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【ラジオ】イタリア通信:熱波とベルルスコーニ

2ヶ月に一度、西日本放送のお昼の生ワイド番組「CHIT CHAT Radio」内にて、
イタリアから生電話で、珍しい文化や暮らしでの発見、イタリアにあるニッポンを紹介しています。

2023年7月に放送した内容をまとめたものです。



現在、日本でも伝えられているイタリアニュースと言えば…


熱波


連日、イタリアの主要都市では、市民や観光客が熱中症で運ばれていると報道されています。

CNNのニュースでは、

ー 抜粋 ー
欧州宇宙機関(ESA)の気象専門家らによると、
イタリアのシチリア島、サルディーニャ島では気温が48度の最高記録に達する可能性がある。
ローマの最高気温は44度と予想されている。
イタリア当局はこのほか9都市に対し、最高レベルに次ぐ2段階目の警報を発令。
保健省は住民らに、水分を摂取して食事を軽めにし、
午前11時から午後6時の間は直射日光を避けるよう呼びかけている。
欧州では昨年、熱波で6万1000人以上が死亡した。今年も健康被害の拡大が懸念される。

CNN ニュースより

イタリアの一部でピークを迎える見通しです。
これが「新常態」になる恐れがあるとか。

私の住む街は、海に面した地域なので、そこまで上昇しません。
今週の最高気温は32度。
一方で、電車でおよそ1時間内陸に入ったフィレンツェでは、
盆地という地形から37度まで上がる予報。5度も差があるんです。
日中に外へ出ることは避け、早朝か日が暮れる夜9時なら行動しやすいんです。
フィレンツェに住む友人らは、日本に帰国したり、イタリア北部へ旅行に出かけたり、
暑さを避けるようにしています。

「熱波」はどこからやってくるのか


アフリカ大陸のサハラ砂漠から吹いてきます。
この風のことを「ギブリ」と言い、
アルファベットで「Ghibli」と書きます。

実はこの「Ghibli」、日本語だと誰もが知る言葉になります。
この文字を見てピンッときたあなたは鋭い!!

ん?と思う方、言ってみてください「ギブリ、ギブリ、ギブリ…」
なんだか、あの名前に似ている…


そう、




スタジオ…


「ジブリ」



ジブリの綴りは「GHIBLI」、サハラ砂漠に吹く熱風を意味するイタリア語です。
第2次世界大戦中に使用されたイタリアの軍用偵察機の名前でもあり、
飛行機マニアの宮崎監督が命名しました。
日本のアニメーション界に熱風を起こそうという思いを込めたネーミングだそうです。

スタジオジブリの公式HPより


なんと偶然にも、熱波と同じ時期に
「スタジオ・ジブリ」の話題が、今イタリアにも届いています!


日本で、7月14日公開となった映画、
『君たちはどう生きるか』(イタリアでは「How Do You Live」)

日本で、宮崎駿監督の最新作が公開された!と、時差なく話題が入って来ています。
ですが、その内容は日本で伝えられているように、
宣伝や内容の情報がなく、公開され、観客の声が届けられているんです。


イタリアでは、NetflixやApple TVのみでジブリをオンラインで見ることができます。
それ以外は、DVDを買ったり映画館での上映イベントを行ったり。

ですがファンは多く、本屋やマンガ専門店でグッズを見ることもあります。

当然ですが、こちらでは「ギブリ」と呼ばれています。


まさに、宮崎駿監督が込めたように、スタジオジブリの熱風は世界中で吹いています。



戦後のイタリアで最も有名な政治家


先月、イタリアで今年最大の一番大きなイタリアのニュースがありました。

戦後のイタリアを大きく変革させた世界で最も有名なイタリア人政治家と言えば、


Silvio Berlusconi 
シルビオ・ベルルスコーニ



4月に白血病に関係する肺感染症のため、治療を受けていましたが、
6月12日に亡くなりました。86歳でした。

ベルルスコーニについて

1936年、ミラノに生まれ。
掃除機のセールスマンとしてキャリアをスタートし、後に建設会社を設立。
戦後の経済が向上するであろうミラノ郊外にマンション群を建て、それが大成功。
さらに、ローカルテレビから始まり、地方テレビを買収し全国ネットの民間テレビ放送網を築きました。
(日本の民放テレビよりも30年近く遅いようです)
さらに出版社、広告代理店などを傘下に収めてビジネス帝国を築き上げ、
イタリア屈指の大富豪「メディア王」と呼ばれるほどに。

1986年には伝説的サッカークラブのACミランを破産から救い、
オーナーとなって国際的な知名度を獲得。

1990年代になると政界に進出。既存政党を破って政界再編を主導し、首相に就任。
合わせて9年余り勤めました。在任期間は、戦後のイタリアで最も長い。

ですが、政治家としての功績よりも、贈収賄、脱税、買春、マフィアとの癒着など
数々の疑惑で報道されていたように感じます。なんと36回もの裁判が行われました。
何度か有罪判決を受けたましたが、年齢と時効により服役を免れたようです。

で、結局ベルルスコーニは、何を変えたのか…
・選挙に関する法改正、
・公共の場での喫煙禁止
・移民に関する法律
・大都市を結ぶ高速鉄道網や都市の地下鉄の構築など

どうしても、マイナスな面で報道されることの方が多かったせいか、
あまり良い印象を持っていませんでした。


イタリアでは、首相クラスの政治家が亡くなると、
法律で国葬をすることが決められています。
政府は14日、イタリア全土で喪に服す日と定められました。

ベルルスコーニ経営するテレビ局では、
CMではなく、「哀悼スポットが流れました」
「人生を捧げてくれてありがとう。
大きな愛情をありがとう。
常に私たちの中に生き続けるでしょう。」

国葬は、ベルルスコーニが亡くなってから、わずか2日後に執り行われました。
驚くべき早さだと思いませんか?
あらかじめ「X-day」に向けて秘密裏に各部で準備して来たことが伺えました。

私が見た映像は、霊柩車が田舎道を通り、街の中に入っていく空撮からです。
ずーっと追いかけているんですよ。沿道には見送る市民。
街の中は青信号で突き抜けていく車がずっと映像で追われています。

国葬は、ミラノの大聖堂で行われました。

大聖堂前の広場にも駆けつけた人たちが静かに見守っています。
中には、大きな旗を振って声援が聞こえました。
サッカーのACミランのサポーターたちです。


中の様子ももちろん中継されます。
祭壇では祈りが捧げられ、花をたむけ、歌が歌われる…
祭壇を前にし、右側には、元妻や跡取りの息子や娘、新しい彼女、親族、
親類、有名人などが並んでいます。
そして反対側には、政界の、テレビで見たことあるおじさんやおばさんが勢揃い。
マッタレッラ大統領やメローニ首相も最前列にいました。
これほどまでに、一度に姿を見ることは今後ないかもしれない面々でした。


見ていると、全てが計算されたものなのだと改めて感じるのです。
座る順番、カメラの位置、外のメディア席、参列者の導線。
車の出入りや乗降する場所、見物客の位置、警察、警備員、市役所の体制など。
あらゆることを「X-day」に向けて緻密な計算が行われていたんだなと、
振り返って考えずにはいられませんでした。

しかしその中継は、電波が途切れたり、音声が届いていなかったりで、
元ラジオDとしては、残念な部分が大いにありました。
メディア王が支配したテレビなのに…



メディア王の遺産は


巨万の富を得ていたベルルスコーニの遺産や相続についての話題は、
1ヶ月も経たないうちに報道されたました。


米フォーブス誌によると、ベルルスコーニ氏の遺産は64億ユーロ。
1ユーロ=154円で換算すれば、約9856億円と1兆円に迫るものだ。

首相時代に世界のリーダーをもてなした豪奢な邸宅や別荘などの不動産、高級ヨット、ジェット機、ヘリコプター、美術品のほかに、メディア企業や資産運用会社を傘下に置く一族の持ち株会社がある。

ベルルスコーニ氏の死後、3通の遺言状の存在が明らかになった。
遺言状は7月5日に公開され、相続人が8人いることが判明した。

8人のうち5人は実子である。
最初の妻との間に生まれた長女(56)と長男(54)。
2人目の妻との間に生まれた次女(38)、三女(37)、次男(34)だ。

この5人の実子のほかに、3人の相続人が明らかになった。

ベルルスコーニ氏の実弟(73)、
脱税やマフィアとの癒着などの容疑で実刑判決を受けながら、長年元首相を支えた盟友(81)、
そしてベルルスコーニ氏の「最後の彼女」であるマルタ・ファシーナさん(33)だ。

ベルルスコーニの後ろに写る女性が最後の彼女。53歳年下です。
葬儀の間、ずっと泣いていました。
どのシーンを見ても悲しみに包まれている。
いや、そうする以外の姿は世間から認められないでしょうね。
遺産が目的だと誰もが見ているから。
実子らからは、法的に「妻」としても認められていなかったようです。

これからもしばらく、ベルルスコーニの相続に関する話題は続くと思われます。


スーシェフになるのか!?

最後に報告です。
「Sushi を作ることになった!」転職の経過です。

イタリアンレストランのハッピーアワー時間帯に、
Sushi を提供しています。毎日作っていますが人気が停滞中。
Sushi よりもフリット(揚げ物)の注文が多いです。
夏の暑い日には、ガツンとした揚げ物の方が好まれているのでしょうか。

さて、意外なことが起こりました。

働き出して1ヶ月経たない頃に、
サラ・ジェシカパーカー似のシェフからあることを提案されたました。

「あなた私のスーシェフになって」と。

えっ!?
ついこの前まで、ウェイトレスだった私が?

料理は全く知らずに、結婚してからするようになりました。
家では、イタリアンと和食と、中華や韓国料理を作りますが、
四十路を前に、いきなり料理の世界に入ることになるのでしょうか?

あなたは今までどこにいたの?ずっと探していたのよ!」と、
まるでプロポーズ!夫にも言われたことはない。

直接そんなことを言われると照れてしまいますね。
本当に褒める以外しないんです。
「夏の繁忙期が過ぎたら、私があなたに一から教えてあげる。」と。

かつてフィレンツェの留学時には、数多くの料理人を夢見る日本人を見てきました。
もう、彼らのイタリアンへの情熱は、もうオタクの域に達している人たちばかり。

他人事でしたが、私も料理人に?
いまだに驚いています。今後どうなるかまだ誰にも分かりません。

作業の仕方や食品の管理、掃除、仕事への姿勢など、
ほかのイタリア人とは違うなとは感じています。そこを認められたのかも。

日本の企業と仕事をしたいなと、ずっと目論んでいるんですが…。
次回のイタリア通信ではどうなっているのか。
また報告しますね。

Ciao ciao a tutti!

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