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【イタリア】戸籍制度が根源!夫婦別姓を認めよ

おませな女子たちは、自分の名前と好きな男子の名字とを組み合わせて、
しっくりくるだの、演歌歌手みたいだのと言いながら、
ただ書いて並べるだけでドキドキワクワクした。

女子たちは子どもの頃から、結婚すると苗字が変わることが
当然だと思って育ってきた。

私はイタリア人と結婚した。
note ではイタリア感を出すために、夫の名字を使っているが、戸籍上は池本を貫いた。
なぜならば、イタリアの考え方に賛同したからだ。
その理由はもう少し先で述べよう。


日本では、結婚すると女性はほぼ自動的に夫の姓を名乗る。

それがいい、それでもいいと思う人もいる。
逆に、珍しい名字なら持ち続けたいと、夫側に変更してもらう人もいるし、
子どもにその名を託す家庭もある。
また、功績や愛着から結婚を諦める人がいるのも事実。

喜んでいる人もいれば、そうでない人もいる。


抜け道は外国人

もし、自分の名字を貫きたいと思うなら、外国人との結婚で解決できる。

日本人が外国人と結婚する場合には、名字を選択できる
自分のままで行くか、相手の名字を名乗るか。

なぜできるのか?

Chat GPT に質問してみた。

日本では外国人との結婚に際して苗字を選択できる理由は、以下の通りです:


1. 国際結婚の特殊性: 異なる国の法律や慣習に対応するため。
2. 外国の慣習への配慮: 多くの国で夫婦別姓が一般的であることを尊重するため。
3. 法的整合性の確保: 国際結婚における法的問題を最小限に抑えるため。
4. 生活の円滑化: 柔軟な対応により、国際的な手続きや社会的関係が円滑になるため。

ChatGPTによる説明


要するに、外国人と結婚する場合のみ、柔軟性が求められるため選択ができる。

日本という脳みそは、ほんの一部、しかも外国に向けた部分だけが、異常に柔らかいのだ。


戸籍バラバラ事件

結婚前に帰国した際、戸籍謄本などの書類を取りに市役所へ行った。
窓口で、苗字が変わるとどうなるか質問をした。
すると、

窓口の女性は、

「結婚すると、全ての人が親の戸籍から抜け、妻は夫の戸籍に入ります。
相手が外国人で日本国籍を持っていない場合、日本国籍のあなたが、戸籍の筆頭者になります。名前を旦那さんの苗字に変更するなら、カタカナ表記にした戸籍です。変更しなければそのまま。いずれにしても、旦那さんの名前や生年月日などの情報は、あなたの下に記載されます。」

私が、日本での家族の筆頭者。
夫のことは、外国人として、私の戸籍の「下」に記されると。
変えるなら「カタカナ」。…うん。

さらに担当者は、

「もし、あなたは変更せずに、お子さんが日本国籍を取得し旦那さんの苗字にする場合、出生届にその旨を記入し、旦那さんの苗字でできたカタカナの戸籍が作られます。ですので、あなたの戸籍からも抜け、お子さんが筆頭者となります。子どもだけ一人の戸籍です。」

マタカタカナ…子ども一人…

そして、最後に一言を放った。

「親と子どもの戸籍がバラバラになります。」

バラバラ…事件ですか。

胸にわだかまりだけが残った。
ぶつけようのない歯痒さ、誰かに聞いてほしいもどかしさ。
たった一つの質問に対し、不快な気持ちになった。

特に、留目の一撃。

「戸籍が一人でかわいそう?寂しそう?子どもなのに筆頭者?責任重大?」
ひとりぼっちにしてしまうような、悲しい感情を抱かせら・れ・て・いる。

だが、書類上の状態であって、現実生活ではそんなことは一切ない。
言葉の端々から、見えない何かに囚われて縛られているのだ。
それを私に押し付けようとしている。


戸籍に感情を入れてはいけない!

親世代くらいになると、そこに感情を入れ擬人化しがち。
狭い地域なら尚更、執着することが慣わしのように受け継がれている。
幸い、私の両親は理解がある。だから私はこのように育った。


イタリアで結婚

イタリア人と出会い結婚することにした。名字をどうするか。

イタリアの市役所で婚姻が成立して半年以内に、
自分の苗字を変えるか否かを決断し、
在イタリア日本国大使館へ届出なければいけなかった。

変えようかな。Sardelli という夫の名字を私も名乗ってみたい。でも池本も好きよ。
実をいう私も、名字を変えるものだと思ってきた。

こちらに長く住み、イタリア人と結婚した日本人に訊いたら、
みんな「旧姓のままで変更しないものよ」と。

これが、一般的なんだと知った。
外国人との結婚だからではない。


イタリアでは、結婚しても苗字を変えない

周りを見ても夫婦それぞれ違うし、インターホンにも二つの名字がある。
これが当たり前のことだった。


そもそも、「夫婦同氏」どころか「別姓」という考え方がない!
人は人。個人個人違うという認識なのだ。



名前=ID は変えられない


イタリアでは、自分の生まれた時の名前を一生通す

アイデンティティとは、日本語で「同一性」という意味。
つまり、変わることのない、自分を証明するもの
誕生日、出生地、目の色、血液型と同じ。

だから、銀行もクレジットカードも免許証も、身分証明するものは、
結婚をした後でも、全て自分の名前を使う。


イタリアの法律では、

妻は、自分の名前を放棄することはなく、結婚をして、
夫の姓を名乗ることができる。使用する権利が与えられる。

「できる」のがポイント。非公式の場面では夫の姓を名乗ることができる。
知人との会話、夫婦共同ビジネス、結婚式の参列、sns、子どもの学校やコミュニティ活動など。

公式な場面では、自分の本名だけが認められている。

義理の母に尋ねてみた。
「夫の名字をいつ使うの?」すると彼女は、
「うーん… 夫婦で予約する時くらいかな」と。

確かに、夫の名前だと滞りなく進む。
あと、夫が子どもの時に学校で使用したはず。
つまり、自分を示すために使う必要はなかったと。

こんなことから、私も結婚から半年が経つ前に、自分の名字を守ることに決めた。

日本の私の戸籍の下には、夫の名前がカタカナで記されているだけだ。

最近、兄の子どもたちから、同じ名字だから驚かれている。
叔母は結婚しても池本…


子どもの名前

イタリアでは、子どもの苗字は、父親の姓を受け継ぐことが一般的。
だが近年、母親の姓をつけることができるようになった。
また、両方を組み合わせることも可能に。

そして、日本と違うのが、両親が離婚した場合。
子どもの姓は変えないし、簡単には変えられない。

離婚し何年も会っていない親の名字を持つことで、悲しい思いをする子どもがいるのも事実。
名乗りたくない親の姓を一生背負うことになる。また、兄弟で名字が違う家庭もある。

しかし、イタリアでは名字の変更手続きは厳格なため、離婚だけでは正当な理由には至らないとか。

子どもがその名を貫くことに心理的負担がかかる。
そんな場合は、専門家のカウンセリングで感情の整理をしサポートするようだ。

元夫婦のあり方も日本とは少し異なっている。親は子どもに会う権利がある。
もし、親権がある母親が父親に会わせなければ、誘拐や拉致扱いになってしまう。

子どもの立場からみると、離婚したとしても親に会いたいと考える子はいるだろう。

イタリアでは、個人個人の名字を貫くために、親子で苗字が違うのはどの家庭もほぼ同じ。
表札は当然二つ並ぶ。ただそれだけ。
戸籍が云々だなんてない。


反対者 「戸籍が崩れる」

日本では、選択的夫婦別姓を反対する人は、まだまだ多い。

その理由の一つに、
「戸籍制度が崩れる。家族制度が壊れる。」

外国人と結婚した者、何らかの理由で、親と違う苗字の子どもは、
同じ戸籍に入れられない。

これを、戸籍が壊れていると言うのであれば、
私たちは、非国民で壊れている?壊しているということか?
核家族はもう死語になるほど当たり前のこと。
何なら、壊しにかかっても良い。
いや、むしろ、

戸籍制度が日本社会を壊している。
と、私は言いたい。

この制度を崩壊した方が、未来の子どもたちのためになる。
戦前のマニュアルに沿った、固執した考えの大人たちが、
子どもや孫の世代の首を締めている。

世界から取り残されるのも時間の問題。


もし、アメリカの大統領や世界を動かす有名人が、
「日本は時代遅れで、戸籍制度を使用している」とでも発言すれば、
日本政府はすぐさま憲法を改正するだろう。
例の、脳みその一部が、世間体を気にして行動するはずだ。

何十年もの間、女性たちは「こういうもんだ」と受け入れるしかなかった。
法律だから。婿入りした男性の場合も同様。

家族で、戸籍や姓を統一することに、寂しさや悲しさ、居心地の悪さを感じる人がいるのであれば、
見直すのが一番ではないだろうか。

もし、名字を断絶させたくなければ、子どもに託せばいいだけ。

それも、子どもができればのこと。我が家はできなかった。
でも、それについて義母から言われたことは一度もなく、実の親からももちろんない。


誰もが幸せになる方法


イタリアや諸外国が採用しているように、
役所では、戸籍ではなく「個人登録」をするようにすればいい。

誕生日や住所のほかに、新たな情報を付け足すだけのこと。
今や情報は全てデータ管理されているので、むしろ効率がいいのでは。

戸籍制度には、家系と紐付けされているので、
プライバシーの侵害リスク、差別や偏見につながることもある。
家族の情報をごっそり抜かれる可能性も否めない。
個人情報保護が当たり前の中、危険が潜んでいることを無視はできない。

戸籍制度を廃止できないならば、社会的に地位のある学者や肩書きのある人には、
特別対応する柔軟さを日本政府には持ってもらいたい。
才能や功績を蔑ろにしてはいけない。


あらゆるタイプを受け入れるダイバーシティな国を目指すなら、
結婚のカタチも、一つにこだわるのはもう止めにしよう。


これからの時代は、21世紀の若者の手によって、変えていかなければならない。

今、その分岐点に私たちは生きている。


#創作大賞2024
#エッセイ部門

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