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思い出話。そして働くとは何か。

弊社副代表の柳鶴もnoteを始めたので俺も頑張ってみようと思います。今日は黒霧島を飲みながら思い出話と働く事について自論を適当に書きます。自分の思い出話メインなので暇な人のみ読んで下さい…笑

まずは昔話から。
学生時代、ダンスに明け暮れていた。どうしてもダンスを仕事にしたかった。理由は2つ。1つ目は「単純にダンスが大好き」。大学のキャンパスライフを楽しむよりも毎日スタジオに通ってダンス仲間と切磋琢磨する方がずっと楽しかった。そんな大好きなダンスを職業にしたかった。2つ目が「普通の仕事がしたくない」。この頃は"普通の仕事"がなんなのかも良くわからなかったけど、とりあえず人と違う事がしたかった。

働くという意味で自分に課した最初のミッションは"プロダンサーになる事。"

"ダンサー"という職業はどこからがプロなのか曖昧な世界なので自分ルールでプロの定義を決めた。

プロダンサーいけたくルール
◆一流アーティストのツアーダンサーになる事
◆有名なダンススタジオのインストラクターになる事

この自分ルールは20代前半でクリア出来た。クリアしたタイミングで休学していた大学も辞めた。

その頃、人と違う事がしたいという性格からダンスイベントのオーガナイズも始めた。

オーガナイザーとしてのミッションは"沢山の人にUNIONというイベントを認知して盛り上げて利益もしっかり出す事"

継続は力なりで3ヵ月に1回500人規模のイベントを10年間続けた。UNIONのおかげで今でも繋がっている沢山の大切な仲間達に出会えた。

ただ、このUNIONでは沢山の失敗もしてしまった。未熟者だった自分は人への感謝を疎かにしてしまった時期もあり深く反省。人対人の難しさも学んだ。

プロダンサーとして数々の現場を経験しながら次のミッションを追加した。それは"有名なプロダンサーになる事。"

クラブイベントにゲストで出たり映像を作って発信してみたり色々な事を試してみた。

試行錯誤しているうちに先輩や仲間達に認めて貰い仕事の幅が拡がっていった。自分のライフワークに"振付師"という職業が追加された。

ここでポイントなのは、仕事の幅が拡がっていった理由は、「自分の力ではなくその姿を見て信頼してチャンスをくれた先輩や仲間達がいたおかげだ」という事。自分が頑張るのはビジネスの土俵では当たり前で、更に他人の力が必ず必要となる。

20代後半、"そこそこ有名なダンサー"にはなれたが"圧倒的"にはなれなかった。なので半分ミッションクリア。笑

努力不足も勿論なんだけど持って生まれたオーラだったりルックスだったり運だったり…その頃圧倒的に有名だった日本人ダンサーには正直敵わないなと思った。自分を俯瞰で見る事も時には凄く大切だ。

その頃、音楽業界で圧倒的な存在として結果を残していた祖父が亡くなった。編曲家として数々のヒット曲を世に生み出した祖父。いつも周りに人がいて沢山の人に愛されれていた。お葬式には音楽業界の超大物達が沢山駆けつけていて涙を流し祖父の最後を見送ってくれた。

その時に"自分も必要とされる人間になりたい"と強く想い、ダンスの会社を作る事を決心した。

もちろん次のミッションは、

"ダンス業界に貢献してダンサーの役に立つ"

だ!!

企業して1年目は誰も相手にしてくれなかったし仕事を貰う方法すらわからなかった。副代表の柳鶴が必死に泥臭く営業を頑張ってくれて少しずつ問い合わせがくるようになった。あの泥臭い営業は俺には真似できない。この時に組織の強さを痛感した。勇者がいて魔法使いがいて白魔導士がいるから魔王を倒せるのだ。

それから数年愚直に丁寧に仕事をして少しずつ少しずつ信頼してもらい、今では沢山のクライアントの方々にダンスを使った企画の相談をいただけている。

今はまだ"ダンス業界に貢献してダンサーの役に立つ"というミッションの真っ只中だ。まだまだ至らない点も沢山あるだろうし勘違いされている事も沢山あるだろう。

この大きなミッションをクリアする為に自分なりに挑戦し続けていきます。

働くとは何か。正直自分は今働いてる感覚があまりない。自分が何になりたいか。何をしたいのか。自問自答を繰り返して掲げた"ミッション"に対して継続して愚直に努力する。その結果、働いている事とイコールになっている。

今はそんな感じです。さぁ明日は月1のプライベートレッスンだ。楽しみ!


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