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【シリーズ企画Reason_vol.1】ビールが注がれる理由

地域活動をしていると、様々な方とテーブルを囲む機会がある。
決起会、定例会、打ち上げ、納会…

まず断言しておくと、私はアルハラ(アルコールハラスメント)は認めない。そこは勘違いをしないでいただきたい。お酒はあくまで嗜好品。好きな人が嗜めばいい。

ただ、昨今の「目上の人と酒を酌み交わす=嫌なこと」という風潮に一言申したい。

いつの頃からか、飲み会は相互が楽しむコミュニケーションの場になっていった。
しかし、ご高齢の方とお付き合いをしていくと、飲み会は相互コミュニケーションではなく、ある種一方的な「ねぎらい」の場であることを痛感する。

一昔前まではビールは高級品だった。昭和初期を過ごした方たちにとっては特に。
大枚をはたいて買った高級酒を功労者に注ぎ、感謝の意を伝える。
頑張ってくれたね、ありがとう、すごかったよ。そんな言葉の代わりが「酒を注ぐ」という行為だった。

実際に、ご高齢の方と酒席をともにすると、ご自身は飲まれないのに、終始お酌をされる方がいる。しかも、一人二人などではなく多数いらっしゃる。

いつから「俺の酒が飲めないのか」という言葉に置き換わってしまったのかわからないが、少なくともご高齢の方たちとの酒席で酒を注がれるということは、相互のコミュニケーションではなく、ご高齢の方からの「感謝の意」や「ねぎらい」であることが多い。

何かの行動を、人生の先輩達が褒めてくれる。
そんな素敵な会が原型である。

決して、無理強いをするような飲み会を認めるわけにはいかない。
ただ、地域活動をしていくなかで、この「感謝の意」や「ねぎらい」は気持ちよく受け取りたいと思う。