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未熟な夢を見る子どもの話を聞いてあげて

小学生の頃、仲の良い友達数人で「大人になったら一緒に住もうね!」と約束した。皆で1つの家に住み、楽しく暮らす様子がありありと思い浮かんだ。

料理や掃除を交代でしたり、テレビを見ながら笑いあう、大人の私たち。それぞれ好きな仕事についていた、自立した大人の私たち。

家に帰って、早速私は母にその話をした。それはそれは素敵な案だと思っていたし、何より母と、もっと想像したかったんだと思う。大人になった私が、楽しく充実した毎日を過ごす様子を、一緒にはしゃぎながら話したかったんだと思う。

母が、私に言った言葉はこうだった。

「子供の頃に友達同士でそんな約束しても、だいたい本当にならないから」

私はそれ以来、母に未来の展望を話したことはない。10年以上たったのち、そんなやりとりをすっかり忘れているだろう母に、私はこう言われたことがある。

「あなたは何が好きだとか、こんなことをすると楽しいとか、わくわくするとかないの。あまりそういう話されたことないけど」

無くはなかった。ただ、母にそんな話をしなかっただけだ。

母の言ったことが、あながち間違いではないと今なら分かる。実際私は、その仲良しグループの皆と衣食住を共にすることはなかった。それ以前に、思い描いた様な「素敵な自立した大人」とやらにもなれていない。

あの日、もしかしたら母は疲れていたのかもしれない。何か嫌な事があった直後なのかもしれなかった。当時、自分の学生時代の友人と会ったり遊んだり出来ていないことで、つい、本当の事を言っただけかもしれない。家事や育児に手を抜かない真面目な母。自分の楽しみより、家族優先で生きてきた母。

大人になって、色々と推測出来るようになり、そう言った母を責めるつもりは今はない。ただ事実、私はその一言で、びっくりする程自分の気持ちが萎えたのを覚えている。わくわくした気持ちがすぅーっと引く、あの感覚はまだはっきりと覚えている。

「話さなければ良かった」

はっきりと、そう思った。話さなければ、こんな風に楽しい気持ち自体が無くなることがなかった。楽しい気持ちは母に話さずに大切にしよう。

私はそんな(些細な)出来事で、母に自分の気持ちを表すことをやめてしまったのだ。

子どもの世界は、大人から見れば狭く小さい。経験の少なさから甘っちょろい考えを言う事も多かろう。子どもの話す素敵な思いつきや夢は、大人からしたらひどく些細だったり、反対に果てしなく壮大だ。

ただ大切なことは、話の内容ではない。それに大人が気付いて子供と接する事かもしれない。

子供が気持ちの高まりを大人に話すとき、常に欲しいのはアドバイスや否定ではない。

欲しいのは嬉しい気持ちの共有と、楽しそうに話を聞いてくれる大好きな大人の笑顔。

この人は自分の考えを否定せずに聞いてくれる、この人は自分を信じてくれている、この人は私の幸せを喜んでくれる。そういう安心感があれば、楽しい事も、悩み事も、話そうかなと思う事が増えるのかもしれない。


だから、未熟な夢でも聞いてあげて。叶わなそうでも一緒に楽しんであげて。あの日の私のような子どもが1人でも減りますように。


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