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コミュニケーション

2回目の自粛の生活に入った。

オミクロンで連日マスコミやニュースでは感染者達のカウントダウンで忙しい。毎日何人感染した、何人感染したで騒いでるけれど、見ていると数字を数える事にあまり意味を持たない私でいる。

前回の緊急事態の時に、生まれて初めて約1か月以上外に出ずに、家で自粛の名の引きこもり生活を経験した。それは私だけではなく、大勢の国民が経験した事だ。

しかし問題は、家族単位で引きこもり生活も大変だろうし、動き回りたいお子さんのいる家庭でも大変だろうなと思うが、一人暮らしの引きこもり生活も大変なんだと言う事を言いたい。

全くのコミュニケーションが取れない事による、精神的な不衛生と不健全な状態が続いてしまう事が、いかに危険かと言うことを知って欲しいと思う。

第6波の真只中の現在に至るまで、何度も自粛要請を訴える小池都知事のニュースが流れて、糖尿や腎臓病の持病を抱える私は、その度に外出を控えて自宅に篭っていた。

一度、何日も誰とも喋っていない私は、発作的に寂しさに苛まれそうになって、車で近くのショッピングモールに入った。

人が行き交うモールの中に座って、人々をぼーっと眺めていた。

カフェに入って、コーヒを飲みながら周りを見回してみると、何と、私と同じように、一人でポツンと座っている人が何人もいるではないか。

やはり一人の寂しさを紛らわせようと、人々の中で安心感を感じたくて同じ事を考えているのかな。

そう言えば、こんな記事を読んだ事がある。

ある外国の科学チームが、人間のコミュニケーションによる影響が与える成長の変化を研究するために、生まれたばかりの新生児達を2つのグループに分けて、一つのグループには普通通りの世話をしてあげる。

ミルクを与えたり、オムツを変えたりお風呂に入れたりをしながら、だっこをしたりあやしたりしながらコミュニケーションを取っていく。

もう一つのグループの新生児達には、同じく基本的なミルクを与えたりオムツを変えたりなどの世話はするけど、必要以上の声をかけたり、あやしたりなど一切しないで、機械的に基本的な世話のみをした場合、約2か月で、コミュニケーションを取っていないグループの新生児達は死亡したと言う。

それから考えても、人間にとってのコミュニケーションは、命に関わる大事な事であるに違いないのだ。

また、罪を犯すと刑罰を受ける刑務所でも、一番重い刑罰は独房に入れられる事のようだ。実際に入ったことは無いけれども、映画やドラマなどで観っても、刑務所内で問題を起こしたりすると、決まって独房行きになって、一週間とか10日間とか行かされるけれど、様々な罪を犯して刑務所に入れられても、最も彼らが嫌がる罰は、たった一人にされて、誰とも喋らず、誰とも会わずの日々を過ごさせる事のようだ。

今はコロナ禍で自粛の籠りをしているけれど、テレビはあるわ、スマホはあるわ、パソコンはあるわで色んなツールで外の世界や何なら画面越しで他人と喋ることはできるけれど、それでも人の温もりが欲しくてショッピングモールに走っている私がいる。


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