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恋愛小説家からみかんせい人への手紙① #往復書簡

【恋愛小説家とみかんせい人の往復書簡】とは・・・

誰でもが情報発信できるようになりました。テレビや新聞などマスメディアしかない時代には想像もできないほど、多様な意見が自由に発信できる素晴らしい時代だと思います。その反面もあって自分の意見を言い難い場面もあります。炎上を恐れたり「誰得?」な状況も多い感じがします。その辺をディスカッションするように、私とたなかともこさんと往復書簡・形式でお手紙をする企画です。とりあえず3往復くらいを目途にやってみましょうというハナシになりました。どうなるか正直まったくわかりませんが、予定調和ナシのお手紙をしたいと思います。多様性は否定しませんが、であれば私の感覚で「まともな人に。まともな意見をしてみたい」。いまの池松の率直な気持ちをともこさんにお手紙したいと思います。

※これは、私とたなかともこ@みかんせいじんさんとの往復書簡です。

#往復書簡

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◆SNSの「頑張らなくても大丈夫」は誰のためのメッセージなのか?

こんなメッセージをnoteで良く見るようになりました。

・頑張らなくても大丈夫
・みんなは悪くない
・あなたらしければいい
・何も変わらなくていい

一見「あなたのことを案じている」風に見えますけど、これって甘言な「キャッチコピー」でメンヘラ・ターゲットにした興味喚起なんじゃないかなと思ったりするんですよね。まぁ。「文章を書くひと」に対して有効なのかもしれないんですけど、ひょっとすると情報商材・販売の進化版なんじゃないですかね?メンタルヘルスケア・ビジネスの。

みんな「疲れている」感じがします。

リモートワークや、ジョブ型雇用でニューノーマルに適合しなければならないし、癒されたい気持ちが優先な時期なのかもしれませんね。

1万本以上読んでると、その裏側にはマーケットニーズに「承認欲求」なのか、「自己肯定不足」なのか、メンタル弱めの方の気持ちを感じる事が増えました。

1:ヒトと比較されたくない。
2:ホメられたい。
3:みんなと一緒に手を繋いで「よかった」と安心したい。

これって気持ちはわかるんですけど、自助努力をしないでもイイってハナシとは違うと思うんですよね。こういうの書くと「あなたにはワカラナイ!」って炎上する予感もするんですけど、痩せたいけど痩せれない人の思考様式に似ている感じがするんですよ。

・変われないし、変わりたくない
・今のままの自分を認めて欲しい、褒めて欲しい
・疲れているからマッサージしてほしい

多様性とは、無責任な自由で行われるものなのでしょうか。それとも自己の規律に基づいて判断されるものなのでしょうか。色々意見はあっていいのですが、弱者救済と、一時の気分を紛らわすものは違うと思うんですよね。まぁテレビに変わってSNSが「気分転換」としてのマッサージ器になったと思えば理解できるような感じもしています。



◆弱者の声が届く時代に「まともな感覚」とは何なのかわからなくなりました。


※私はこのドラマ・シーンを思い出しました。

戦争で負けて、この国にはドデカイ穴が開いた。その穴をこれからこのテレビジョンが埋める。かつて我々が信じるべきとされていた仁義、礼節、忠誠…そういう何もかもがあの戦争で灰になった大衆どもには、それが不安でたまらんらしい。一種の癖だ。みんな血眼になって、次にすがるべきものを探している。だが、わしに言わせれば、癖そのものを直せばいいのだ。詮無いことに思い煩うのを止め、ただただテレビジョンを観る。プロレスに興奮し、音楽と共に踊り、落語に笑えばいい。頭を空っぽにするのだ。ただ空っぽに。そこにテレビジョンという風が流れていく。悩みを忘れ、笑いと興奮に…」と政治家・原田平蔵(柄本明)は話す。

主人公の私立探偵・増沢磐二(浅野忠信)は、「正気ですか?この国の頭を空っぽにして回る?正気でそれが自分の使命だと?冗談じゃない、飢えた子どもに酒を与えるようなもんですよ。なるほど苦痛は紛れるかもしれない。頭という頭がすぐに空っぽになるんですからね。ただそれは人間にとって、この国にとって、最も大事なものを奪い潰して回るという事じゃありませんか!」と怒鳴る。

原田平蔵は「ご立派なご高説で腹が膨れるか?お前のような男こそ、100人いたってガキ一人食わせられねぇんだよ。能無しのクソッタレは、今すぐこの国から追放してやろうか?馬鹿野郎!」と言ってフォークを手にする。

NHK土曜ドラマ「ロンググッドバイ」4回より引用


ここで言う「頭を空っぽにするのだ。ただ空っぽに。そこにテレビジョンという風が流れていく。悩みを忘れ、笑いと興奮に…」が、SNSに変わっただけなのではないか?と。

別に大袈裟なことを云いたいのではありません。日本にいると、日本の常識は常識なのか?その時代の空気ではないだろうか?本質を確かめたくなります。

半世紀生きていると、価値感なんて時代でコロコロと変わるものだと知っています。若い世代の方には理解できないと思いますが、転職も離婚も20年前は「国賊」のような扱いで、現在とはまったく違いました。

自分の信じている価値観がどんどん変わっていく。それは戦前と前後にもあったのでしょう。では、炎上が頻繁に起こる時代に、「まともな感覚」とは何なのか?ちょっと大げさ気味に言うと「私は何を信じていいのか?」わからなくなりました。

自分の信じているものは「過去の遺物」なのか?それとも「変わってはならない価値感」なのか。。ふとした瞬間に自分を信じられなくなりそうな時があります。

日本から遠く離れたアメリカ・ユタ州にいるともこさんに聞いて見たくなりました。何故ならば海外にいる日本人の方に「失われた日本人の感覚」が残っていると感じるからでしょうか。



◆求められているのは「母性のユートピア」なのか?

そもそもnoteは文学を書こうと思ったらお門違いな場所だったんだけど、嶋津さんの第一回「教養のエンチュード賞」にエントリーさせてもらった事から変化しました。

こんな文章も書くのですが、noteの一部では「パワフルおじさん」と呼ばれてます。まぁコレは仲さんが愛嬌で書いたnoteがきっかけなんですけども。どちらかといえばアスリート気質でアウトドア派です。だから身体性の伴った文章がスキです。まぁ私のことで恐縮なんですけど、その辺がより私のnote利用を複雑なものにしているのだと思っています。

そこで、最近感じるのは、文章にも「母性」あふれる文章と、「父性」のある文章があるのではないかと思うのです。

疲れているヒトは「優しくしてほしい」わけですから、母性の溢れる優しい文章が読みたいでしょう。ひとは「読みたい文章」しか読まないし、読めないことも理解しています。だとしたら父性の文章は読まれることはありません。読まれてナンボ?の時代というリアルも重々承知しています。だとしたら「父性の厳しさな文章」はマイノリティなのでしょう。まぁ。書きたければ書けばいいじゃん。ってことなのでしょうけど。。

そんな時流な時期に「父性の厳しさ」の文章は、どんな役割を果たせるのでしょうか。それとも、そもそも出番がちがった時期なのかもしれませんね。。人の命を救ってきた医師のともこさんならではのハナシが聞きたくなりました。ちょっと大げさに聞くのであれば、SNS空間で「生きる」ために(リアルに死んだりしないけど)必要なスキルって何なんでしょうか。。そんな気持ちをこめてお手紙を送ります。

ではまた。

いけまつじゅん より

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◆たなかともこさんとの背景について

あれは4月の事でしょうか。「レーダーチャート式SNSアウトプット診断」にエントリーされて、たなかともこさんのnoteをほぼ全部読ませて頂きましたのですが、素敵な体験レポートを書いて頂いたのがはじまりでした。

ひとの顔に人相があるように、文章にも人相があると思います。その方の生きてきた時間や人柄が透けて見えてきます。その全てとは言いませんが、30本とか50本を超えて、積み重ねて書いてきたものを読むと、自ずとわかることがあります。たなかともこさんの文章から、知性と教養とお人柄にある想いが伝わってきました。

その後イベントやワークショップでのzoom等でお話しを重ねると、医師として死と向き合ってきた「何か」を感じるようになりました。noteで執筆リレーのバトンを渡して頂く機会があって書いたのが下記のnoteです。あの時はお声掛け頂いて嬉しかったです。


今回の往復書簡の企画に共感していただき嬉しいです。お忙しいのにすいません。急ぎませんのでゆっくりと、ともこさんからのお手紙をお待ちしています。そして、楽しみにしています。

池松潤
恋愛小説家 金曜トワイライト / #トップの情報発信 SNSコーチング サービス/ アウトプットLAB主催 / サイボウズ式第2編集部。慶応義塾大学卒業後、大手広告会社員時代に雑誌コラム連載・ビジネス書を執筆。※登壇・イベント情報は⇒コチラ 


▼次回は たなかともこ@みかんせい人 さんからのお手紙です。 

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