日高村”でした。

高知県日高村が、フルーツトマトの主要産地っていうのは仕事柄もともと知っていたんですけど、村自体がどんなところかって全然知らなかったので調べてみたんです。

汽車が通っていて村内に3つも駅がある。交通の便がよく、高知市内から遠くないため子どもが将来通える高校の選択肢も多いっていうのは、私たちとってかなり大きな決め手になりました。他にも、求めていたいろんな条件にぴったりで、移住するのに理想的だったので日高村に移住することを決断しました。」

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Q:三好さんは協力隊としてどのような活動をしていますか?
A:シュガートマトの栽培の研修を受けながら、自分のハウスの改修工事を進めています。

「今は、農業生産法人コスモスアグリサポートという農業協同組合の子会社から、“シュガートマト”の栽培の研修を受けています。“シュガートマト”とは全国でも屈指のフルーツトマトの産地である高知県日高村で誕生した高糖度のフルーツトマト。一般的なトマトは糖度4〜6程度なんですけど、“シュガートマト”はなんと糖度8度以上かつ、酸味と甘みのバランスなどの厳しい審査基準をクリアしたものを指しています。

実は、通常の大玉のトマトも、シュガートマトも全て苗の品種は一緒。育て方だけであんなに味も大きさ糖度も変わるんです。シュガートマトを育てる時に、どの程度の水をあげればいいのか、湿度をどう調整すればいいのかといったノウハウを教わっています。湿度ってすごく重要で、そういう知識がどんどんふえていくのは嬉しいですね。

研修を受けながら、同時に自分でもシュガートマトを栽培しましたが、全く知識がなかった1年目は水をあげる量や温度など、研修で教わったままやって、2年目は『もっとこうした方がいいよ』っていろんな人にアドバイスを聞いて改善しながらやりました。」

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「おまけに、トマトは育てる土も重要なんです。もともとの土地が田んぼなのか、畑なのかで土の状態や水はけの良さもちがってきます。だから、シュガートマトの栽培方法って生産者さんによってまったくちがうんですよね。研修で教わった通りにやっても、うまくいくとは限らない。何年か経験を積むことで、ようやく見えてくるんです。だから今は、たくさんの人たちからうまく育てるためのヒントをもらいながら、自分で考えたり、挑戦したりしながらトマトを育っています。

あと、今は独立後に使用するビニールハウスの改修工事を行っています。去年(2020)にちょうど、トマトの栽培をやめるからとハウスの貰い手を探している方がいたので、譲っていただいたんです。そのハウスのビニールの張り替えや、土の整備などを行っている最中です。」

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Q:シュガートマトを栽培していて嬉しい時はどんな時ですか?
A:自分がやってきたことが正しかったって証明される瞬間。

「トマトって、3ヶ月後にやったことの効果が反映されるんです。今、私がトマトに対してやっていることが、本当に良かったのかどうかは、3ヶ月後のトマトが採れた時にしかわからない。だからこそ、収穫したフルーツトマトが狙った糖度や味になっていたときは、自分がやってきたことが正しかったって証明される瞬間なので、やっぱり嬉しいです。」


Q:トマト農家として忙しい時期はありますか?
A:トマトの苗は人間と一緒。トマトがまだ赤ちゃんの時期は一番神経を使います。

「8月に定植してからの1ヶ月が大変です。人間の赤ちゃんと一緒で、最初が一番目が離せなくて、一番神経を使いますね。温度、湿度、水の量など、あらゆる面の管理に気を配っています。

で、そのトマトが育って、人間で言うと大体中学生くらいかな。その頃になると、どんな味のトマトになるかがほとんど決まっちゃうんです。成人になってからは人間の性格が変わりにくいように、トマトの味もほとんど変わりません。どういう木に育ったかでその年のトマトが甘くなるのか、たくさん採れるのか、全てが決まるので赤ちゃんから中学生くらいになるまでの時期が一番忙しいです。」

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Q:トマトの農家はどんな人に合いそうですか?
A:自分ひとりだけで農業やっていくのは無理なので、周りに上手に頼れることは一番大切です。

「自分は結構堅実派。いろんなひとに聞いて『みんな言うこと違うけど、間をとってこれなら安心だ』って方法でやりたい人なんです。一方で、『人に聞いていいなと思ったことはすぐやっちゃうんだよね〜』っていうトマト農家の友達もいます。どちらがいい悪いではなくて、トマトに真面目に向き合っているんです。農家にもいろんな人がいるので、どういう人に合うっていうのははっきり言えないですね。

でも、自分ひとりだけで農業やっていくのはどうやったって無理なので、周りに上手に頼れることが一番大切だと思います。人に聞いて、教えてもらって、助けてもらいながらやっていくと、やっぱりうまくいきやすいです。何かトマトに変化や異変があった時に、おおごとになる前に気づくことができるので、みんなが見守ってくれていると安全なんです。

あと、若い人の方がいいかなと思います。とにかく体力がいる仕事というのと、49歳までは給付金がもらえたり、そういう制度も活用しやすいので。

農家になりたい人にとっては、地域おこし協力隊の制度はぴったりだと思います。協力隊として安定した給料が出るうちに、3年間失敗しながらも模索ができる。実質4年目からの独立することになるので、リスクが少なく、自分も3年間やってきたという自信を持てた状態で就農できます。」

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Q:日高村で出会った人はどんな人ですか?
A:本気でやっている人に対して、助けてくれる人がたくさんいます。

「本気でやっている人に対して、助けてくれる人がたくさんいます。
私は気になることや確認したいことがあったら、とりあえずいろんな人に聞きに行って、いろんなことを周りの人に教えてもらいました。

最初は『東京から来てトマトやるっていってるよ〜』って感じだったんですけど、軽トラ買ってからは『こいつ本気でここでやっていくんだな』って認められた気がしますね(笑)徐々に自分の本気が伝わると、周りの農家さんからも気にかけてくれることも増えました。」

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「日高村ってトマトハウスが密集していて、農道を走るとズラーーーっとトマトハウスが並んでいて、その地域はトマト団地と呼ばれています。自分のハウスがそのトマト団地の”銀座”にみたいな、いわゆる中心地にあるんです。だからこそみんなに見てもらいやすいというか、ひとりで作業をしていたらスーッと入ってきて、『もっとこうした方がいいよ』ってアドバイスくれたり、『最近どう?』って声かけてくれます。周りの農家さんは、可愛がってくれるし、優しいし、いい意味でお節介な人が多いです。」


Q:日高村の魅力は何だと思いますか?
A:ちょっと行けば便利な市内にも行けて、ちょっと行けば川や山もあって、自然もある。

「生活しやすくてバランスがいいところが、日高村の最大の魅力だと思います。そんなふうにちょっと行けば便利な高知市内にも行けて、ちょっと行けば川や山もあって、自然もある。田舎暮らしだと、あまりイメージがないかもしれませんが、車でバイパスにのれば高知市内まで30分くらいで行けちゃうので、休みの日には子どもとイオンとかにも買い物に行きます。この前は、親子で映画を見に行きました。本当に生活しやすくて、ちょうどいい。」

Q.日高村で困ったことはありますか?
A.家族のように関わってくれるお隣さんに助けられています。

「移住してきて、周りに親戚がいない状態での子育てはしにくいかもしれません。
日高村ってみんな周りに親戚や幼馴染がいるので、核家族が多い都会と感覚が違うところがあって。例えば、保育園に『5時に迎えに来てください』って言われると、『仕事が終わらないので時までお願いします』ってことができないんです。『5時に迎えに“これる”人がきてください』って意味。日高村だと親が共働きで仕事で迎えに行けないなら、おじいちゃんやおばあちゃんが行くのが当たり前で、それでどうにかなる人がほとんどなんです。

都会だとよくある『周りに親戚がいない共働きの親の悩み』に、共感してくれる人がいないから孤独になりやすいかもしれないです。そういう意味では、同じようなことに困っている人が多かった都内の方が、子育てはしやすかったなと…」

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「でも、今はお隣さんが家族のように関わってくれていて、子育て面の大変さが緩和されています。休日は一緒に遊んでくれたり、仕事でどうしてもって時は預かってくれるんです。お隣さんとそういう関係を気づけていなかったらもっと辛かっただろうな。移住してきた時には、周りとの繋がりをつくることが本当に大切だと思います。」

Q:この記事を読んでいる方へメッセージをお願いします。
A:日高村って知らずに行くと印象にあんまり残らなくて、通り過ぎちゃう(笑)でも、通り過ぎないで!

「高知市内から日高村に来るときに通る国道33号線沿いを走っていると、東西に抜けるだけなんだけど、本当の魅力は国道から逸れた場所にあるんです!実は、私が初めてきた時もそうだったんですけど、日高村って知らずに行くと印象にあんまり残らなくて、通り過ぎちゃうんです(笑)

でも、北に行くと川もあるし屋形船に乗れたり、東京ドーム5個分もある広大な霧山茶園が広がっていたり、私が住んでいるところも自然に囲まれていていいところなんです。日高村にきた時は、33号線を走って通り過ぎずに、ぜひ南北にも遊びに行って欲しいです!」


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