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難解な孤独


(自己カウンセリング記事のため前半荒れ気味)

一人でいると淋しさを感じ、他者といると煩わしさを感じる。

そんな栓のない矛盾を抱えている自分が突如現れて困惑する。今がまさにそれで一人が独りになり他者といるのが群れになるような感覚に陥る。

負の連鎖。

光の当たるところは眩しくて海の奥底は暗くて、怖くてどちらにも触れることが出来ない。ワガママで臆病な自分。ずっとこの自分を受け入れられずにいる。光にも闇にもどちらにも属せない自分がずっと許せなかった。だが、思った以上に自分と同じ感覚の人もまた存在するのかもしれない、と思って折り合いをつけるようにしたい。

というのも、まだまだ折り合いがつけられず、もがいているからだ。どうしてこう、面倒な性分なのか。つくづく、嫌になる。無性に泣きたくなる。

全部「うつ」状態のせいにしたい。バカみたいにネガティブになるのも、人を妬み、僻むのも、自分の嫌いなところすべて、今の自分の、「ここ」で吐露するしかない状況を作り出した根源のせいにして全て捨て去ってやりたい。不法投棄上等。

苦しい、モヤモヤする、悲しい、淋しい、怖い、悔しい、恥ずかしい。

自意識が酷いことになっている。それこそ恥ずかしい文面だ、なんだこれ。本当は誰かと居ても孤独が紛れないことはわかってる。誰といても心の中ではどこか、膝を抱えている自分がいる。

江國香織が著書「きらきらひかる」のあとがきに人間はみんな孤独というニュアンスの記載を読んだときにスンっと心が軽くなった。孤独仲間が欲しかったのだ。これだってきっと群れなのに。私はどれだけ学ばないんだ。


先週放送していた王様のブランチにて村田沙耶香がおすすめしていた『孤独』について描いている作品を思わず即買いした。

「わたしのいるところ」 ジュンパ・ラヒリ著(新潮クレスト・ブックス)

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読んで少しは『孤独』と仲良くなりたいものだが、既に作中の「仕事場で」がとても好感を持った。本当に、何気ない、さりげないことの中に潜んでいる孤独の表現が孤高でありながら哀愁が漂うわけではなく、強ささえ感じられる…まだ全部読めていないので感想らしい感想にならないがゆったりと孤独に身を任せられる40代になりたいと感じる。ゆっくり、読んでいこう。


私自身、いろんなことに焦っていた。体と心を両方とも壊してしまい、休職を余儀なくされ、迫りくる会社との約束の期間。完治とまでいかずとも復職出来るレベルまでいつになれば戻るのかわからない不安に押し潰されそうだった。だけど、本当に戻れるなら必ずその日は来ると信じるしかない、信じて自分が今、出来ること、やりたいことをやろうと思った。本を読んで、勉強をして、食事をしっかり3食摂り、よく眠る(これが今一番困難)。

こうやってnoteやTwitterに書きだすことにより、己を振り返ることが出来ることにも気づけた。書いてるうちに、冷静さも取り戻せた。自己カウンセリングに有効なのかもしれない。ポジティブには地球が反転しても無理だろうからまた、耐えられなくなったときに似た記事を投稿してしまうかもしれない。どうかその時は許していただきたい。


暫く、涙を流すことが出来なかったが今日は、素直に涙が零れた。たまにはこうして自分を自分で抱きしめることも大切なのかもしれない。


ここまで読んでくれた方がいたなら、乱文のお詫びと深謝を捧げる。

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