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少年の日の思い出

僕は、なぜかノートが好きだ。広げて真っ白なページに薄く横線が引いてあって、それにかりかりとなにやらを書き込むのがたまらない。さらに言うと、使い古されたノートも良い。ぼろぼろになり書き込まれてページがやわらかくなったノート。デスノートという漫画でみかみテルという人物が黒いデスノートにびっしりと人の名前を書き込んでいて、読んでいるとあのページのくにゃくにゃ感が伝わってきてとてもよかった。

僕が小学生のころ、仲間内で自由帳ゲームという遊びが流行った。 ノートに名前を書きこんで、その下にレベル1、体力2、武器なし、防具なしとする。ゲームを始めるとお金が100G(ゴールド)もらえて、それであらかじめ設定した武器防具を買い揃えて敵と戦う。ある友人が「兄に教えてもらった」と言って自分を誘い、もう一人の友人とともに名前を書き込んだ時、何かが始まるような感じがした。

戦うときは、敵と味方、交互にさいころを振って、その目から相手の防御力を引いてダメージとする。敵のHPを0にすると勝利になり、経験値とお金が手に入って、それを繰り返してどんどん強くなる。レベルが高くなると、さいころの数が増えたり技を覚えたりした。

はじめたときにラスボスを作った。当時の我々の好みを繁栄してネオブラックドラゴンという名前だった。攻撃力が高すぎて倒すのは不可能と思われた。巨大で邪悪なドラゴンを絵にする技術はなかったが、想像することはできる。圧倒的に超えられない壁を作ることが仲間の結束と士気を高めた。ただ、調子にのって何ページにもわたる巨大な城(迷路)を作ったので、ボスの元までたどり着くことは不可能だった。

ゲームを遊び、1年が過ぎると、次第に世界が進化してきて銀行ができたり、電車ができたり、家を建てたり、ペットを買ったりした。 多くの迷宮(ダンジョン)が作られ攻略されてきた。攻撃力もインフレしてきて、キングボンビーみたいに何度もサイコロをふった。無駄に暗算が早くなった。

2年くらいすぎて、そろそろ卒業が近くなったのでゲームを終わらせなくてはならないような気がしてきた。卒業後、僕と友人達はそれぞれ別の中学校に行くことになっていた。別々の中学校で、アナログのゲームを続けることはできないであろうことは、みんな分かっていた。

そんな大人の理由で核爆弾というアイテムが作られた。なんと雑魚キャラを一度倒すと買えるくらいの破格の安値だった。

早速、非人道的な攻撃が行われて、ボスの城は一瞬にして廃墟になった。なんとも御都合主義だが、取り巻きは全滅、ボスだけは無事ということにし、友人とともにボスに踊りかかった。なぜボスは討伐されなくてはならないのか?

レベルはいつしか40を越えていたが、なかなかボスを倒すことができなかった。我々は3人しかいないのに、一度のボスの攻撃で1人か2人は死ぬ。あまりにボスの攻撃力が高く、味方の体力は80前後しかないのに、一万以上のダメージを受けるという有様だった。

しかし、そんなとき友人の一人が奇跡をおこした。技の中に相手を凍らせるものがあって(攻撃の後、さいころを振り、1・2・3がでるともう一度攻撃することができる)、彼はその技を装備し延々と攻撃し続け、ほとんど反撃をさせることもないままにボスの体力を0にしてしまった!

ある日の放課後、友人宅で静かにゲームは終わった。薄暗い部屋の中、窓から差し込む光に埃が舞っていた。友人に先を越されて嫉妬も感じたが、蓄積してきた道のりに、何ともいえず感動した。ノートは、ぼろぼろになっていた。

その後自分は大人になり、生物の世界を調べてそこから新しい知識を発見する、という仕事をするようになった。この仕事は新しい世界を作るようなものだと思う。ノートパソコンを広げると真っ白いWordの画面が開く。そこにすっごい世界を作りたい、という希望を持っている。

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