髪の毛の話

今日は久しぶりに家の近くのスーパー銭湯に行って来た。昨年から銭湯入口にある安めの床屋さんで髪を切ってもらっている。

今までは美容室でそれなりの代金を払い髪を切ったり、染めたり、パーマやブローなどをしてもらったが、最後に鏡で後ろ姿を映しながら「いかがですか?」と聞かれても、「うわ〜、嬉しい!私の望んだ通りの髪型だわ!!」とはいかなかった。渋々納得して美容室を後にするしか無かったが、銭湯に入る時に、衝動的に入って切ってもらったカットが珍しく気に入ってしまい、どこか垢抜けない野暮ったいお兄ちゃんを二度見してしまった。

兄ちゃん、カット上手いね。しかも値段が1080円。信じられます???

それからはずっとカットはそのお兄ちゃんにやっともらっている。前回など、あまりにも気に入ったので、チップを1000円も弾んでしまった。

そもそも、街を歩けば美容室と歯科の多いこと。コンビニの数を軽く超えるほど、あちらこちらに美容室がある。人間生まれれば死ぬまでずっと髪を切り続けなきゃならないんだから、美容室が潰れることはないんじゃないかな。

そこで不思議なのが、人間の進化過程で、必要以上に髪の毛が伸び続けることを止める進化は出来なかったのかと思う。

人間の髪の毛については、旧約聖書に書いてあるほど古く、意味深な事もたくさん書いてある。特に女性の髪の毛については、キリスト教の修道女達は髪の毛を見せてはいけないので、髪を隠す服装をしているし、仏教の僧侶達も男女共に髪を剃るのだ。また、イスラム教でも女性は髪の毛を見せないようなヒジャーブと言うスカーフを被らなくてはならない。ユダヤ教の女性もスカーフやカツラなどで自分の髪の毛を見せない。

以上のように、髪の毛、特に女性の髪の毛についてはどこの宗教も否定的なイメージを持っていて、それを見せることを許さない。

以前宗教の勉強をしていた時に学んだのは、女性は髪の毛で男性の心を乱す手段として使うからなんだそうだ。要は、髪の毛をいじって美しさを生み出して、それを持って男性の心に隙間を生み出す。あるいは心を乱す。

ギリシャ神話に出てくる頭の毛が蛇になっているメドゥーサなどがそうだ。人の心に入り込み、思考をマビさせて心を操る。

日本の四谷怪談にも黒猫と地面に黒い髪の毛が伸びて主人公を怖がらせるツールとして使われるのだ。

しかし私としては、不必要になった伸びた部分の処理の為に行くことが多いかな。コロナ禍で引き篭ったおかげで、思いっきりグレーの髪に挑戦できたことは良かった。今じゃグレーの髪の毛なのだから、男の心の隙間に入って心を惑わす余地など、ちっともありゃしない。

しかし、出かけるときは短い髪の毛にもムースやワックスなどをつけて、少しでも綺麗に見せようとするから、やはり髪の毛は魔物のツールになりうるな。死ぬまで切り続けなきゃならないんだから、やはり美容室は潰れない!

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