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【連載】コロナ禍備忘録#2

「【連載】コロナ禍備忘録」は、単に私がコロナ禍に経験したことを書き留めることを目的とします。とりわけ何かを社会に訴えたいわけではありません。

前回の記事はこちら。https://note.com/ikes822/n/n91ddae3082e1

(写真は2020年3月12日にインドネシア入国時、検温後に手渡された「コロナ陰性証明書」。しかし、どう見ても「コロナ陽性証明書」にしか見えない。当時の混乱が伺える貴重な資料である。)


ネパールから帰国後(学会発表に向けて)

 ネパールからネパールから帰国後の日本は「ダイヤモンドプリンセス号」事件一色であった。しかしながら私は、職場の通常業務に加えて間近に迫る国際学会発表の準備に汲汲忙忙。コロナのことを考える余裕すらなかった。加えてネパールで紛失したスマホの購入手続きという邪魔な作業も加わり、もはや鬼の形相で昼夜を問わずただひたすらに働き続けた。同じ屋根の下には、大学受験に全敗し浪人が確定したばかりの二男がひっそりと漂っていたが、余裕のない私はただ一言「お疲れ!頑張れよ」と言い放つのが精いっぱい(ひどい親)。
 だが、必死の努力も空しく、出発前に発表準備を終えることができなかった。シンガポール経由でバリ島に向かう機内でも、さらに現地のホテル到着後もひたすら作業を続ける羽目になった。準備が完了したのは、発表当日の朝方。いつも通り、計画性の乏しさを悔い自己嫌悪に陥りながら発表に臨むこととなった。

インドネシア、バリ島での国際学会発表

 ただし、努力の甲斐があり、長年取り組む国際交流プログラムを通じて得た知見は、思いの他高い評価も得た。とりわけ、夜の懇親会で某英語圏出版社から書籍化という過分なオファーまで頂いた時には、卒倒するかと思うほど驚いた。教育研究者として、自身の研究や実践が認められることほど幸せなことはない。しかも、大学関係者であれば誰もが知る信頼のおける出版社。しかし、英語で本を書くことがどれほどハードルが高い作業であるか、私自身が一番よく知っている。引き受ければ、そもそも発表の題材となった国際交流活動に割ける時間が間違いなく減ってしまうのは明らかだ。ということで、‘もったいない’と後ろ髪を引かれつつも「また次に機会があればぜひ」と丁重に辞退した。

閑散とするバリ島観光地

 学会の三日間は会場兼宿泊先であるホテルに缶詰めであったが、最終日に学会主催のツアーで半日間だけ島内観光をする機会を得た。周囲に知る人は少ないが、私は実はかなりのバリ島通であり、島内の観光地のみならず、現地の高等教育機関まで一通り把握している。なので、初心者向け島内観光には興味は持てないが、学会参加者や案内してくれる現地大学生と交流を深めるのには絶好の場だと思い参加した。そのツアーで計らずもコロナ禍の深刻な影響を目の当たりにすることとなった。

 普段は観光客でごった返しているはずの場所に閑散としているのだ。タバコを吸いながら、手持無沙汰に私に笑顔を向ける案内所の係員に話しかけると、3月に入って外国からの客足が急速に減ってしまったそうである。観光業で成り立っている島の方々に取ってまさに最悪の事態だ。「このままだと私は職を失ってしまう」という悲壮な嘆き節を、何人もの現地の方々から耳にした。バンコクだけでなく、バリ島からも客足が遠のいている。

「コロナ禍は相当に深刻なのかもしれない。」

デンパサール国際空港の異変

 帰国の途に就くデンパサール国際空港でも異変が起こっていた。観光地は閑散としているのに、なぜか空港は未だかつて見たことのないほど大混雑していた。さらに電光掲示板には`Delay’(出発遅延)の表示が目立つ。私の乗る便も例外ではなかった。「一体何事か」とチェックインの係員に訊ねると、島に中長期滞在していた外国人が、帰国を早めて一斉に空港に押し寄せたのだそうだ。インドネシアのみならず近隣アジア諸国でも似たような状態らしい。

 私の大好きなインドネシアの人々から笑顔が消えていた。

 飛行機が、トランジットのシンガポールに向けて離陸したのは定刻より三時間遅れの20時。機内放送によればチャンギ空港到着予定時刻は23時20分とのことだった。チャンギ空港は巨大。日本行きの乗り継ぎ便への乗り換え時間が短くなることが気になったが、きっと係の人がうまく誘導してくれる。いつだってそうだ。私は、足元の延ばせる非常口座席で久々にゆったりとした時間を過ごしていた。

シンガポール行き機内での混乱

 離陸から一時間半ほど経過した頃だったであろうか。機長からアナウンスが入った。

「チャンギ空港からの情報によれば、シンガポールでは、コロナ感染の影響により日付が変わって3月17日午前0:00から、外国からの入国が制限、もしくは禁止される模様です。詳しい情報についてはわかり次第随時お知らせします。」(英語とインドネシア語での情報)

 この飛行機は16日23時20分にチャンギ空港に着陸予定。あの巨大空港で僅か40分足らずで入国を済ませることなど至難の業である。突然のアナウンスに機内のそこかしこで騒めきが起こった。そして真っ先に声を上げたのが私の隣に座るインドネシア人男性。

 彼は、目の前に座る客室乗務員に血の気の引いた表情で大きな声で問いかけた。
「私はシンガポール国立大学に留学している学生なのですが、午前0:00を過ぎたら私は入国できなくなってしまうのですか。」
「詳しいことは私たちも何も聞かされていないのです。情報が入り次第できるだけ早くお知らせします。」

 彼と同じような状況にある方々が機内に少なくないのであろう。機内全体のざわめきが次第に大きくなり、あちらこちらからすすり泣きや怒号まで聞こえてきた。隣に座るインドネシア人学生はいても経ってもいられなかったのであろう。見知らぬ私に、大学入学までの苦労や人生の苦悩を必死に語り続けた。しかし私にはどうすることもできず、ただ耳を傾けて上げるしか他になかった。
 

 機長の報告通り、23時20分に着陸。慌てふためく乗客は我先にと慌てふためきながら機内を後にした。隣に座る彼には、一言 ’Good luck’と声をかけ握手をして別れた。その後彼らがどうなったのか知る由もない。しかし、降り立ったチャンギ空港は、突然の政府の方針転換に右往左往し、全体的にカオスであった。

 タイ、インドネシアに続いてシンガポールでも未知なるウイルスに右往左往する人々を観察しながら、事の深刻さに呆然としながら日本への帰国便に搭乗したのであった。

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