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育児の発見:新しい世界は既知のなかにこそ存在する

先日、生後5ヶ月半の娘が

初めてまともに「雨」というものを実際に目にしました。


私は一緒に雨を眺めていたのですが、その時間で感じたものはとても新鮮で興味深くて。

今後育児を通してたくさん感じていくだろうことであり、

けれどこの感覚はきっと回数を重ねるほどに徐々に薄れていくと思うので。


初めてのこの感覚を文字にして残しておこうと思います。

同じように子育てをしている方、そして「最近日々にマンネリ」な方に読んでみてほしいです。

私はその日、「初めて見るもの」という視点で初めて雨を見ました。

娘の感覚、娘の視点に立って雨を眺めてみて感じたこと。


あたり一面がどんよりと暗く、

空気は部屋の中より湿っぽくこころなしか重みを帯びて、

360°あらゆるところから「ザーザー」「ポツポツ」「ピチャピチャ」「ザワザワ」という音がなっていて、

でもそれらの音は心地よさを感じるような軽さで、

たまに風が運んでくるごくかすかな雨粒のかけらが、頬をかすめて冷たかったりして、

しっとりとした空気が春の生暖かい気温に温められて

寒さと暖かさが融合したような、そんな気配。


薄暗さや音に薄っすらと感じる不安と、あちこちから聞こえてくる音が誘うふわふわとした好奇心。

くすぐったいような、そわそわとした気持ちになりました。

雨というものをじっくり感じたのはいつだっただろうか?

そんなふうに娘の視点で雨を見た感動のあと、私はふと考えました。

「雨」というものをこれほどじっくり味わったのはいつ以来だろう?

と。


大人になるにつれて、「雨」というものは

天気の1つであり

降られると面倒なものであり

外にでるのがおっくうな要因の1つであり。


雨という「概念」はあっても

それを「現象」としてじっくり味わったり観察したりすることは

もう何十年もやっていなかったことでした。


「雨のことなんて十分に知っている」「わざわざ観察するまでもない」

と思っていた私ですが、

雨というものが(上述したように)こんなにたくさん5感を刺激するものだとは知りませんでした。


娘と雨を眺めることがなければ、きっとこの先もそれに気づくことはなかったと思います。


十分に知っている、と思っているものは実は全く知らないものなのに

こんな風に様々な私の「既知」が娘の視点で新しい部分を見せてくれるのかと思うと、とにかくワクワクします。

見慣れたもの、当たり前のものを再認識、再発見するという「旅」をするには、娘の視点や感覚を借りるのが手っ取り早いようです。

これから私の娯楽の1つになるでしょう。


そしてあらためて気づいたのは

今まで見てきたものはあくまでも「1つの側面」でしかない

ということ。


雨に限らず私達は

よく目にするものを十分に理解している

と思いこんで生きています。


けれどあらためてじっくり観察したり、その現象を深くほっていくと

知らないこと、わからないこと、注目したことのなかったこと、説明ができないこと

にあふれています。


そうしたことを忘れて、私達は「当たり前」に興味を持たなくなっていくのかもしれません。

知らないことが普段の身の回りの生活には溢れています。

そうしたことに目を向けると、同じような毎日が全く違う世界に見えてくるから不思議です。


ソクラテスの言う「無知の知」を体感したような気分。


私はまだ、なんにもしらない。

それを娘に教えてもらった気がします。



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