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私の作る曲はボサノヴァらしい 〜アートはすべての人の内にある〜

円山公園音楽堂でのイベントに出演して歌ってきました。少しだけど思ったようなステージにできたかなと。そして、今思う、作曲のこと。

※文章のプロですが、個人ブログは、敬体と常体をわざとに取り混ぜております。ご了承くださいませませ。

パクらずに作曲しなければいけない?

シンガーソングライター活動をするぞ!と決めたのは49歳。中学生のころにも作曲は、少ししていたものの、当時はどうしても「パクリ」になってしまうことに嫌気が差していた。

当時は、「どこにもない曲を作らなければ」と思っていた。それはむしろ、思いあがりだと気づきました。

そもそも、「どこにもない曲を作らなければ」なんて、「この世に存在していない料理を生み出そう」としているのと同じ。そんなそれこそ「やってのけよう」なんて思い上がりだと気づいて、少し肩の力が抜けました。

こんにちは。シンガーソングライターのfukkoです。

作曲は理論を学ぶべき説もありますが、私はとことん自由に在りたいので、「私」という器の「中の人」と繋がって、出てきたものを作っております。

中の人とうまくつながれていない間は、「外の情報」から作っていくしかなかったのだろうと思っています。中学生のころの私もそう。外から集めてこようとすると、意識しなくても「パクリ」になっちゃう。

そして、中の人とつながって音を作っていくと、不思議と「どこかで聞いたよな」メロディでありながら、「パクリ」とは言えない、外と中のバランスが取れたメロディが生まれてくるようになりました。

……なんて、こんな話「あ、わかる!」という方がいらっしゃるかな?

「肉体」は両親からいただいた。だけど、私という魂……「中の人」は、自分の意志で、ここに生まれてきたと私は思っているのです。

だから、ちゃんと中の人と繋がってあげないと、永遠に周囲に振り回され、左右され、「自分」を生きることができない。

今の夫に「いつやるの? 今でしょ?」と言われ(実際にはちょいとセリフが違うけど)、49歳にして意を決して「シンガーソングライターになる!」と作曲を始めたとき、驚くほど作曲はスムーズにできた。

中学のころと何が違ったのかというと、1つ目は、「心の玉ねぎの皮むき」を終えていたこと。心の外側にある「固定観念」という薄皮を、どんどん剥いて剥いて剥いて、真我の声を聞いてあげることができていた。

そのうえで、2つ目。「私はシンガーソングライターになる」と決意。腹を括ったことです。

この「腹を括る」が大切。と、今は思うのです。

いつわりの「仮面」を脱ぎ捨て「真我」とつながりしっかり「結ぶ」

「腹を括る」の語源として、「帯を締め直す」などと言われているけど、もちろん外的な語源としてはそうだろうと武道をしていた身としては思う。

でも、おそらく、丹田に落とし込むということを「腹落ち」というように、ここでも「下丹田(臍下丹田)」と身体を結び合わせる。つまり、「肉体と魂をしっかりと結び合わせる」という意味でもあったと推測しています。

昔の日本人にとっては、見えない世界は「怪しいこと」でも「すごいこと」でも、なんでもなかったはず。日本人の、その素晴らしい体感覚を持っているからこそ、「気配」とか「気遣う」とかっていう言葉が生まれたのでしょう。

なんて、私も、高校時代に、合氣道部で、「氣」で相手を倒す練習については、どうしても胡散臭くて不真面目で「フォース!」とかやっていましたが。

って、横道にそれましたが、本来、人は、「自分とつながる」ことで、中からどんどん「表現」が生まれるはずなんです。生きてきた分だけ「感情が動いた経験」が、中にちゃんとあるから。

アートはすでに自分の中にある。

それを、外に出すために「テクニック」が多少は必要なだけ。それがボイトレとか、ピアノの技法だとか、絵画ならデッサン力とか、光の捉え方とか、色の使い方とかではないかと。

感情が動いた数=魂が揺れた数。

揺さぶられた分の数だけ、「色」や「音色」を持っているのではないかと。悲しい、うれしい、切ない、苦しい、嫉妬、喜び……。その数だけ魂は磨かれる。

そして、それを外に出す、つまり「表現」するためには、「受け手」にとって「受け取りやすい形」に、少しデコレーションする必要がある。

例えば、すごい美人がいたとしても、その人が生まれてから一度も、顔の毛を剃ったことがなくて、髪の毛を解いたことがなくて、歯も磨いたこともなかったら、「美人だ」とは気づきにくいのではないだろうか。

美容的テクニックがあって、清潔にするという「ジョーシキ」があって……と、共通認識のもとに、多少の磨きを入れてからでないと、人は「良いものを良いと思えない」のではないかと。

とはいえ「テクニック」は、どうもつけすぎても不自由そうに見えます。そればかりに囚われると、受け手との「回路」が空回りしちゃうのかなと感じます。

それでも、テクニック「0」では、なかなか人には伝わりにくいのだろうなと思います。

自己満足で終わってしまう。

ひとりよがりの「知らない人の自慰行為」を見てみたいとは、思わないですよね。超絶イケメンであっても、見たくない。その人自身に惚れているなら、そして、そういう覗き趣味のある人は、また別かもしれないけれど。

そのための「テクニック」なんだろうなと。

「作曲の理論」云々ということについては、「一つの考え方」に基づいた音楽理論であって、世界中には、たくさんの音楽と音楽理論があるのだから、あまり気にしなくていいんじゃないの?と思っています。その地域や時代によって「正解」は異なるものだから。

この時代の大きな流れの「正解」どうしても囚われるのなら、ちゃんと学んだ方がいい。

だけど、残された自分の人生の年数を考えると、自分が作り、「学んだプロにアレンジしてもらう」が私はおすすめの方法だと思っています。気になるならプロに相談を。その際には、決して「自分のメロディ」を貶さず尊重してくれるプロに相談することです。

プロから見ると私の曲は「ボサノヴァ」だそう

私は「テクニック」も、プロに頼っています。もちろん、自分の歌とピアノの技磨きについては、日々の努力も忘れていません。まだまだ足りないけれど。

でも、圧倒的に時間をかけて技を磨いてきた人にはお金を支払ってでも、サポートしてもらえたら、やはり違うと思います。多くの人に届きやすくなる。

私の強力な助っ人、大好きなキーボーディストでもあるHさんに言わせると、私の作る曲はボサノヴァなんだそう。そして、「16ビート」なのだそうです。確かにメロディが踊っていることが多いなと。

小説の頭が休符だったり、タイがいっぱいついていたり、なんでこんなややこしいメロディが出てくるんだろうと思うことが多いけれど、実際に、好きな曲がきっと、ボッサだったり、踊れる曲だったりするから、身体に染みついているのでしょうね。

でも、それが私のリズム。

それでも、人に聞いてもらうために、あえて無難な構成(Aメロ〜Bメロ〜Cメロなど)にするなどの工夫は、素人なりにしています。

でも、本当はあまりそういう単純な構成は好きではないんだけれど、完全に予測できない構成よりも、聞き手は安心するようですね。私の中では「あぁ、なんだかフツウになっちゃった」とか「ちょいダサ目だな」と思った曲に限って「いい曲だね」と言われるので、聞き手の受け入れやすさみたいなものも、意外に重要なんだなとも感じています。

更年期なアラフィフ女子応援歌を作りたい

さて、今年作ろうとしているのは「ミドルエイジ」の応援ソング。世間にある曲は、恋愛ソングが多い。そして、まだまだ女性が、特に私たち世代が思うような言葉を口にしてくれる曲は少ない。だから、今、アラフィフ女子応援ソングを作っています。

楽しくて、つい笑っちゃうような、本来の私の「いちびり(関西弁)」な一面が出てるような曲にして、一緒に歌ってもらえるようにしたいと思っています。打楽器がいるぞ。きっと。

もう、一部フレーズは浮かんでて(笑)。ゴスペルの仲間にも聞いてもらいたいな。

あなたも、あなたの中にある、リズムやメロディ、言葉、歌にしてみませんか?

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