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「運命の人」現る

出会い不意に

ニュースチェックは毎朝の日課。
イタリア国内はもちろん
日本の出来事も主にSmartNewsで見ている。
これは、コロナ以前からの習慣で、
隔月で行っているラジオ中継に
抑えておくべき時事ネタや
時代の流れを掴む目的で続けている。

今の暮らしは、「ビジネス」とは程遠い。

イタリアに来る前は、
地元のラジオ局で制作として番組を手がけていた。
人生を変えるべく、イタリアへ語学留学を決めた。
それから縁あって結婚し、ここで暮らし続けている。

イタリアで住むようになり、
人生において一番大きな部分は、"仕事ではない"
ことに初めて気付かされた。
彼らは、家族と過ごす時間や趣味に満たされた週末など、
いかにして仕事以外を充実させるかに重きを置いている。
その反面、失業率の高さや賃金の低さなど、
もっと国全体で変わるべき問題もある。

先日、プレジデント・ウーマンのある記事で、
衝撃を受けた。

夫の転勤で、突然専業主婦になった私が
「売り上げ700円」からどう起業で成功したか


一人の女性の物語。
私が求めていたのはこの人だ!!

研究職に没頭した日々から抜け出し、
新たな人生を謳歌するために外資系企業に再就職。
ビジネスウーマンとして熱心に働いていたある時、
移動発令と同時期に妊娠発覚。
さらに、夫の海外転勤が決まるという好機が一度に訪れる。
無事出産するも育休を経て、職場復帰せず専業主婦に。
異国で知り合いもいない中、
閉ざすうちに心は泣きもがいていた。
キャリアを捨てて子育てに専念する生活に疑問を抱いた。
大手企業を離れ、自らお金を生み出すことの難しさを知る。
そんなある日、アフィリエイトという成功報酬型広告に出会う。
もともと持ち合わせていた読書家や要領や良さから本領を発揮。
起業にまでこぎつけ、現在、世の悩める女性たちに
救いの手を差し伸べている。


彼女が運営する、女性のためのビジネススクールは、
受講者延べ300人を超え、皆人生が変わったという。

メルマガやLINE、YouTubeなどを駆使し、
平凡だと思っている女性たちが、
自らの才能を伸ばし輝けるよう
アドバイスを常に送り続けている。

この記事を読んで、いても立ってもいられなく、
すぐさまサイトへアクセスした。
血が騒いでいるのが分かる。

挑戦と失敗

このサクセスストーリーのどこに惹かれたかというと、
彼女も海外でもがいていたこと。
道端で販売している年老いた女性よりも、
お金を稼ぐことができないことに悔んだ。

本当に同感としか言いようがない。

私は、日本人だと誇りに思っているが、
彼らから見ればただのアジア人の一人にすぎない。
そして、仕事をやめたらただの女性になったこと。
異国では、言語を取得できないとそれを武器にしにくい。
仕事を見つけられない歯がゆさをずっと感じていた。

彼女は、アフィリエイトを始めるにあたり、
例のごとく本を読み漁った。
素直な性格なため、そこに書いていたことを実行に移した。



300種のブログを立ち上げ、
それぞれに何本もの記事を投稿せよ。


熱心な勉強家であり、元研究者であることから
とことんまで突き詰める力は抜きるんでいる。
しかしながら、結果はわずか一ヶ月700円。
それでも、お金を生み出せたことに喜んだ。
金額よりも、この経験をリサーチと考えて、
読まれているブログを伸ばしていった。


どこまで行っても前向きな姿勢に敬意を表する以外ない。



私も4年前にブログを始めた。
もちろん、アフィリエイトの。
商品を売るための紹介サイトやブログを10個作った。
(これでも少ないとは思っていなかった…)
結果は、彼女と同じで生活をガラリと変えるほどではない。
ネットを使って稼ごうと思ったが、うまくいかなかった。
彼女と比較すると、ただの努力不足だと気づく。

ちょうどこの頃、我が夫が職場で事件に巻き込まれ、
仕事を辞めることにした。
イタリアでは、嫉妬から悪意ある行動を取る人がいる。
そんな奴らとの縁は切ってしまえ!と辞めることを勧めた。

とは言え、生活が脆弱なると危機感を募らせた私は、
あらゆる店へ履歴書を持って行くことにした。
最初に訪れたのは、近所にある日本食レストラン。
ところが幸運にも、その場でウエイトレスの採用が決まった。

ついに社会に交わることができた。

  

   

私の求める場所とは

日本食レストランで働き始めてから、
お金をもらえる嬉しさがあった。
パートなので、月に8万円ほどの収入。
後に、昼も夜も働くことになった。
それでも私の収入は約12万円。
しかしながら、半ブラックという状態。
これが珍しくないことだと分かった。

なるべく贅沢せず、貯金に回し、
2年に一度の帰国するだけという節約暮らし。
収入が少なすぎて、子どもを育てることにも躊躇している。

また、昼と夜に働くということは、
一日の大半を費やすことになる。
気にかけないと仕事だけの日々になる。
小さなレストランの中が世界の中心になってしまう。
これが私にとっての一番の恐怖である。

日本だったら、最低でも月に20万円は稼げる。
ならばこのまま、日本に移住して働く方が、
もっと稼げるのではないか。
ここより、チャンスが多いのではないか。
好きなラジオの仕事に戻れるのではないだろうか。
夢である都心で働けるのではないだろうか…

などと何度も何度も自問自答し答えを導き出していた。
気がかりなのは、高齢の一人暮らしである義母。
彼女を置いて行くことはできない。

再度立ち止まって考える。
イタリアを離れて本当に幸せなのか。
イタリアを充分に知り尽くしてきたのか。
追求してきたのか。人に語れるほど経験があるのか。

その答えはどれもNOだ。
このように、常に葛藤しながら暮らしてきた。

そんな悶々としている中、この記事を読んだ。

私が今まで感じていた悩みを
解決できるかもしれないと直感が働いた。
彼女の考えは細分化され、言語化していることで、
自分の進みたい道筋が見えてきた。

まだ、彼女について学び始めて、3日目で鼻息荒い状態。
何かやれる気がする!
自分らしく働ける気がする!
イタリアで暮らしながら稼げるかもしれない!
などと、意気込んでいる。

よく、フランクフルトとロンドンにいる、
小中学時代の同級生と連絡を取っている。
彼女たちは、日本の企業で働いていて、
しっかり就職し、英語やドイツ語で挑戦し続けている。
一方で、子育てしていなくて、パートという私。
虚しすぎる。これで良いのか私?
このままでは絶対良くない。
絶対変わらなければ!


これから、どのような選択をしていくべきか、
ここに実況していこう。




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