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アヤワスカ体験記


きっかけはとある記事でした

ウィルスミスの「自己の中に存在する宇宙が見えた」というなんとも怪しげで魅力的な言葉に興奮している自分がいました。

その後いろんな記事や体験者に話を聞くと、一定割合「ただただ吐きまくって気持ち悪かっただけだった」という人もいたんですが
「先祖に会えた」「自分の天命を授かった」みたいな人もいて「これは一回はやらねば!」と思い、今回ブラジルでアヤワスカに行ってきました

リオデジャネイロから車で2-3時間ほど東に移動してたどり着いた謎の場所


Google mapでは「聖地」と記載されており不安が高まります(評価数3)

到着するとまずは聖地の各場所のツアーが始まりました

呪物が飾られているし変な粉あるよー
こわいよ〜




祀られている神さまの説明や先祖との繋がりの話、大地や自然の話など半分以上よくわかりませんでしたが、なんだか謎のセットアップされた感がありました

そこからよくわからない生えている草をかき混ぜて作った水で全身を洗い身体が清まります
(不思議と本当に清まった感覚に包まれた)

草をゴシゴシ



そのあとにアヤワスカのドリンクを飲みます

*ちなみに「アヤワスカ」とはペルー先住民族が使うケチュア語で「魂のロープ」という意味をもち、熱帯雨林に自生する聖なるツル植物の名で、古代より現代まで引き継がれている伝統的な植物療法及びその儀式の名です。一言でいうと南アメリカ大陸熱帯雨林発祥の強めの幻覚剤で、地域によっては正式な医療として認められてもいます。(日本では違法)

アヤワスカのドリンクはクソ不味かったです

アヤワスカはタバコとの相性がいいらしく、アヤワスカのドリンクを飲んだあとに
タバコの葉、ミント、あとなんかよくわからないものを混ぜた粉を鼻の中にぶっ込みます

すごい勢いで粉を鼻の中の粘膜ぶっ込まれる


この鼻に入れるのがかなりきつくて、入れた瞬間に一瞬気絶するくらいの衝撃が走ります
僕の場合は涙が急に出てきて、立っていられなくなり、その場に横たわりました

その直後から未知なる体験が始まります
全身から力が抜けて身体は全然動かせるんですが動かす意思が全くなくなりました

よく瞑想とかマインドフルネスなんて言いますが、まさにその状態で煩悩というか思考が消えて、「今この瞬間」に全ての意識が集中します

幻覚剤ってハイになったり、不安やトラウマでおかしくなるイメージがあったのですが、そういうイメージとほほど遠く、人生で最も落ち着いている状態です

自分の呼吸や風の音、心臓の音を感じるし、そこからさらに研ぎ澄まされて全身に血が流れている感覚も感じ始めました

ここまで副交感神経マックスというか、落ち着きった感覚は生まれて味わったことがなく、気持ちがいいとかではなく、ただただ無になっている状態でした

無になっているんですが意識はあるんです
自分の言語化能力の低さに苛立つくらい、なんだかこれ以上表現上手くできません、、

無の状態

そこから一緒にアヤワスカ体験している横にいる友人が吐き始めたり、シャーマンが歌い終わり会話し始めたりする音がはっきりと聞こえているのですが相変わらず落ち着ききった状態で、とにかく不思議な状態でした

そうしてボッーとしていると急に幻覚が見え始めました
僕の場合見た幻覚というのは常に変わり続ける映像でした
風の音や周りの声などの外部の刺激に影響を受けて次々と映像が変わっていきます
アニメっぽい幻覚かと思えば、科学的なピカピカ光る幻覚かと思えば、宇宙のようなものもあれば、油絵のようなものもあれば、幾何学模様にもなったり、とにかく同じ幻覚は2度となく常に変わり続けるんです
クスリやると「tripする」と言いますがまさにその感覚でした

耳元に近づく蚊の音すらひとつの刺激として幻覚に影響を与えます(普段は不快すぎて気が狂いそうになるんですが、この時は蚊の音聞いても何も思わなかった)

どんな幻覚を見たか?とは別でその時の感覚を言葉にするとしたら無意識と意識を彷徨い続ける感覚でした

意識は常にあるんです
周りの音は聞こえるし、「なんでこんな幻覚なんだろう?」「友達もこういう幻覚見えてるのかな」みたいに思考もしているんですが、常にそれらの意識に影響を受けて無意識の作り出す幻覚が旅をし続けます
幻覚が常に変わり続けるし、どんだけレパートリーあんねん!って思うくらいさまざまな幻覚でした

幻覚を一通り見ていたら急に家族や奥さんや小中高、大学の友達、仕事仲間、仕事のお客さん、趣味仲間など人生で関わった人の顔が走馬灯のように幻覚の中に登場しました
みんな笑顔で登場してきて、なんかわからないけど泣きました

さて、ここまで読んでヤバいやつやないかいと思われていると思いますが、体験したことありのまま書こうと思っているので続けます笑

アヤワスカは自分の内面と対話できるとか先祖と会えるとか天命がわかるとか聞いていたのですが、僕の場合はそういうことは一切なく、ただただ幻覚を見続け、不思議な感覚が続いただけでした

ただ、アヤワスカやって得られた気づきはいくつかあります

▪️本当に大切なものは目に見えないと同じく
本当に大切なことは言語化されない

昔から星の王子さまが好きで、その中の「本当に大切なことは目に見えない」という言葉がお気に入りなのですが

今回無意識の世界というか自分ではコントロールできない常にうつろう幻覚を目の当たりにして、しかもその幻覚が相当に美しく永遠かと思うほど移ろい続けるので、無意識ってすげえな、、とシンプルに思いました

自分の意識なんかよりよっぽど強力で可能性に満ちている無意識の存在にアクセスできた感覚です

で、職業柄、いろんなことを言語化しよう!言葉にしようと意識しているんですが
もうこのアヤワスカのことを言葉にすることなんて無理だなと
言語化すると再現性が生まれたり、認識しやすくなったり、共通言語として使い勝手が良くなるというメリットがある一方で、言語化とはすなわち、言葉にした瞬間に言葉以外の要素を削ぎ落とすことになります

情報量でいうと感覚の方が圧倒的に多くて、言葉にした瞬間に情報量は一気に減ります

本当に大切な感覚というのは言葉にすると陳腐になるし、言葉にしても全くしっくりこないんだなと

だからこそ「言葉にできない」というか「言葉にしようとすら思えないほど圧倒される感覚」を人生で大事にしないとなーと思いました

▪️いろんな人の笑顔を幻覚で走馬灯のように見て、人生で後世に何を残すのか?にあんまり興味はないけれど、自分が死ぬ時に思い浮かべることのできる笑顔の数が大事なのかもなと思いました

インフラみたいなサービスをつくってたくさんの人の役に立つよりかは、自分が関わる人というのをたくさんつくって、目の前の人を笑顔を見ることをミッションにしたほうが人生楽しそうだなと気づきました

これまでは飽き性だからいろんなことやりたい
ひとつのことに集中するよりもいろんなことやっていろんな人と関わったほうが人生選択肢増えて楽しい
と思っていましたが
本質的には「死ぬ時に思い浮かべることのできる笑顔の数を増やしたい」というのが自分の欲望なのかもと辿り着きました

それは仕事だろうが友達だろうが趣味だろうが遊びだろうが出会い方は特に関係ないようでした

大きくこの2つがアヤワスカを通して得た気づきです

だからオススメです!と言えるかというとそこは微妙で、
一緒にアヤワスカ体験した友人3人はただただ気持ち悪くてずっと吐いていました(幻覚見えたのは僕だけ)

吐き続ける友人
本当に辛そうだった



人によって体験は全然違うようです
わざわざ日本から地球の真裏まで行ってアヤワスカする価値があるか?というと僕は良かったんですが、人によりすぎそうです

ただ南米に行く機会があって時間があるのであればチャレンジしてみる価値はあるんじゃないかなぁ〜と思いました

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