見出し画像

異文化交流の学生の視点

(2020年3月24日火曜日)

 前回の記事「交流を通じた文化と学び」では異文化交流にあたって、国際交流プログラムホスト国の学生が緻密な事前準備をしていることについて触れた。
 今回の記事では彼らの事前準備にフォーカスしつつ、異文化交流プログラムの今後の課題についても触れてみたい。

 アジアのホスト国学生はプログラムに向けて、3~6ヶ月にも亘って事前準備を行う(無償のボランティア)。彼らの尽力無くしてプログラムは成り立たないと言っても過言ではない。
 
 彼らは特別なスーパーマンなどではない。私たちと同じ普通の人間だ。外国人慣れしているわけでもなく、むしろ外国人と交流したことがない学生がほとんどだ。
そんな彼らはなぜプログラムの準備という地味な役割を買って出ようとするのか、と不思議に思うかもしれない。彼らに尋ねると決まってこう答える。
「自分のスキルを高めたい。自分を向上させたい。」
自己成長に貪欲な学生たち。この貪欲さに毎回私は圧倒される。
 
 貪欲な学生たちが本気で作り上げられた作品(国際交流プログラム)が見応えがあるものであることは、以前に紹介した論文で記したので読んでみてほしい。 ベトナムと日本の学生による交流プログラムには日本、ベトナムからそれぞれ10名を選抜する。ここではベトナムの現地の学生を例にあげてみよう。

 ベトナムは社会主義国であるが国策として外国の文化から積極的に学び取ろうとしており、上位層大学生たちの外国語運用能力、とりわけ英語力は卓越している。彼らの特徴は、ベトナム国内で主に個人学習で英語を習得していることにある。ベトナムの学校の英語授業は日本のそれと大差なく、概して実用的ではない。
 
 ではどのように英語力を身に着けるかと言うと、努力、努力、そしてまた努力である。「日本にいては英語はできるようになれない」などと言う戯言を言う学生にぜひ見せて上げたい集団が参加してくる。
 
 ただし、必ずしも、英語が上手いから外国の知識にも優れているというわけではない。少なくとも日本に関しては教科書のステレオタイプの知識であることが多い。たとえば日本のイメージなら富嶽三十六景に描かれるような富士山やアニメ、秋葉原のオタク文化、サムライなどの固定化したイメージだ。

 プログラムで家から離れて2週間も外国人と生活を共にする機会は両親の心配を招くことすらある。ベトナムにしろネパールにしろ、大学生の親世代は外国に対して驚くほど保守的だ。
 しかし、実際2週間のプログラムが終わると「めちゃくちゃ良かった」と感動の声が飛び出す。外国人である日本人と2週間一緒に過ごす経験は彼らの心に果てしなく大きな文化的刺激を与える、自国のクラスメートともこんなに長い期間一緒に過ごしたことがなかったと口を揃えていう。
 
 彼らと過ごす2週間は私にとって学びが多くかけがえのない時間である。ただ、プログラムの最後に決まって思うことがある。
「いつか、目の前の日本の学生たちがしている経験を現地の学生にもさせてあげたい。」
 プログラム終了後、日本人学生は現地の学生と空港で見送ってもらう。毎回感動のシーン。
 日本の学生たちは、あたかも著名な芸能人であるかのように派手に見送られ夢心地だろう。涙を流して別れ、搭乗ゲートで美しい思い出に浸り、飛行機に乗って帰国。贅沢すぎる程の素敵な異文化体験。ただ、現地の学生たちの視点に立つと少し違うストーリーとなる。

 プログラムが終わり、空港に向かう。彼らの心の声
「日本人はいろんな国を旅できていいな。プログラム中から、次はどこの国に行くとか話していた。それに比べると私たちは金もないし外国など夢のまた夢だ。」
 空港に到着して涙のお別れ。
「また絶対に来てね。私たちはあなたたちに会いに行くことはできないのだから。(うらやましいなぁ)」
 心から親切な彼らは、日本の学生が視界から消えるまで大きな笑顔で手を振り続ける。そして静かにそれぞれの住む場所に戻り日常生活を継続する。
 
 
 いつか日本で同じプログラムを開催し、日本の学生がベトナムやネパールの学生を空港で見送る状況を作り出したい。これが私の今の夢だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?