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パニック障害を薬を使わず克服した話 〜どんな人が発症するのか〜

私は、27・23・21歳の3姉妹を持つ母です。
1997年の初夏に、次女を妊娠中に
初の「パニック発作」を体験。

1998年に「予期不安」が始まり「パニック障害」を発症。
2001年に克服し、2002年に子どもたちを連れて離婚しました。

借金・暴力などの問題だらけの前夫から離れて
子どもたちを一人で育てるために
独学と気合い(?)で乗り越えたのです。

その間、心療内科への通院は
初診と「薬を辞めます」という宣言の時との2回のみ。

抗うつ薬「SSRI(パキシル)」を夕方に1錠飲みましたが、
飲む前よりもさらに心の状態が悪化したと感じたので
初診から3日目に「辞めたい」と電話したところ
「効果がわからないの2週間飲むように」と言われたので
5日目に「辞める」と医師に直接伝えに行きました。

発作時に飲むようにと渡された
ベンゾジアゼピン系の抗不安薬(ソラナックス)は
一度も飲むことなく治しました。

お守りのように財布に忍ばせていましたが
3〜4年後に捨てました。

そこから、民間の薬局での漢方薬を数ヶ月だけ飲み
独学でツボ療法や食事療法などの独学で克服しました。


その結果、私的な見解をお伝えしますと

パニック障害とは
「自分のエネルギーを自分のために使っていない人」がなる病気
ではないかということです。

本当はとても活動的でエネルギーがあるのに
それを自分のために使い切れていない……。

つまり、人のために生きてしまって
自分の「望み」を自分のために叶えてあげていない状態の人が
なる病気ではないかと感じるのです。

独学での「パニック障害克服」の概要

私自身の体験についてざっくりとお伝えしますと

1)エネルギーを普段から発散する
2)「自分の望み」を可能な範囲で叶えてあげる
3)心だけではなく身体を整える

この3つがポイントでした。

病は気から。
「あぁしなきゃいけない」「こうしなきゃいけない」
と思考の癖で自分をがんじがらめにしていると
どんどん病になってしまいます。

人のために生きるのではなく
自分のために生きることを意識し始めて
状況は少しずつ変わりました。

当時、経済的にも時間的にもゆとりのないなか
まずは社会人バンドを始めました。

「やりたいこと」
「やらねばならないこと」
どちらか一方しかやらない、と決めてしまうと、
どちらも大変です。

「やらねばならないこと」だけじゃ
心身が病みます。

「やりたいこと」だけじゃ
経済的には不自由になります(汗)。

子どものいない人で、
「やりたいことだけ」で生きようとしている人はいます。
でも、子持ちでは難しい。

どちらか、ではなく、どちらもバランスを取りながら
選択しつつ、からだを動かしたり声を出したりして
発散をしていくことが鍵だったと感じています。


また、鬱症状には

・午前中の光を浴びる(特に背中を中心に)
・旬のものを食べる(米と野菜中心に昔ながらの和食)
・土の上に裸足で立つ・寝転ぶ(身体に溜まった電気を抜く)
・背骨周り・足首・腰・手首などの関節をほぐす(血行をよくするため)
・呼吸法を学ぶ
(例:4拍 鼻から吸う→4拍 止める→8拍 口から細く息を吐く)

といったことが、私には効果的でした。

漢方薬はこちらの薬局でインターネットで入手していました。
・せいゆう薬局(宮崎県)
https://seiyuu-pharmacy.com/

そのほか「森田療法」について学んだり
人に話を聞いたりしました。

また、学んだわけではありませんでしたが
ただの思いつきで
「エクスポージャー療法(行動療法の一種)」
自分ひとりでしていました。

発作の起こりやすい場所にひとりで行き
発作が起こらないことを確認して自信をつけるという荒療治です。
※これはのちに精神科医の友人には叱られました(汗)。

現在、「認定心理士」の資格申請中ですが
精神科医や臨床心理士ではないので
あくまでも自身の「体験記」の範疇ですが
これから具体的に語っていきたいと思います。

きっかけについては、昨日、執筆しました。
20数年前の話なので、記憶が薄れつつありますが
覚えている範疇で書いていこうと思います。


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