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地震に慣れていないイタリア人の不思議な行動3つ


昨朝、地震があった…らしい。
私は気づきもせずに寝ていた。

イタリアの地球物理学火山国立研究所によると、午前6時25に地震が発生。

震源地は、街から15kmの沖合い。
震源の深さは約13km
マグニチュード3.5

その後、余震が4回続いた。いずれもマグニチュード2.0と1.7たった。 

ここ10年これほど大きな地震はなかったとこのと。この揺れを感じたのは、海に近い二つの街だけだった。 街から離れた海沿いに工場が並んでいるが、その中に、ガスのプラントがある。それを心配した新聞記事もあった。が被害の報告は一日経った今もない。



イタリアの活断層

ブーツの形をしているイタリアは、中央部分を縦断するように山々が連なる。これを「アペニン山脈」と呼ぶ。実は、この下に活断層が走っている。
2016年に発生したアマトリチャーナを筆頭に、大きな被害が出た「イタリア中部地震」は、まさにこの活断層の地域。

私の住む港町から、内陸へ100km入ると、フィレンツェにたどり着く。まさにこの街も活断層に近い山の麓となる。一度フィレンツェでも経験したことがある。

地震の怖さとは裏腹に、日本人の私は、温泉の出る地域とした目線でも見ている。やはり、この地域の水質は素晴らしい。



イタリア人の不思議な行動3つ

地震発生により、市民の行動が明らかになった。日本ではあり得ないことばかりだったので記録していこう。


電話をかける

地震による、親族や友だちへの安否確認ではない。地元の新聞によると、消防署、警察署、軍警察への電話が相次いだ。根拠はよく分からないが、各々の揺れたことを告げたのだろう。

日本なら、発生した直後に、テレビやラジオ、ネットを開けば地震の速報がすぐに流れる。若い人たちは、snsで調べたというから、信憑性よりも情報の速さを優先するようだ。おそらく、電話をかけたのは年配だろう。不安な想いや、揺れたことを誰かに言いたかったのかもしれない。彼らにとっては、地震の報告は告げられるものではなく、告げるものだと思っているようだ。



外に出る

イタリアでは常識なのだろうか。地震が発生したら一目散に外に出ると考えている人がいる。

我が家は、6階建で一階に3戸の家がある建物だ。元ビール工場だった跡地に建てられ、まだ20年も経っていない新しい物件。

地震発生時、夫はトイレにいた。ぐわんぐわんと横に揺れる地震に驚き、急いで出てきて「今すぐ着替えて、外に行こう!」と私を起こした。
突然、何を言っているか理解できなかった。着替え出す夫。見に行きたいのか聴くと、「ここから出ないと危ない!」と。。。

聴いても分からなかった。外に出ると危険がたくさんあることを伝えた。そして、落ち着いてベッドに戻るように言った。


地元の新聞社による取材でも、同じように外に出た人がいたけれど、誰もいなかったので家に帰ったとのこと。



午後になり、改めてどこに行きたかったのかを聴いた。すると、近くの公共国広場という、中学校の運動場くらいのだだっ広い場所。あそこなら大丈夫と思ったらしい。私はさらに一言「あそこは、広場に見えて"橋"でしょ」。実は、この地域は、お城のような存在の要塞がある。その周りや近くを張り巡らすようにお堀がある。そして、広場の下も同様、船が小さな小船が行き来する場所だ。そこへ行こうとしていた。

さらに夫は、子どもの頃に大きな地震が発生した時に、近所の人は皆、建物から出てきて、外で過ごしたことがあったという。家が脆く危ないので、外の安全な場所へ移動したとか。そのことがあって、外へ出ることを最優先に考えたようだ。


これまでの地震を受け、建物が損傷を受けた"証拠"が街を見ていて分かる。建物のあちらこちらに壁に鉄の棒状なものが付いている。

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オレンジの建物の、中央部分にある窓と窓の間に、縦の斜めの線があるのが見えるだろう。これが補強だ。こんなんで保てるのかと思うが、効いているらしい。古い建物の地域はこれが目立つ。



学校が休校

市が発表した内容よると、発生直後に市長や評議会などが緊急対応会合が開かれた。30分後には、この日の学校を封鎖する意向を示した。そして、市民に向け公式に地震の情報を拡散。そこから、保育園や学校関係、並びに公共施設も調査を行い、夕方には全て問題がないことを発表した。

つまり、地震発生による建物のさらなる損傷の危険性があるかどうか、調査をしなければならなかった。日本なら、学校は駆け込める「安全な場所」と考えられているが、イタリアでは真逆で、学校が危ない場所かもしれないと。安全保障は常にされていなかったのか、そっちの方が恐ろしいが、「起こってから考える」という彼ららしい対応だ。

そもそも、イタリアの学校は、他の住宅や商業施設の建物同様、もともとある建造物を改築して造られたものもある。そのために、古い建物も存在している。



地震後の人々


専門家によると、ここ10年大きな地震はなかったので、人々は驚いたであろうと。しかしこの地震は、これ以上大きな揺れを防ぐためには、むしろ有益なものだったと語っている。

揺れはほんの数秒だったけれど、体感的には長く感じた人もいたようだ。家の家具や照明が揺れ、ペットたちは隠れたと語っている人も。地震に慣れていない人は、あたふたして外に出てしまうことも初めて知った。

人々が集まると、地震の話になり、感じた人や感じなかった人、いつもより行動時間が早くなったといった会話があちこちでされた。

日本のように、地震に対し備えなどしない地域なので、壁に家具を打ちつけることや非常用持ち出し袋なんて存在しない。彼らは、棚の丈夫にオブジェを並べたり、お酒の便をコレクションしたり、壁一面にワインを収納するレストランなんて珍しくない。

地震という、いつ起こるか分からない不安にかられることがないこの地域ではある。が、風が強い日が多かったり、アフリカ大陸から熱風が吹いたり、来たから頭痛を引き起こす冷たい風が吹いたり、起床現象で問題をあげれば一長一短。

どんな街でも、住めば都
そう思うことが、暮らしを満喫する要だろう。

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