見出し画像

認知症の母と沖縄移住 14 沖縄への生活適応 向いている人と向いていない人は

8泊9日の下見期間中、ほぼ毎晩のように通い詰めて、すっかり常連になった(と私たち夫婦が勝手に思い込んでいる)居酒屋「かよい船」で、隣のテーブルで面白い光景を見かけました。

常連客と思しき男性客二人組が、麦茶用のプラスチック容器に焼酎の原液を入れて、ペットボトルのミネラルウォーターをどばどばと継ぎ足し、マドラーでかき混ぜていたのです。

なるほど、こうして作り置きしておけば、グラスが空くたびに、いちいち水割りを作る必要はありません。

面白い飲み方ですね。そう声をかけると、「怠け者の飲み方さあ」という答えが返ってきて、そこから会話が始まりました。

移住のための下見に来ていると言うと、陽気で口数の多い方の男性がしばらく宙をにらんで沈黙したのち、「色々と大変だと思うけど、頑張って」と含みのある表現をされました。

20代で移住した後輩が会社にいて、南の島でのんびり人生を楽しめると思ったのに、ちっとものんびりできない、そうボヤいているのだと言います。

「のんびりできるわけないさあ。うちの会社、給料安いいさあ。給料安い会社は忙しい。そんなの当たり前さあ」

この男性はそう言って笑っていました。ご自身も大学進学で上京し、そのまま10年以上、東京で仕事をして、再び、ふるさとにUターン就職した経験の持ち主です。沖縄で転職したときは、給料が、東京の失業保険の受給額よりもはるかに安かったので、馬鹿馬鹿しくて働く気が失せかけたと振り返っておられました。

沖縄は言わずと知れた移住王国ですが、給料や生活のリズムだけでなく、様々な分野で理想と現実に打ちのめされて、あるいは現地での生活に適応できずに、内地に戻っていく移住者たちも少なくないのだとか。

そうした現実をかんがみてのエールだったのでしょう。そう言えば、義父も正月に家族で集まった折に笑いながら、こう言っていました。

「まあ、3年持つかやな」

移住というと、どうしても理想と現実の壁、挫折しての帰京というイメージが付きまとうようですが、私たち夫婦は適応については全く心配していません。

会社員時代は、2、3年おきに転勤があり、引っ越し回数は10回以上、南米の新興国でも暮らしたことがあり、会社をかなり早めに退職してからは、モロッコで現地の友人宅に1か月ホームステイさせてもらっています。

適応のこつが体に染み込んでいるだけでなく、周囲の転勤族や移住者を見ていて、新しい土地に適応できる人と、適応できない人の違い、その原因についてもおおよその見当が付いているからです。

あくまで私見ですが、移住先への適応力には、九つの要素が深く関わっているように思えます。

一つ目は、自然環境、天候との相性。気温や湿度の高低、日照時間の長短などです。私と妻は、曇りの日には頭が痛くなるので、日本海側のように冬場に鉛色の空が続く地域では、健康で快適に生活することができません。

私は、母譲りの冷え性なので、寒い地域は絶対に無理。妻は、暑い地域も寒い地域も両方苦手で、一年のうちで活動的になるのは春と秋だけですが、南米やモロッコでの生活を通じて、暑い日中は家の中で涼み、日が暮れてから活動するという現地の人たちのスタイルを身につけることができたので、沖縄でも同じ戦術で暑さをやり過ごす構えです。

コロナが落ち着いたら、母も沖縄の老人ホームに呼び寄せる計画です。母はもはや言葉を失い、意思表示はできなくなってしまいましたが、都内の下町のグループホームで、ちょっとのことでも寒い寒いと震えているので、沖縄の気候はきっと気に入ってくれるはずです。

とは言っても、施設の中はいつも冷房か暖房が効いているのが常なので、母が沖縄の気候を感じることができるのは、ベランダやテラスで日向ぼっこをさせてもらう時だけなのですが……。

私にとって嬉しいのは、花粉症がないことです。毎年1年のうちの1か月から1か月半は、鼻をぐずらせて集中力を乱しているので、花粉症のない沖縄の気候はありがたい限りです。

あとは80%を超える湿度とどうお付き合いするかという問題だけです。

二つ目は、現在の生活環境と、移住先の生活環境の近さです。都市部で生活している人がいきなり沖縄本島北部の国頭村や八重山の離島に移住すると、親切や助け合いと一緒に義務やしがらみまで引き受けることになり、十中八九、プライバシは丸裸になってしまうので、適応のハードルを上げることになります。

現在住んでいるのが都市部なら、那覇市の中心か、浦添市や宜野湾市のベッドタウンのマンションに、農村や漁村の集落なら、沖縄本島北部や離島の集落に、山奥の一軒家なら、同じように人里離れた場所に移住する方が、それだけ適応しやすくなります。

私たちが住んでいるのは東京の下町のマンションで、浦添市や宜野湾市のマンションであれば、プライバシーは程よく保たれ、地域の自治会への参加の縛りも緩く、それでいて近くにはスーパーやコンビニもあるので、移住による生活環境の落差はさほど感じられないはずです。

三つ目は、公共サービスや公共資産の恩恵、税金によるサービスがどれだけ充実しているかという問題です。

私たちの住んでいる都内の下町は図書館が充実しており、新刊書はビジネス書であれ、科学書であれ、哲学書であれ、何でも手に入ります。1回の貸し出し限度は30冊まで、予約は20冊までと、かなりの充実度合いです。私は1年間に約500冊の本を借りており、かなりの恩恵に預かっていました。

母の介護の面でもかなり恵まれています。要介護度の高い高齢者には、オムツ券が届き、オムツ代を補助してもらえます。

沖縄に移住すると、税収の問題もあって、ここまで至れり尽くせりのサービスは受けられなくなります。

沖縄では県立図書館であっても、東京の下町の図書館で予約していた本のうち、3から4割は収蔵されていませんでした。おまけに貸し出し限度は10冊、予約限度も10冊で、おまけに現在進行形で借りている図書まで予約冊数に含まれてしまうので、貸し出しはかなり制限されてしまいます。

母の介護、おむつ券の助成も同様です。東京の下町では、40歳以上で要介護度4以上であれば、住民税非課税の高齢者には1か月6000円分(助成額5400円)、課税の高齢者には3000円分(同2700円)のおむつ券が支給されていました。

しかし、私たちが沖縄で転入を検討している自治体では、介護用品の助成は、住民税非課税であることという収入条件が付きます。

これまで税金で賄われていたサービスは、実費で補填しなくてはならなくなります。私たちはその点は移住コストだと完全に割り切っていますが、人によっては不自由を感じるかもしれません。

四つ目と五つ目は、現地の文化、そして現地住民への敬意と感心です。いくら移住先の自然環境、青い空と碧の透き通った海に惚れ込んでいても、やがては慣れてしまい、感動は薄れていきます。

移住先の負の側面が見え始めてきた時、気持ちをつなぎとめてくれたり、現地のサポートを受けられるかどうかは、現地の文化や住民に敬意と関心を払えるかというところにかかっているような気がします。

私は、日本語が話せなくなった母とコミュニケーションを取るために、3年前から沖縄三線を習い始めており、沖縄の民謡に強い関心を抱いています。居酒屋「かよい船」で民謡に登場する魚の名前を耳にした時に、民謡の一節を口ずさむと、おかみさんも従業員も大喜びで、何日か後に民謡を吹き込んだカセットテープを再生用のレコーダーごとプレゼントしてもらいました。

また、私も妻も、大人になっても好奇心を失わなわず、小さなことにくよくよしない、沖縄の人たちのコミュニケーションスタイルに惹かれているので、この部分はクリアできると思っています。

六つ目は、現地住民との共通の趣味や関心です。学生時代、オーストラリアに留学していましたが、現地ではラグビーやクリケットが国民的スポーツだったのですが、私はそのどちらにも関心がありません。ラグビー経験のある日本人留学生が、現地の学生とラグビーの話題で盛り上がっているのを寂しげに眺めることしかできませんでした。

沖縄移住ではそうした心配はありません。私は、三線や沖縄民謡という共通項があり、妻はフラメンコ教室での踊りを通して、現地の人たちと交流できるからです。

七つ目は、経済的持続可能性。移住先でお金の心配をせずにのんびりと暮らせるだけの収入や資産があるかどうかです。せっかく、南国に移住しても、現地の企業に雇われて、かつかつの収入でやりくりしなくてはいけないという状況に陥れば、生活や自然環境を楽しむどころではありません。

八つ目は、自然に体を動かせる環境にあるかどうか。都会でサラリーマン生活を送っていると、よほど意識を高く持っていないと、通勤以外で体を動かす機会が少なくなりますが、50代、60代、70代と年を重ねるごとに、体を動かすのはどんどんおっくうになってきます。

母の認知症の進行具合を見ていて、つくづく実感しましたが、体を動かさないと、健康力だけでなく、生きる意欲まで低下してしまいます。

今回の移住では、車は所有しないと決めており、買い物には自転車、遠出はバスを利用することにしているので、自然と体を動かす環境に身を置くことができます。妻もこれまで週に1回だったフラメンコが週に2回に増えるので、運動へのモチベーションは以前よりも高くなっています。

最後は、想定外の出来事への耐性、寛容さです。沖縄の場合、公共交通機関が大幅に遅れたり、想定していたサービスが受けられなかったり、物事がきちんと決められた通りに進まないといったことが予想されます。

そうした不測の事態に腹を立てることなく、むしろ、トラブルを楽しんでしまえるくらいの余裕があるのかといったところに適応の鍵があります。

私たちは幸運にも、南米での暮らしで、想定外のトラブルのシャワーをたっぷりと浴び、忍耐力を鍛えられました。

レストランで注文を違えられるのは日常茶飯事、出張先の国によっては注文から配膳まで2時間待たされたこともあり、仕事の面談の予定がドタキャンされることも珍しくはありませんでした。

当初は、約束を破られるたびにカリカリしていましたが、そのうちに激しい胃痛と嘔吐に悩まされて、このままでは自分の体が持たないと悟り、出張する国の文化と習慣に合わせて、相手に対する期待値を上げ下げする術を身に付けました。

実際、沖縄移住後に不動産会社から、前の住民が利用した水道料金を請求されたことがありました。内覧の時の担当者は、案内する部屋の番号を間違えて、全く別の部屋に鍵を差し込んだり、入居予定日を1か月近くも間違えて書類を作成していたりといった凡ミスを繰り返していました。

仕事に対する関心は薄く、言われた通りの最低限の仕事を手っ取り早くこなして、早く遊びにいきたいわという態度がありありとうかがえました。おそらくは、おざなりに事務処理をして請求先を間違えたのだろうと察しがつきましたので、落ち着いて不動産会社の上司に連絡して、すぐに解決できました。

新興国に住んだり、長期旅行したりとした経験があると、自分の期待や予測と違った事態にも、穏やかな気持ちで対応できるので、移住先での適応には有利に働きます。

私たち夫婦の9項目の適応力を10点満点で表すと、次のようになります。

移住適応図2

これから移住を検討されている人は、ご自身の性格や経験に当てはめて、9項目の適応力がどのくらいあるかをグラフにしてみると、沖縄移住との相性がわかるかもしれません。お時間と関心があれば、是非、挑戦してみてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?