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ツッコミ①もったいないばあさんすぎな自分
私はかなりドMだ。
(ちなみにイニシャルもドMだ。MMだ。)
なんの告白なんだ、いい加減にしてほしい自分。
幼少期から意識して自分を鍛え上げている箇所がある。
それは、心の経過を見ていくことだ。
それによって感情の引き出しを増やし、人に還元することを目標として生きてきた。
「心が不安定で不器用な母の力になりたい」
「私のように顔で笑って心で泣ける子どもたちの力になりたい、本当の心を見ていきたい」
「友達の泣いてる顔なんざ見たくねぇ、早めに救わせてくれ」
自分の心の中心には
「助けたい」
という火がいつも灯っている。
(なんてかっこいいんだ、大拍手)
同じ気持ちにはなれないけれど、
似ている気持ちをなんとかしてとっかかりにして、
「目の前の大切な人を1人になんてさせないから!くそぅ、」
的なモチベーションが凄まじい。
※「『くそ』、は『うんこ』のことです。臭いからやめてください。」
(よく子どもたちに言う言葉、笑)
書いていて気づいた、なんか気合い入りすぎてる大丈夫かな自分。
挫折、失恋、嫉妬、自己嫌悪、疑い、嘘、無価値観、罪悪感、孤独
それらは「いつか誰かを助ける」ために自分に経験させたいと思って生きてきた。小学校からこのマインドなんだけど、どうやら普通じゃないらしい。目から鱗。
自分が経験していなければ、助けたい人の心のそばにはいけないと思っていたから。
だから、薄目でうっすら感情を見るんじゃなくて、
きついから感じないようにするんじゃなくて、
ちゃんと見て、感じきっていこうというドMな姿勢が板についた。
そういった、きつい思いをした時には
「きた!これで私が助けに行ける人が増えるかもしれない」
と思っている節がある。やだ、えむじゃん。
そう思うことで
自分の感情に浸り込んで沼から抜け出せなくなることを避けている節もある。
小さい時から自分の心の経過を言葉にしていた。
ノートを見返すと壮絶で、涙でぐちゃぐちゃなページもある。
苦しい、、から始まるページが何ページあんねん!とつっこまざるを得ない。
こんなことまでして自分の気持ちに向き合ってんだから、いつか絶対同じ気持ちの人の力になってやるからな!みたいな無駄な気合いだけが高まっている節もある。
(節ありすぎて、ナナフシみたい。ちなみにナナフシは結構好き。見つけるとテンションが上がります。)
そして、誰かや何かからもらって嬉しかった言葉をたくさん記録している。
それも、自分がいつか誰かにその言葉を贈ることができるように。
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やばい、いいように書きすぎてしまった。
マザーテレサの手記みたいになってる、どうしよう。
自分を実力以上に盛るの、ダメ、絶対。
その実、
「こんなヤな感情自分のためだけに感じるの勿体無い!
どうせ感じるんだったら、人のために使えるくらいまで感じきってやれ」
的なもったいないばあさん思考です。
ごめんなさい、いい感じで書いちゃって。
そしてこれからは、「いつか誰かに」じゃなくて
「今欲している大切な人に」届くようなビジネスにしたい。
もったいないばあさんの今年の挑戦だ!
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