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「正解」「自分らしさ」がわからない人に伝えたいこと

友人から

「正解とか自分らしさがわからない」

と相談(という名の愚痴)を受けました。


服装の話。

20代に着てた服が30代になるとなんかちがくなって

かといって何を着ていいやらよくわからんよ

という内容の相談(という名の愚痴)だったんですが。



私はどっちかというと、

「あらゆる物事には正解などない」

と思っているので

「服なんて着たいもの着りゃいいじゃんか」

というタイプ。


でも彼女はどうやら

”世間一般の30代に見合う服”で

かつ

”私の好みにビビッとくる服”で

かつ

”私はこんな人間です、ってことが伝わる服”

がお好みのようで。


でも

「ショップで好きでもないものをおすすめされて買ってしまう」

から

「クローゼットには着たくない服がいっぱい」

なんだそうな。

しかも

「自分らしさ、私はこういう人です、ってのがよくわからない」

ときた。



私もいろいろアドバイスはしてみました。

・着ない服を一掃したら、着たい服が見つかるんじゃ?

・年齢に見合った服装をネットで検索してその中で好きな服を着たらいいんじゃ?

・スタイリストによる服装診断とか受けて「正解」を導き出してもらったら?

・「いいなぁ」「こうなりたいなぁ」と思う服を着てる人をインスタとかピンタレストとかでクリップしてみたら?


どれもこれも

「うん」「それはいいね」「確かに」

なお返事でしたが、

たぶん彼女はやらないんだろうな。

と思います。



なんでかって、

「自分らしさ」「正解」

を求めてさまよってる人はたいてい

”それを求めてさまよっている時間”

に酔っているから。


「どうしようかな」

「こうしたほうがいいかな」

「ああしたほうがいいかな」

「これって正解なのかな」

「これって私らしい?」

「あ、でもこれは私らしくない」

いろいろもやもやして右往左往している時間が、好き。


そうして考えたり悩んだりすることが

「頑張っている」「もがいている」

という達成感を生むからかもしれません。


けどさぁ。

私思うんですよ。


正解はないんです。

何を、どうしようと。

服装だって、自分の好きな服を着るのが正解の人もいれば

周囲から「年相応」に思われる服を着るのが正解の人もいるでしょ。

自分らしさ、として個性をだして奇抜な服を着るのが正解かもしれない。


自分らしさ、なんて

本人がいい、欲しいって思ったものを選んでる時点で

オリジナルなんじゃないの?


服装について悩む時間をそのまま

あれこれ試して自分らしさを表現するとか

いろんな人のファッションに出会うとか

服装飛び越えて自分が何者なのか突き詰めるとか


実際に行動して結果がでて、

「あ、これはありだな」「なしだな」って経験が増えるような、

そういう時間に使ったほうがよほど近道なのではないだろうかって。


それでも「うーん」って思ってるのは結局

「あなたの着ている服は十分素敵!」と言ってほしいから?

それとも

誰かに「これが正解です」「あなたらしさってこうです」

と言ってほしいから?



そしてそれに従ったことで誰かから

「それは変じゃない?」と言われたときに

「だってあの人がこうだって言ったから・・・」

という逃げ道を作ってるから・・・。


なんてひねくれて考えてしまう私です。


まぁ極論、極論ですけど

1日交代で2着の服を着まわすような生活をしている今の私が

彼女を納得させられるようなことを言ってあげられるわけがなくて。


相談(愚痴る)相手がそもそも「不正解」なんじゃないかな、と笑


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