自分は運がいいと思って生きた方が良い
悲観的になっている時に、自分は運が悪いなあと思っていた
たしかに努力では回避できなかった出来事もあるから間違いではなかったんだけど、今では
自分自身が発光体になって悪を払えばいい
という考えに変わった
もちろん自分が本当に良くないこととか人に迷惑をかけるような失敗をしたら反省すべきだけど、今までの自分はどんな理不尽ですらも怒られたら全て自分のせいだと思い込んでいた
これは自己肯定感の話というよりも、若くて純粋だったからゆえだと思う
だから25すぎてからようやくはっきりものを言えるようになったんだ
私はあまりスピリチュアル的なことは詳しくないけれど、口に出して言ったことは良くも悪くも力を持つ
アレン様に出会ってから異常だった自責の念がほぼなくなり、自分は最高級だと毎日思うようにしたら、運が悪いと思うような出来事や変な人が寄ってこなくなった
友達の恋愛相談を受けているときにも「何でこんなに最高級な友達がこんな目に遭わなければいけないんだ?」と解決法を編み出すことよりも先に怒りが込み上げてきてしまって感情的になってしまう
自分が最高級ということは、自ずとその友達も全員最高級だから
自分を認めてあげよう!は正直難易度高いし、奥底までは自信なくても、自信がある風に見せたり、私は運が良いと思い込んでいるだけでいい
相手が100%悪いんだけど、自信なさげにしていると変な奴の操りやすいターゲットにされちゃうから
だから、全員に優しくしなくていい
ものが言えるようになったとは言え、人前で怒ったことはほとんどなく基本的に穏やかな性格なのは変わらず、私になら何しても許してもらえると勝手に思われてひどいことをされたり、良くない状況に巻き込まれたりした経験がある身からすると、その優しさをちゃんと優しさで返してくれる人にしか優しくしなくて良い(例え家族や同性であっても)
幼少期から誰に対してもフラットな態度で接することができるのを自分の長所だと思っていたけれど、そこに漬け込むような悪人が世の中にはたくさんいるから結果的に損をした
長所だと思っていたことをそんな風に思わせる世の中ってひどいよねー
そんな世の中だから容易に近づけないほど輝いて、悪と変な人を寄せ付けないようにするというのが今の私のベストアンサー
悲しかった出来事や傷ついた出来事を無理矢理、あれは成長のための経験だったとか思わなくていいし、世の中は不平等だからしなくていい苦労はある
努力と苦労は違うし、私だって奨学金払ってない人羨ましいなーとか思うし
だから悲観的になって動けない状態しか生きる道がなくて、それで死なずに済むなら今はそれで良い
でも少しだけ元気になってきたら、私の輝きで全てを払い、幸福を呼び込むくらいの心持ちで生きて良いからね
もちろん今自分元気だなーって思う人もさらに輝いちゃって良いからね
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?