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イタリアで花見する唯一の日本人
三月も下旬になると、snsでは満開に咲き誇る桜の嵐。写真を見るたび、また今年もこの時期に帰国できなかったと、少し淋しさを味わう。想像して欲しい…
桜の花を愛でる年がない
なんて。考えただけで虚しさを感じることだろう。よく物語で、「次の桜が咲くまでに…」や「あと何回桜を観れるだろう…」と表現することがある。私たちは、桜の満開を春の節目に用いる。それだけ心躍る日々なのだ。
そして、その桜が連なる並木の下で、宴を上げるという文化も見逃せない。桜に限って行われるどんちゃん騒ぎ。他の花にはない特別な想いが私たちにはある。
しかし、夢は束の間。風雨に弱く、散っては葉が出てきたと肩を落とす。美しくも儚い桜の姿に、愛しさも抱く。
あっという間に過ぎる春を求めて、あちらの桜、こちらの桜と目指して旅をする人がいる。桜前線に沿って移動するなんて、これは世界でも、稀な行為ではないだろうか。食糧や職を求めてなら分かるが「桜」に突き動かされているのだ。それほど、日本人にとって、満開の桜を胸いっぱいに味わうことが、春の儀式となっている。
イタリアで花見
イタリアで10回目の春を迎えている。10年桜を観ていない。こんな虚しい事実があるだろうか。桜満開になった春の風を、桜吹雪を体感していない。
そんな私に、幸運が舞い降りた。
ちょうど5年前のこと。
この街の誕生祭が地元の大聖堂で行われていた。私はカメラを片手にその風景を撮りに行った。街衆の中に外国人が参加しているから目立ったのだろう。大きな一眼レフを持ったおじいちゃん集団に囲まれた。「君の持っているカメラは何?」「どんなふ風に撮れるの?」「レンズの焦点距離は…」なんて質問攻め。最後に、「僕たちの集会においでよ!」と誘いまで受けた。歓迎されたようだ。
おじいちゃんたちは70前後というところだろう。年金生活で悠々自適に過ごしている。彼らの会話の中で、ある言葉に耳を疑った。「桃をいつ撮りにいく?」と話し合っている。「早い方がいいから明日はどう?天気は?」なんて。
「何を撮りに行くんですか?」
「桃の花だよ」
「どこへ?」
「ここから30分くらい田舎に行くとあるんだ」
すぐさまGoogle mapを開いて、旗を立てた。
急いで帰宅して、午前中の仕事から帰ってきた夫に「今すぐここに行きたい‼︎」と鼻息荒く猛アピール。フットワーク軽い彼は、急いで連れて行ってくれた。
何度となく通ってきた、トスカーナの田舎道。丘陵地帯にオリーブや糸杉が並ぶ風景は、穏やかな気持ちになる。桃の木なんて見たことがないし、ある気配もない。
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地図で印をつけた場所を目指す。広く見渡せる景色から、急に集落へと入っていった。狭い道をグネグネっと進んでいくと、目の前に色づいた風景があるのが見えた!
小高い丘の上から下に向かって、谷間になった急な斜面一帯に桃畑が広がっている。風を遮り、陽がよく当たる土地だと分かる。立派な木々が手入れされて花をつけている。
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美しすぎて失神しそうになる。一本の木が満開なのももちろん魅力的だが、一帯に広がる木々が一斉に咲く姿を見たかったんだと気づいた。花の迫力や圧力、さらには生命力が溢れて、特別な空間だった。
この村は、収穫時期になると、桃まつりを開催している。桃の産地ではあっても、桃の花を売りにはしていないし、知られていない。
あの日、カメラを持って出掛けて良かった。おじいちゃんたちと仲良くなれてよかった。その後、カメラの集会にも参加したが、遠くて断念。でも刺激を与えてもらった。
以降、毎年ここへ花見に来ている。お弁当をこしらえて、桃の木下でそれを頬張る。これが日本人的正しい春の味わい方だろう。ここで他にやっている人を一度も見たことない。唯一、この桃源郷で花見をしている日本人だと思う。
そしてこれ以降、桜の時期に帰国しなくてもいい。と安堵した。
おじいちゃんありがとう。
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