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私がわたしである証明

内側から私を壊そうとする者がいる。私はそれを「鬱」と呼ぶことにする。私はそいつが嫌いだ。憎くて、憎くて、殺してしまいたくてしょうがない。首を絞めて、泣き言ひとつゆるさずこの世から消し去ってしまいたいと思う。そいつは、私の代弁者である。朝も昼も夜も怖いと嘆く。空腹も満腹も、孤独も都会の喧騒も、それらすべてに背を向けて寝そべる。落ち着く。落ち着く。落ち着く。?これは本当に落ち着いた状態であるというのか?社会と断絶して、人と距離をとり、密を嫌い、インターネットの揉み合いを見ながら飲むストロングゼロが、救いとでも言うのだろうか?

提供されただけの安全基地を本拠地として、わたしは、今日も「鬱」からの侵攻を守る。この文章を理解できる人間は社会的人間としてどうかしている。可笑しい。ひねくれている。ただ、原稿用紙1枚分の言語障害を受け入れる覚悟だけはすばらしく明確であるようだ。
指し示された改行は美しい。
私は過度な自己表現を嫌う。


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