【考察】さくまサンはなぜ除籍にならないのか

著:生き恥


はじめに

―このnotoを愛するさくまサンに捧げる…―
 学習院大学に通う生徒なら、誰でもさくまサンというキャラクターを見たことがあるだろう。一見何の落ち度も無さそうな彼だが、可愛い見た目と裏腹にこのようなを聞いたことがないだろうか。

さくまサンは100年の絶起をした。

誰かの呟き

私もXにおいてこのような投稿を目にしたことがある。では一体この噂はどこに端を発しているのだろうか。またそのような彼に対し大学は、なぜ何の処分も下さないのか、このような疑問は当然考え至るところである。本noteではこれらの疑問に対する一つの仮説を提唱したい。それは「さくまサン先住民仮説」である。結論を述べる前に、まずはさくまサン自身についての考察をしたい。なお、さくまサンは性別不詳であるが以下では便宜上「彼」と呼称する。

さくまサンとは、何者か

「くまさん」と「クマ」

 本章ではまず、さくまサンの正体について迫りたい。はじめに彼の基本情報をまとめる。学習院大学の公開する「さくまサンの秘密」というサイトから引用する。

さくまサン氏の近影

学習院大学の”目白の杜”で暮らすくまさん。
天真爛漫な性格で、くまさんだけど日本語が得意。真っ白な毛皮に映えるさくコプター(おでこの桜)がチャームポイントです。

「さくまサンの秘密」より

ここからわずかに読み取れるのは彼の生物学的な位置づけであろう。「”目白の杜”で暮らすくまさん」や「くまさんだけど日本語が得意」という箇所において明らかにされている通り、彼は「くまさん」である。そしてこの記述は同時に、彼が「クマ」であるということの否定であるとも考えられる。ここでいう「クマ」とは日本に生息する二種類のクマ、すなわちツキノワグマとヒグマである。クマのキャラクターであればそのまま書けばいいところをあえて「くまさん」とすることで、あくまでほかのクマとは違うという線引きをしているのだ。
 この根拠となるもう一つの箇所は以下の記述である。

寒さが苦手なあまり、なかなか冬眠から起きられず、気づけば100年も寝過ごしていました。

「さくまサンの秘密」より

以上の記述からはさくまサンの年齢が分かる。なんと彼はすでに100年以上も生きているのである。これは通常のクマではありえないことだ。例えばヒグマの場合、20~30歳が寿命とされており、捕獲個体の最長寿命も34才である。冬眠中の老化が遅くなることを考慮してもとてつもない長寿命である。体毛の色を鑑み、シロクマと比較しても生態があまりに違うことは明らかだ。
 また、そもそも「クマ」であれば言葉を介したコミュニケーションをとれることも難しいだろう。しかし彼はしゃべるどころかSNSを使いこなし、日々更新しているのだ。
 以上の観点からさくまサンは「くまさん」、言い換えれば「クマのような何か」であると考えられる。

「100年絶起」の源泉

 この引用箇所から分かるもうひとつの重要な点は、冒頭にあげた100年絶起という噂の正体である。どうやら100年間冬眠していたことをどこかの大学生が都合よく絶起と解釈していたようだ。

さくまサンは誰だ

 さくまサンが「クマに近い何らか」であることは明らかになった。しかしそれは消去法的な迫り方に過ぎない。彼が一体何者なのか、ここでは複数の既存の説を再検討することでその真相を突き止めたい。

1.荒川元学長が幽閉されている説

閉じ込められた荒川元学長(イメージ)

 一つ目は最も可能性が薄く、否定しやすい説である「荒川元学長説」だ。この説が否定できる根拠は二点ある。まず、動機がないということだ。荒川先生をさくまサンとして幽閉するならばそれなりの理由が必要だろう。例えば学内の権力争いに敗れたのではないだろうか。しかしこれはありえない。なぜなら荒川先生は学長としての任期を全うされ、停年となり退職されたからである。円満な離職であったことは間違えない。また自分から望んでさくまサンになったということもありえないだろう。大学というアカデミックな職場で教員として勤め上げてこられた40年間の最後をこのような形で締めくくるのは不自然だ。
 もう一つの根拠は時間上の矛盾だ。そもそも荒川元学長がその地位を現学長に譲られたのは今年2024年である。一方でさくまサンの登場は判明している最古の記録でも2011年である(埋め込みリンクを参照)から、荒川先生の影武者がいない限り、そもそもこの説は成り立たない。

さらに言うならば、学長とさくまサンは別人である。それは以下のポストからもわかる。

以上のことから、荒川先生がさくまサンであるという可能性は0である。

2.単なるキャラクターに過ぎない説


 二つ目の可能性は、さくまサンがあくまで創作上のキャラクターに過ぎないのではないかという説だ。しかしこれは言語道断である。君たちは学祭や新歓で見てきたあのさくまサンが偽物で、中に人が入っている着ぐるみだとでも言うのか。このようなあり得ない言説を言いふらしたり、ほのめかしたりすることは絶対にあってはならない。

3.本学の学部生である説


 最後に挙げたいのは彼が学習院大学の学生なのではないかという説である。この説は最も有力であり、本notoはこの仮説に従い論を進めてゆく。まずこの説の大きな根拠となっているのは以下二つのポストである。

まず一つ目の投稿からは、彼が授業を取っていることがわかる。つまり本学の関係者であることは間違えない。そして二つ目の投稿ではさくまサンは鮭を研究していることを明らかにしている。素直にこれらのポストを受け取るならば、さくまサンは本学の教員・大学院生・学部生のどれかであると考えられる。(在野の研究者が学習院大学内で作業をしたり、授業を受けることは考えにくいため。)その中でも特に学部生である可能性が最も高い
 まず、教員である可能性は早々に否定できる。なぜなら学習院大学は教員の一覧をネット上で公開しており、そこに彼の名前はないからだ。また、教員が授業を受け、テストをするというのも不自然だろう。つぎに院生である可能性だが、これもないと思われる。ここでは彼の研究内容に注目したい。彼の専門は鮭についてである。しかしこの研究をするには学習院大学はあまり適していない。生物系の教授や助教には蚕やゾウリムシを研究している方がいるが、魚類についての研究は少なく良い環境とは言えないだろう。残るは学部生だけとなるのだ。

「くまさん」は大学生になれるか


 しかし、「くまさん」である彼に入学の可能性はあるのだろうか。令和6年度一般選抜募集要項において、入学試験を受けることのできるものの条件の一つに以下のような記述がある。

高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認められる者

令和6年度 一般選抜募集要項

この内容を見るに、「くまさん」であろうと学力さえあれば本校に入学することは可能である。プロフィールにあった通り日本語が堪能であるほど賢い彼なら入学試験を突破する能力も有しているだろう。
 しかし、さくまサンが学生であるという仮定にはもう一つ疑問が生じる。それは誰も彼を教室で見たことがないということだ。確かに学祭に現れるような「本来の姿」の彼を授業で見たことは誰もないだろう。しかし彼は形を変えることができる。もう一度先ほどの投稿を見てみよう。

この投稿のさくまサンは、明らかに小さい。しかし意思を持ってSNSへの投稿もできている。このことから彼の並外れた能力をそのままに、さくまサンはその体の大きさを自在に操作できると考えられる。この能力を用いれば授業に忍び込むことは容易である。彼は隠れながら授業を受けていたのだろう。彼の苦労は十分に理解できるところだが、ここで一つ重大な問題が浮かび上がる。そう、さくまサンは学部にいる期間があまりにも長すぎるのだ。

さくまサンは本来「除籍」されなければならない

除籍の条件

 結論から述べてしまうと、さくまサンの在籍期間を鑑みれば除籍が妥当と言えよう。学則第42条にはこうある。

在学年数は、8年を超えることができない。ただし、編入学の者は、6年を超えることができない。

学習院大学学則

この条文と照らし合わせると、さくまサンは実に長い期間本学に所属しており、処罰の対象とならねばおかしいのだ。以下で丁寧に検証したい。

さくまサンの入学年

 まず、さくまサンの入学した年はいつなのだろうか。古い記録はほとんど残っていないため、Xの最古の投稿を仮に入学と考えよう。

以上の投稿が最古のものであるから、それは2011年12月となる。既に年の瀬であることを考えれば、入学年は2012年だろう。2024年現在、実に12年が経過している。これは学則が定めるところの8年という規定を大きく上回っているのだ。このことから学部生であるさくまサンは除籍されねばならないと私は結論付けた。

除籍されない理由ー先住民仮説

 最後に、彼がなぜ除籍されないのかについて考えたい。ここで提唱したいのが冒頭にも述べた「さくまサン先住民仮説」である。押さえておきたいのは以下の三つのポイントである。

  1. 学習院が目白へ移転した年、1908年

  2. さくまサンの冬眠期間「100年」

  3. 目覚めた年、2011年

 この仮説の筋書きは以下のとおりである。
1908年、それ以前は四谷にあった学習院は目白へ移転してくるのだが、そこにはすでに住人がいた。それが後のさくまサンである。しかしこの年頃の冬は寒く、彼はうっかり眠ってしまった。(実際、1910年頃は例年の平均に比べ年間気温が1度ほど低かったデータがある。)
これが100年間の冬眠の始まりである。約100年後、彼が目覚めたのは2011年頃の学習院大学内である。ここでさくまサンは土地の所有権と大学への通学許可を主張し、学習院側と密約を交わすことになる。それが「目白の杜に暮らすことと通学を許可する代わり、大学の広報大使として働く」という内容のものである。こうしてさくまサンは学習院大学の広報大使となった。

 このような内容であれば大学側がさくまサンを除籍しない理由も理解できるし、よく考えればおかしい「キャンパス内の森にすむ熊が広報をする」という状況にも説明がつくだろう。

まとめ

 本noteではさくまサンを学習院大学の学部生と仮定したうえで、学習院の目白への移転時期や冬眠期間といった記録、Xの投稿などをもとに「目白の杜の先住民」であると断定した。そのうえで本来除籍されるはずの彼がそうならない理由を明らかにした。私が理論止まりとなってしまった、さくまサンのサイズ変化や隠れて授業に出ている様子を実際に観測することは後学に任せたい。

あとがき

100年絶起神話の崩壊 

 さて、最後に申し上げたいのは「さくまサンの冬眠」についての評価である。冒頭に述べたように彼の冬眠を「絶起」と表現するものはしばしばいる。しかしこれは広義での「絶起」には当たるが、大学生が用いるような「寝坊ゆえの欠席」とは言えない。これは寝坊してしまう生徒が自らを正当化するためにさくまサンを利用したに過ぎないのだ。そう、さくまサンは絶起していない。

参考サイト・資料



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