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10年前の伊留学 選抜電子機器の今

2012年9月、仕事を辞め、みんなに挨拶し、大手を振って日本を後にした。人生を変えるべく進んだ道は輝いていた。あの経験は何事にも変え難い、私のターニングポイントになっている。それが出来たこと自体、一つの自信となっている。
イタリアには、スーツケース一つでやってきた。社会経験を積み、貯めてきた資金で万全の態勢を整えられたのは、28歳・実家暮らしだったことが大きい。あの時に揃えた代物があったお陰で苦労なく過ごせた。どんな想いで、何を持ってきたのかを紹介していこう。


2012年 選抜電子機器たち


ガラケー

日本で働いていた時は、auのガラケーを使っていた。iPhoneはソフトバンクからのみの販売だったので、変える予定はなかった。が、旅立つ直前にauでも扱うことになった。買ってイタリアへ行こうと思ったが、秋に出る「iPhone 5」を買うべきだと、先輩に言われ我慢したのを覚えている。(後に、フィレンツェのApple Storeで初めて iPhoneを手に入れた。なんとそれを、昨年まで現役だったほど優秀な機種だった。ジョブズの最後のプロジェクトという誇りを持って使い続けていた。)

auのガラケーは、緊急の連絡用に持ってきていた。当時一年で帰国する予定だったので解約はしなかった。使ったことは二、三度ある。風邪をひいた時に、医療事務の友だちに、どの薬を飲むべきか聞いたことがあった。ほかには、親との連絡くらいだけだった。後に、結婚しイタリアで住むことになり、ガラケーは解約した。



ちなみにイタリアでは、来てくずに約1,500円の手のひらに収まるガラケーを買い、安いSIMを入れて使っていた。特に外国人は、携帯電話を持つ必要がある。イタリアで、3ヶ月以上生活する欧州圏以外の人は、滞在許可証を取得しなければいけない。この手続きや書類受け取りに電話が必須になるのだ。主な利用はコレで、あとは、友だちとや大家さんと連絡するくらいだけだった。この電話も、後から来た後輩に託した。


iPod touch 第4世代

iPhoneのような見た目で、電話機能のない端末を覚えているだろうか。その名も「iPod touch」。会社に勤めている頃から使っていた。2009年の暮れに、仕事でTwitterを開設しないといけなかったので、おそらく、あの時に使っていたのだろう。auから販売しない iPhone に近いものを扱ってみたかった。そうそう、当時社内の一部にしかWi-Fiは飛んでいなかったので、ポケットルーターを所持していた。

だからイタリアに来て、ガラケーとポータブルWi-Fiを購入後した。

こちらは、家族や日本にいる元同僚や友人らとのLINEやメールのメッセージのほか、Facebook、Twitter、Instagram、または検索のために利用していた。

留学中に一度、地元の後輩が日本からわざわざ訪ねてきてくれた。その道中、寝ていたか不注意か、電車内で iPhone を盗まれた。落胆した彼女に、もう使わなくなった iPod touch を貸した。必要なくなったら、私の実家に届けてほしいと託したら、実際にそうした。両親は、イタリアから戻った後輩と iPod touch を歓迎。母がそれを使った後、現役を引退した。


iPod classic 第6世代

音楽は、ココに詰め込んで持ってきていた。2008年に購入した120GBは、連続再生時間が、なんと三日間という長さを自慢していた。
私はCD収集が好きで、仕事柄どんどん購入しては番組で使っていた。このiPodにも、片っ端から詰め込んでも容量は十二分にあった。 
しかしながら留学時、イタリアで日本の音楽を聴くことはあまりなかった。その最大の理由は、イタリアの風景と邦楽が合わないこと。特に懐かしの楽曲なんかは、思い出目の間の景色が絡み合うことに違和感を抱き、開けなかった。それと、過去に戻りたくなかったのかもしれない。
iPod classicには、主にダウンロードした新しいアルバムとポッドキャストを聴いていた。今はたまに引っ張り出して、日本の懐かしの歌も聴いている。あれから10年も経てば、私は図太くなったが、充電はあっという間になくなるほど消耗している。


SONY ミラーレスα NEX -F3Y


テレビ制作会社に所属していながらにして、ラジオ一本の道を歩んできたので、見る媒体に興味がなかった。だが、イタリア留学では記録したく、初めてカメラを買うことにした。確か梅田のヨドバシで手に入れた。カメラに詳しい当時の彼に買ってもらった代物。写真の撮り方は、かつて一緒に番組を作っていたプロデューサーが、プロに近いアマチュアという腕前だったので、切り取り方やマニュアルのノウハウを丁寧に教えてもらった。

イタリアに来て、イベントや旅でバシバシ撮り続けた。すると、撮りたい画角や背景、人の姿、目線など拘りが少しずつ出てきた。これが正解かどうかは分からないが、カメラが好きになったし、人のために喜んで撮るようになった。これは、Pのスピリッツを今でも継承している。私は彼の弟子だと思っている。

ミケランジェロ広場から見下ろすフィレンツェの街


流石に10年も経つとカメラの性能は、他の物にどんどん抜かれ、今では持って出歩くことはなくなった。スマホのカメラの性能が良くなったことは大きい。
だが、2年前から再び活躍しだした。それがYouTube撮影。インコを育てることに特化した動画を配信している。初めはスマホで行っていたが、古いミラーレスとは言い、レンズはスマホより優れている。色や質感は落ち着いて、ぼかしの具合も美しい。今度は動画に拘り出したので、夫は少し疲れてきている。制作者として、アレコレうるさいのだ。時に完璧を目指す性格をイタリア人でも曲げることはできないらしい。ごめん夫。
充電はあっという間になくなるので、撮影もテキパキしないといけない。これが10年戦士の良いところでもある。


MacBook Air (11-inch, Mid 2011)

メディアに勤めていたこともあり、Apple愛好家は周りにたくさんいた。イタリアに持っていくパソコンはMacBookだとみんなに推された。先輩の一人が、購入したら、ExcelとWordを入れてくれると言うので、すぐに買いに行った。使う目的は、ラジオの中継資料作り、写真の加工とHDDへの保存、sns投稿、検索くらい。そこまで頻繁に活躍はしていないが、ないと困っただろう。
このパソコンは、2020年のロックダウンで急に動かなくなって一生を終えた。よく頑張った方だと思う。しばらくパソコンを使わない生活をしていたが、YouTubeとネットの仕事を強化するために、今度はMacBook Proを購入した。今はまだ、その発展途中である。


CASIO Ex-word イタリア語モデル 電子辞書

留学に持っていくと便利だという電子辞書。買ってよかったものの一つだ。イタリア語を調べることはもちろん、英語も日本のことも、辞書として、また日本文学も入っていたので、これ一つで時間潰しには充分な量だった。こちらも現役の辞書として活躍している。アクセント辞典も備わっているので、たまにチェックしている。
ボタンの反応が鈍くなっているが、まだ使える。電池式なので、すぐ落ちることはない。10年も時が過ぎると、流行語や言葉の意味が変わってきたものもある。その更新はできていないが、その部分はネットで補うので、このまま頑張ってもらう。なんせ、留学の相棒だったことが一番の思い出。


生産終了の機器たち


10年前の機器は、壊れたもの、使えないもの、まだギリギリ使えるものと様々だが、全て生産終了している。この間に、電子機器の世界も発展衰退を繰り返してきた。共にいい時代を過ごせて来れたことが誇らしい。

さて、次の10年はどうなるだろう。車は自動運転になり、ドローンで物を運び、VRで会話・映画・テレビを投映するかもしれない。身体にはチップを埋め、IDチェックやパスポート発行も必要がなくなる時はそう遠くない。国際通貨が主流になり、世界中で人の行き来が簡単になるし、飛行時間も短くなるはずだ。まだまだ著しい変動を続けていくだろう。
そんな中、年老いていく自分は、何をして暮らしているのか…。
仕事、家族、家、ペット、環境など、使い古した電子機器に触れながら、ふとこんなことを思った。

漠然と焦る前に「どうしていたいか」から、まず考えるとする。

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