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広告クリエィティブ職は聖書もわかりやすく語れるのか?その74

普段広告のクリエィティブ業をしつつ、プロテスタントの教会でお子様にお話をさせていただいています。その原稿を公開するシリーズ。今日はイエス様の昇天の場面です。イエスキリストの証人というテーマでお話ししています。証人といっても何を証明するのか、神の国が来ているということを証明することを伝えるため考えた結果なぜかポケモンGOが出てきました。

使徒言行録1章6-11節
6:さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。 7:イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。 8:あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」 9:こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。 10:イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、 11:言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」

Copyright: 日本聖書協会

<世界が違って見える>
 ポケモンGOというゲームがあります。スマートフォンのゲームで、その中この世界の地図がはいっていてたとえば、駅の近くまでいくと、ピカチュウがつかまえられる、いろんな場所にいくことで、いろんなポケモンを捕まえられることができる、そんなゲーム。めちゃくちゃ流行ってるころのこと。夜中に公園に人がいっぱいいるなあと思ったら珍しいポケモンがでるからだそうです。スマホの中ではその公園はとっても重要な公園なんですが、ポケモンGOやってない人からしたらなんてことない公園なんですね。ポケモンGOのスマホを通してみた世界と、ふつうの世界が違って見えるということ、不思議なことですよね。そして、そんな人気があるはずがない公園に人があつまっている、ということがポケモンGOという世界があるということを証明してるんですね。
今日の聖書の箇所はポケモンGOの世界があるんだよ、というのと同じように神の国があるんだよということ、そしてその証人になるというお話しです。
 
<イスラエルが変わることへの期待とギャップ>
イエスさまが復活されて、しばらくイエス様はお弟子さんたちの前にあらわれていっしょに過ごしました。そして、お弟子さんたちはあるとき質問をしました。「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのはこの時ですか」とイエス様、イエス様がずっと言ってる救いの時というのはいつくるんですか?という質問と、そしてそれがイスラエルという地域のため、と聞いているのもポイントのひとつです。お弟子さんたちが聞きたいことは、なんか、わかりやすいかたちで、ガラっと変わるのはいつんだんですか?ということが聞きたいんだと思います。この人間にとってわかりやすいカタチで、と思うのがやっぱり人間なんだあと思いますね。どこまでいっても、人間を中心に考えている感じがします。この2つの質問に対してイエス様はお答えになります。いつですか?に対する答えとしては、「父はご自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。」と、いつかは神様が決めるからあなたたちがわかることではない、ということ。最近讃美歌でよく歌ってますよね。讃美歌135番、その日その時はただ神がしる、というやつです。

<イスラエルだけではなく全世界で証人になる>
そしてつぎ、8節です「あなたがたの上に聖霊がくだると、あなたがたはちからを受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまでわたしの証人となる。」と。この文章はいろいろなことが詰まっています。まず、あなたがたの上に聖霊がくだると、と。聖霊とは神様です、その神様のおまもりが、ちからが、愛があなたに与えられるよとおっしゃっています、それが今月にあるペンテコステという出来事です。今日はそんなにお話しはしませんが、この聖霊をもらったあなたたちは、このイスラエルという国だけじゃなくて、おとなりのサマリヤ、そして地の果てに、つまり世界中で活躍するよとおっしゃっています。

<世界が変わったことの証人>
なにをするかというと、わたしの証人となる、ということ。わたしの証人、みなさん証人って言葉は知ってますか?これは本当ですって言う人のことです。裁判とかで出てきますね、この人は本当にこの日この時間にコンビニにいましたか?とか聞かれて、確かにいました、わたしがレジしてましたから、みたいなことを言う人です。確かに、ありました、という人です。ここでイエス様がいうわたしの証人っていったいなんなんでしょうか?「イエス様がたしかに生きていました」ということでしょうか。それはたくさんいます、イエス様が生きていたことを伝える人はいたでしょう、しかしそれだけではありません、「イエス様が十字架にかかって、そして復活した」ということを伝える人、ほんとだったんですよーという人、それがわたしの証人でしょうか?いやそれだけではありません「イエス様が復活することで、わたしたちの生き方が変わるんですよー、世界はこう変わるんですよー」と伝える人になるということなんです。

<ぱっと見はわからない大きな変化>
そのこう変わるというのが、いままでイエス様がずっと譬え話でお話しされていた、神の国がやってくる、という変化なんですね。その聖霊がくることでそのことをみんなに伝える人になるんだよーとお弟子さんたちに伝えました。この世界の変化、それは、ぱっと見には分かりにくいかもしれないけれど、世界は聖霊で溢れていているんだよ、とそしてこの世の中の常識とは違う、自分のことしか考えない生き方じゃない生き方をする、死ぬことを恐れておびえて生きる生き方じゃない生き方をする、人と争うのではなくて愛する生き方をする、そんな生き方ができる世界なんだと伝える、そんな世界なんだということを伝える証人になるんだとイエス様はおっしゃっています。

<天に上げられるイエス様>
それをおっしゃったイエス様は「彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった」とあります。これが昇天という出来事です。そして聖霊がくる出来事がもうすぐ起こります。そのあとの天使の言葉が面白くて「なぜ天を見上げて立っているのか?」と。なにぼーっと立ってんの?と。やることやんなさい!って言われているみたいですね。まさに、こっからお弟子さんたちが活躍することになっていくわけです。
神の国というはこういうことだよー、こういう生き方をしていきましょう!とみんなに伝えるという役割、証人として生きていくということなんです。
 
<違った世界が見える>
最初にポケモンGOのお話ししました。ポケモンGOをやってる人にとってはある公園がとっても大切な、なんとしてでも行かなければならない場所に見えているんですが、やってない人にとってはただの公園です。同じ世界が違って見えるということ。
 神の国っていうのも同じこと。イエス様の復活を知って生きる世界と、知らないで生きる世界というのは違っているということ。それを知って生きている人の生き方と、知らずに生きている人の生き方は違うということ。
親切なサマリア人の話を聞いて、世間ではあそこまで人に優しくすることなんでありえない、おかしい、と思うかもしれませんが、神の国ではあの行動ができるぐらい、わたしたちは神様に愛されているということ。この世の中でもできる、そんな力を与えられているということ。
 
<神のご加護をという言葉>
ルワンダの虐殺という事件がありました。そこでフツというグループがツチというグループをたくさん殺してしまうという本当に恐ろしい事件がありました。みなさんもいつかお勉強すると思います。フツというグループの人がその混乱の中で殺される側だったツチのお母さんが傷ついてしまって子供を殺す側のフツの人に預けたという出来事があったそうです。フツの人もそんなややこしいことするなと回りから言われたんですがその傷ついたお母さんが「神のご加護を」と言った言葉が忘れられなくて預かってそのまま育てたということ。当時11歳の女の子が赤ちゃんを預かってその後難民キャンプなど大変なことがあったにも関わらず、いま41歳、そして預かった子供が30歳になってテレビのインタビューに答えていました。本当に地獄のような状況の中にも希望があったんだなあと思わされるドキュメンタリーでした。まさに、そのお母さんの一言、そして、11歳の子供の行動が、神様がいるということの証人だったんじゃないかと思うわけです。
この世の中に本当にそんな希望があるのか、と思うことがあるかもしれませんが、イエス様が復活されたこの世界には聖霊があり、わたしたちを応援してくれる、そう信じて生きる、そして証人としての役割を少しでもできるといいなと思います。おしまい。

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