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まばたきの間に

気が付いたら5月もおしりが見えてきている。

5月という月は個人的に割合のっぺりとした印象の月である。

接客業が長いせいか、ゴールデンウィークなるものにも特別浮足立つこともなく別に近い人のお誕生日があるわけでもない。

まあ強いていえば母の日。

何だかんだ毎年欠かさず何かしらを贈っていると思うのだけど

こちらも毎年それなりに悩みながらも結局代わり映えのしないものを贈っているので、あんまり記憶がない。

今年はなんだかとっても色合いがやわらかくてうつくしい紫陽花と出会ったので

その子をラッピングして実家に行ったのだけど、母はテーブルにおうどんを準備した状態でふせっていて(倒れるとふせるの間くらいの体制)

具合を確認すると口をパクパクさせて目を泳がせる、見たことのない発作を起こしていた。

一瞬だけ「救急車」という単語が頭をよぎったけど、なんというかそれはいらないであろうという奇妙な確信もあった。

もう何度目かわからない、母親の不調。

小さいころも帰宅して家の玄関の扉をあけた瞬間にわかった、「母が病んでいる空気」。どんより、という言葉をもぐもぐ咀嚼して無理やり飲み込んで胃に押し込んだみたいな不快感。

20代のころは仕事と酒をひたすら往復していたから忘れていたけれど、近年急に咽返すような気配でまた私の人生に蘇ったこの感覚。

そういえばうんと小さいころ、私と姉はこの空気の中にいたんだよなぁ、そりゃちょっと難しい思春期だわなぁ、と今は思えないこともない。


母の発作シリーズは頭痛、腹痛、肩の痛みに腰の痛みに膝の痛み、耳の難聴、明らかなヒステリー、眠り姫のように昏々と眠り続ける、グルグルと同じところを回遊する謎の挙動、列挙すればきりがないくらいいろんなパターンがあって

その都度レントゲンを撮ってみたりMRIを撮ってみたり、無理をいって整形外科に入院させてもらったりするのだけれど

びっくりするくらい数値や結果に異常がないから感心してしまう。

年齢的にはどこか一つくらい悪いところがひっかかっても良いのだろうけど、身体には全く異常がないのだ。

もちろん心の問題に起因しているというのはわかっていた。私たちも、父も、そして母本人も。だけどわけがわからなかったのだ、どうして心が原因でこんなことになるのか、全員が全員わけがわからなかった。

そうやって小噴火から中噴火くらいをくすぶらせながら長いあいだ生きてきたところで、ここ4,5年のあれやこれやが背中を押す形で大噴火が頻発するようになった。(きっと私の入院前のことも大きい)

おととしの暮れから入院と退院を繰り返して、今年のはじめに退院してからは発作もなくまぁまぁ落ち着いていたのだけど

「腰が痛くて買い物に行けない」と言い出してから何だか怪しいなぁ、と思っていた(大体いつも身体のどこかが痛いから始める)のもつかの間、あっという間に症状は悪化した。そして母の日の贈り物を持って行った日に至る。

その次に父が店に来たときは、食べれない、トイレに行くのがやっとという「それは心配だねぇ」という症状から

深夜に某宗教の経典を首筋にあててお経を唱えだしたり、様子を見に来てくれたお隣の奥さんに地縛霊がどうのこうの、とか大昔に死んだ大家さんの犬の名前を読んだり、「それは・・・怖いねぇ・・・もうホラーじゃん・・・」という症状までオンパレードになっており

もうどんな話を聞いても「これは入院だね!」というしか言えない状態になっていた。

結局その何日かあとにいよいよ全く意思疎通ができない状態で、常軌を逸した挙動が収まらないようになり

対応しきれなくなった父が救急車を呼び、そのまま去年入院していた病院に搬送され、そのまま入院となった。それが5月11日。ちょうど二年前、私が離脱症状フルコースの最中に入院した日と同じ。そんなところでかぶらんでも良いのになぁ。

入院後も結構激し目に症状が出続けたようで、自力ではトイレにもいけず、おむつをしてもらうような状態。しばらくして落ち着いて食事をとれるようになり、開放病棟にうつったと思ったら突然スキップしながら大声で歌いだし、他の患者さんに話かけまくるという奇行にでてしまい結局保護室へ。

店に父が立ち寄るたびにそんな報告を聞きながら(本当は店でこんな話しないで欲しいんだけど、仕方がない)

とにかくずっと「心の病っていうのは一体全体なんなのだろう」ということばかりを考えていた。

どうして私は心が病むことで自分の腕をボロボロに切り刻んでいたんだろう、健全とは言えないあんなことやこんなことを繰り返し続けたのだろう、どうして脳みそが壊れるほどお酒を飲んだんだろう、

どうして母は心が病むことで身体のあちこちが言うことをきかなくなり、いつの間にか別の世界の人みたいな言動をとるようになってしまったのだろう。


なんで心が病んだのかももちろん知りたいのだけれど

今はそれ以上に「どうして心が病むとこうなるのか?」が不思議で仕方がないのだ。

心を病むというのは一体どういうことなのだろう?

そんなことばかりを考えていると、本当に瞬きをしている間にひと月が過ぎた。

最近の愛書は「木村敏 著/心の病理を考える」「アルフレッド・アドラー著・長谷川早苗 訳/なぜ心は病むのか~いつも不安なひとの心理~」


久しぶりに17時まで店を営業している土曜日。

健全なる我がパートナーから「途中で用事でお菓子屋に寄るけど、ショートケーキ食べる?」と電話がくる。

彼と話しをしていると、ああ、なんて健全でやさしいんだろうと思う。

ささいなことで喧嘩や小競り合いばかりしているけれど、彼とのやり取りは基本的に「わけがわかる」のだ。

わけがわからないことばかりだった人生だったので、「わけがわかる」ことの気持ちがよさにいちいち感動してしまう。








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