人生とは、一冊のアルバムである。
人生は、一冊のアルバムのようだなあと思ったりします。
今やデジタルカメラやスマホカメラの台頭で、プリントした写真をアルバムに保存することも少なくなったのかもしれません。
たまに実家に帰り、自分の部屋でゴロゴロしていると、昔撮られた写真のアルバムが目に入ります。我が家は祖父が写真大好きだったので、ぼくのアルバムだけで10冊以上、妹のアルバムとアルバムに入ってない分も考えると、優に30冊分以上あるかと思います。
余談ですが、「アルバム」という言葉はラテン語の「アルバス」に由来しているそうです。「アルバス」とは「白」を意味する言葉。
(白から転じて「善」の象徴とされるので、ハリーポッターに出てくるダンブルドアのファーストネームもアルバスです。)
そこから、「石灰」や「白い掲示板」という変遷を経て、写真などを貼るアルバムとなったそうです。つまり、アルバムとは、白い台紙に自分の人生を貼っていくもの。いわゆる「真っ白なキャンバス」です。
そんなアルバムと自分の人生を重ねたのは、つい最近自分が撮ったフィルムをプリントしてアルバムに挟んでいた時のこと。
プリント枚数とアルバムに入る枚数を考えていなかったので、写真が余っちゃったんですよね。そこで、ぼくは写真を取捨選択しなきゃいけない。
残したいものは残し、余分なものは外す。そんな行為が自分の「記憶」とリンクした気がしました。
残念なことに僕たちの記憶は不完全です。
忘れてはいけないことを記憶して、不要なものを消していかなくてはいけない。
全部覚えていられるなら写真なんていらないのになあと思います。
じゃあぼくたちは善く生きるためにどうしなきゃいけないかというと、一枚一枚の写真、人生でいう一つ一つの思い出を質の高いものにしていかなきゃいけないんです。
いつかある日ぼくが目を閉じるとき、「ああ、いいアルバムができたなあ。」と言って、幕を閉じられたらなあと思います。
いけぽん
サポートいただけると嬉しさで写真をいっぱいお見せする性格ですっ