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最崖(さいはて)のひとたち・後編 #奥能登・珠州・滞在記

日本中いろんな場所に行きましたが、珠洲はどことも違う雰囲気です。空気がちがう。匂いがちがう。恋する奥能登の何かが伝わると嬉しいです。これは何者でもない放浪を極めたボクの滞在記。都会に疲れたあなたに捧げます。後編です。
※第2話・前篇は ⇒ コチラ
※第1話は ⇒ コチラ

池松潤(いけまつ じゅん)
恋愛小説家/ サイボウズ式第2編集部 / アウトプットLAB 情報発信学 SNSコーチング ※登壇・イベントなどは ⇒ コチラ

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最崖(さいはて)のひとたち・後編

観光ではない滞在記である

珠洲市の中心部「道の駅 すずなり」から能登半島の突端にむかうとコンビニはありません。地方はクルマ社会ですからなんら問題がないのでしょう。僕はクルマは借りずなるべく自転車で移動するようにしています。

スクリーンショット (920)

※赤い印が能登半島の先端部でコンビニがある場所。

高齢化・長寿化社会によって免許返上が起こり、地方での移動手段は大きな問題です。まず鉄道がなくなります。珠洲では都会ほどではありませんが、バスはソコソコ走ってます。これもやがて自動運転になるのでしょうか。興味深いのは、「高齢者へ無料パス」を出すよりも「全線無料」にした方が総コストは安く抑えられるらしいというハナシを聞いたことです。そうすると既存事業者の立場がなくなるわけですが、地方都市によく聞く「新旧の痛み分け」をどうするのかが「目に見えない課題」になっている事が肌で感じられました。

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ちょい住みをすると、町の表向きの顔も、裏の顔も見えてきます。「営む」ということは「つづける」という事です。営みを感じるためには、止まりたければ止まれる、進みたければ進める。という自転車がちょうどイイと思っています。

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道の駅・狼煙(のろし)にて


「お酒」を作りつづける

櫻田酒造は1914年(大正3年)創業。ご家族4人で作っていらっしゃいます。多くの場合、酒造は米づくりの近くの平野で行われますが、能登半島は耕作面積が小さかったので、消費地である漁港の近くにあるのが特徴です。櫻田酒造のある珠洲市の蛸島(たこじま)は漁港の町です。古くから漁師町として栄えてきました。

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祭りと冠婚葬祭と酒。漁師と酒。夏に酒米を育て冬に作る。人口は少ないのに能登に酒造が多くあったのは、気候が厳しいのもあったのでしょう。

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能登の杜氏(もりし)の歴史は江戸時代後期くらいから。能登衆(のとしゅう)と呼ばれ、他地域からの杜氏集団とは異なる、独自の酒造技術を伝承してきました。兵庫県の灘、京都の伏見などの名だたる名酒の産地から全国各地で活躍。日本各地の杜氏集団の中でも「能登杜氏」(のととうじ)は、岩手県の「南部」、新潟県の「越後」、兵庫県の「但馬」と共に「日本四大杜氏」に数えられ高い技術力を誇ったそうです。

櫻田酒造は、四代目の息子さんが杜氏をつとめられていますがこの日はお父さまが蔵を案内してくれました。

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※杜氏とは・・・
蔵元に雇われて酒造りの現場を取り仕切る責任者。酒造りの現場監督です。酒造りの専門技術をもつため全国各地の蔵元に招かれ、蔵元の戦略や意向を踏まえて、仕入れた米や麹、仕込み水などを駆使します。それを蔵人たち一緒に(蔵元が求める)日本酒を実現するプロフェッショナルのことです。例えて言うならば、プロ野球で、オーナーが揃えた選手(蔵人)を指揮して、優勝をめざす監督のような存在です。

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photo:楓大海さん
杜氏の経験と勘で酒の出来が決まるので大変なシゴト。現在では四代目の息子さんがその役目を果たされています。

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▲photo:楓大海さん
興味深いのは、酒蔵は戦前ではたくさん在ったということ。酒蔵は装置産業。資本が必要なので数は限られていたのかと思いこんでいたのですが、中小規模の酒蔵が沢山あったのだそうです。

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オーナーである酒蔵は杜氏を雇って差配していたというわけです。タンクには設置された年月が書かれていてその経た月日が伺えます。いまは夏場で静まった蔵はヒンヤリと静かな時間が流れていました。

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もともとは神が宿った杉の葉を吊るすことで、お酒の神様に感謝を捧げるものだったという杉玉。その名の通りスギの葉(穂先)を集めてボール状にしたものです。新酒が完成したことを知らせるために吊るします。新酒が完成したことを伝える杉玉の色が酒の熟成具合を伝えるものです。

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お父さまが、戦争の頃は富山を空襲するB29が「このくらい」ちいさく見えた。この辺はそういう大変なことは無かった。と話されていたのが印象深かったです。いまは夏なのですが、やはり冬の気候の厳しい土地柄がお酒づくりの姿勢にも表れているような気がしました。

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日本中いろんな場所に行きましたが、珠洲はどことも違う空気です。なんと申しましょうか。匂いや質感がちがうのです。こちらのお酒は全体の製造量も少ないので、ほとんどを地元で販売しているのですが、地元でとれた新鮮な魚と一緒に晩酌でやると美味しいのは、この土地の独特の空気に合わせて作っているからでしょう。

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長い通路をぬけると、中庭のさきに大きな立派なお家が見えました。そこは古き良き日本家屋がありました。

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にこやかにお話されるのを聞いてると「祭り」と「お酒」はきっても切れない関係にあるのが分かります。夏のお祭りに帰ってくる若者も酒を酌み交わす。なかなか大勢で集まれないこんな時代だからこそ「お酒」が大事な役割を果たしているんだなと感じたのでした。「お酒をつくり続ける」お酒は有形ですが、地域にとって欠かせない無形資産であることを忘れてはならないのだと思いました。

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櫻田酒造株式会社(さくらだしゅぞう)
石川県珠洲市蛸島町ソ―93
https://sakurada.co.jp/



「珪藻土」を掘りつづける

珪藻土とは・・・植物プランクトンの死んだ殻が沈殿・たい積して化石になった土です。水を直に吸収する吸水性もあるので、最近ではお風呂上りのバスマット品も登場しています。この珪藻土に空いている無数の小さな穴。これらが湿気を自動で吸ったり出したりします。直径は2~50ナノメートル(ナノメートル=10億分の1メートル)で、穴の数は木炭の5000~6000倍といわれています。

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みんな長靴に履き替えてから坂を下りてゆくと、採掘への入口が見えてきました。

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能登半島の土の3/4は珪藻土だそうです。今から1500万年前の地層の一部で埋蔵量も豊富です。能登の珪藻土は、多孔性で粘土が適度に含まれているので成型性にすぐれているので古くから「七輪」に使用されてきました。主成分である二酸化ケイ素は熱伝導率が低く高温や火災に強い。つまり少ない燃料でも食べ物を焼くのに適してます。という訳で、プロパンガスが登場するまで炭と七輪のセットが主流だったわけです。ちなみに所説ありますが、江戸時代には一日の炭代が「七厘」ですむから「七輪」と呼ばれるようになったとか。

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真っ暗なのに撮れるスマホが凄いのか、ブレている私がダメなのか。。。

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地底はヒンヤリとしていて、夏の暑さはまったく感じられません。

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迷路のように掘り進みながら、特殊なノミだけで切り出していくので、切り出しは、土を知り尽くした職人の技でなければ難しい作業だそうです。

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将来はココを観光資源としても開発したいそうで、そのために「空気抗」が作られていました。地上の外気が入ってきて、地底のヒンヤリした空気と混ざって「空気のカクテル」が生まれていました。

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壁面に版画のように彫りものが飾ってありました。スマホで撮ると見えるけど自分の目ではほぼ見えない暗さ。

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天井を見上げると、大ミノで掘られた跡が続きます。垂直にノミを入れると手が壁の隙間に入らなくなるので斜めに鉄砲ノミを入れなければなりません。というわけで壁面は全て綺麗な階段状になっているのです。

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森を伐採して切り拓いたところ。ココから先は足元は泥だらけになるので長靴に履き替えたみんなの靴。

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珪藻土・洞窟・観光地化プロジェクト
詳しくはコチラ▼



「アート展覧会」をつづける

2017年から2回目。能登半島の突端ではアートフェスが開催されています。アートに多少は興味がある方ならば、瀬戸内海の直島のアートフェスなど地域全体で開催されるアートフェスが増えてきました。

2020年秋に予定されていたのですが、新型コロナウィルスの影響により2021年秋に延期されました。奥能登国際芸術祭2020+として現在開催されています。

昨今では、地方の人口が少ない地方を会場にして国際芸術祭を開き、各
国で活躍する作家を招待して「地方創生」を図ろうとする動きが盛んです。2017年・長野県大町市の北アルプス国際芸術祭、宮城県石巻市・東日本大震災からの復興の象徴としてReborn Art Festivalなど、その動きが過熱気味となり、林立する地方の芸術祭については賛否両論もあります。

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そうした地方再生をかかげる芸術祭の仕掛け人として注目されているのが北川フラム氏です。「大地の芸術祭:越後妻有アート・トリエンナーレ」からはじまり、「瀬戸内国際芸術祭」では直島・豊島・小豆島など主に香川県の島々が会場となり、そこで育まれてきた固有の生活や歴史にアートが関わることで過疎地となった島の人々やお年寄りたちを元気にしました。

その北川氏への珠洲市からの要請は足掛け3年以上に及び、2017年に開催されることになったのです。その背景は長いハナシになるのでココでは割愛しますが、町の想いと共にあるのだと思いました。

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この芸術祭の準備に欠かせないのが、インストーラーと呼ばれる人たちです。僕が宿泊させてもらったゲストハウス「仮かっこ」で働く人たちの多くは金沢美大出身者で構成されていて、その働きを初めて知ることになったのでした。上記・写真のサイン看板デザイン・配置・設置までをディレクションするのもインストーラーのお仕事なのです。

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「え?ココ降りてくの?」どんどん進んでいく先に会場がありました。僕がほんのチョッピリだけお手伝いしたのは、県道から海に向かって降りて行った先にある、海風が通り抜けていく素敵な場所でした。

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ガンガンガンと木造の家を建てるような音が響く場所まで降りていくと作業現場が見えてきます。

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これは世界地図を天板に描く作業。モルワイデ図法で描かれた下絵を下書きしてから、マスキングして塗装をしたりしているところ。風が吹かない時もあれば、雨で作業ができない日もある過酷なお仕事です。この日は快晴でしたが、そんな日は稀だそう。水分補給は必須です。

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デザインや段取りだけではありません。急な変更など細かな配慮。The人力の総合力です。これってイベントでの乃村工芸のような仕事だな。。。と前職のビジネスショーなどのイベント施工を思い出しました。

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横では工務店のオジさんたちが重いべニア合板を組み上げてます。The木造建築のような世界。足元の毛布は何かの時に挟む用なのか。。この木造構造物の不気味な重さを感じさせます(オトナ4人でもかなり重かった)

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組み上げた木造構造物に色を塗ったり、パテで凸凹を埋めてだんだん出来上がっていきます。工期は約3週間ほどでしょうか。

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左側の男性の日焼けの色が夏の作業の過酷さを物語っています(色黒なわけではありません)

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この三角柱の上に木造構造物が乗っかるのです。嵐が来たらどうするんだろう。降ろすのかもしれませんね。いずれにしても大変な作業です。

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すっかりのん気なワタシ。ほんのチョッピリお手伝いという貴重な経験をさせて頂きました。

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会場は、旧幼稚園の公民館へ。

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海外から届くコンテナを降ろして梱包を開くのもインストーラーのお仕事です。

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水道の位置が幼児向けなのがわかりますね。

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作品を設置するところまでインストーラーがやります。

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幼稚園のなごりです。

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ミニチュア作品群も並べられています。

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トイレも作品のようにみえてきますね。

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窓から見える田園風景もセットでアートのように見えます。

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場所が変わって、こちらは海沿いへ。

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重機があるほど重い何かを動かしたのでしょうか。

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この廃棄物の怪獣のようなものを組み上げていくのもインストーラーのお仕事です。炎天下の下、日よけもありませんから、The超・重労働です。

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このすき間が見えないように組み上げていくのが大変だったそうです。

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インストーラーのお仕事から比べたら、距離70Kmを自転車で走ることなどなんでもありません(笑)

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奥能登国際芸術祭2020+
2021年9月4日(土)-10月24日(日)
https://oku-noto.jp/


「宿」をつづける

地方に行くときその地に何らかの「知り合いがいるか」は大事なことです。第一話で書きましたが、木津さんからのご紹介でゲストハウス「仮かっこ」さんに2週間お世話になりました。

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仮かっこ→(暮らし)とはすなわち、仮に暮らしてみることをモットーにされています。それは「観光者」としてではなくて「ちょい住者」として。あるいは仮かっこのコミュニティの仲間としてココで暮らすように過ごして、珠洲の営みを、肌で感じてみる。そういう場所です。つまり緩やかに現地のヒトと外部のヒトを繋ぐ結節点が仮カッコなのだと思いました。

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地図を見てもらえばわかるとおり、路地を50歩ほどあるけば海に出ます。僕の泊まった部屋からもこの海が見えて「ああ海の見える田舎に来たんだなぁ」とシミジミと遠くへ来た実感が沸く景色なのでした。

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何気ない日を何気ない海辺の堤防ですごす。陽が昇りやがて沈む。都会では味わえない日常を感じることが出来るのがこの場所なのです。

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僕は朝起きるとこの堤防沿いを散歩して近くの神社へお参りして帰ってくるのが日課でした。この海は富山側の内海なので波は静かで風も穏やかです。潮の匂いがしないのも特徴で、なんとも表現しずらい珠洲の匂いがする場所でした。

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朝陽が射し込む側の窓には物干しざおがあって洗濯を干して、お昼を超えると逆側に干します。

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もちろんWifiが飛んでいるのでzoomでリモートもバッチリですし、雨の日は本を読んだり、書き物をしたり、何気ない日をすごせる場所なのです。

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この部屋は2階なのですが、窓を開けて物干し台から覗けば海の堤防にカモメが並んでいるのが見える。空を見上げて雲のながれを見て今日の天気図を確認する。そして出かける。そんな日常を過ごしていました。(じつはガンガン動いてたので部屋でのんびりしてた日は少なかった)

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地元の獲れたての魚や貝でBBQをスタッフや遊びに来たヒトと一緒にしたり、星を眺めてそのまま長椅子で寝落ちしたり。

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旅の終わりにはお別れ会を開いてくれて呑みに行ったり。

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気が向いたら、歩いて5分くらいの場所にある海が見える銭湯にいったり。
※木曜日が定休日です。

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地域と外部を「ココロ」で結びつける「結節点」

地域協力隊など公的サービスだけで地域は活性しません。官民の両面が必要です。特に「呑み」のような「腹を割って話せる」「多様性を受け止めれる」民間セクターが「カギ」なんだと感じました。おそらく仮かっこは、全国でもその先端を歩むモデルなのではないでしょうか。

仮かっこ後述記・・・「しんけん」さんこと新谷健太さんや、和田さんや、加藤さんに遊んでもらいました。ホント感謝です。なかでも一番お世話になったのが楓 大海さん細かいところまで気を遣ってくれて、運動部の寮のおばさんのような優しさがあります。あと珠洲の歴史や背景をよく知っているし、人的な繋がりがある。あと言語化がすごいです。きっと前世は、合宿所の叔母ちゃんだったのだと思ったのでした。

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guesthouse仮( )-karikakko
石川県珠洲市飯田町26部41−2
https://karikakko.com/



「場所」をつづける

中田文化額装店|Gaxoでは、20代~30代のUIターン者が中心となって、情報発信・交流拠点をつくるプロジェクトが進行中です。空き店舗だった旧中田額縁店を改装して、コワーキングスペース&住拠点とでも言う新しいスタイルの「場」である「カルチャー創造発信基地」が生まれていました。

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お土産屋さんのような、セレクトショップのような、文化部の部室棟のような、ローカルラジオスタジオのような、弦楽隊の練習スタジオのような、油絵具の匂い立ち込めるアトリエのような、文芸雑誌の編集部のような、作るという行為と作られたものに敬意を払い、愛を叫び続ける場所。と木津さんと北澤さんは言います。この日彼らは和服を着ていました。

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移住してココの二階に住む木津さん。居住者や来訪者のハブとなり、リエゾンとなり、あたらしいコミュニティを創造しています。

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IT業界にいたにも関わらず急に農業やると言って移住。シーシャのお店を開こうと準備しているぽーる君が、2階に引っ越してきました。続々と集まるのは人間力なのでしょうか。それとも空気感の醸成力なのでしょうか。

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言語化できない(しない)何か(ヴァイブス)が生まれるから、Jazzセッションのように「いい音」が生まれて、そこに人が集まる。そういう空間が生まれていると感じました。

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そのためはリアルに役立つスキルも必要なわけで、木津さんが電気工事士の資格を取られたのは素晴らしいなと思いました。僕は論ずるより行動力こそ大事だと信じるからです。

有名とか無名とか関係ありません。ネット空間にはない「何か」がココには生まれているのだと感じました。特に地域協力隊や、市役所などの移住推進担当の方は、ここを見ることをおススメします。

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珠洲を描いた小説『すずシネマパラダイス』にご興味がわいたらどうぞ.『すずパラ』が最新話まで一気読みできるマガジンは → こちら

次回は、奥能登の「銭湯」と「絶景」です

見るだけで楽しくなる銭湯と絶景(笑)。ではまたnoteでお会いしましょう。

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※第2話・前篇は ⇒ コチラ
※第1話は ⇒ コチラ


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