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短歌見聞録 #7

ダイイングメッセージを書く練習をさぼってる 後悔するのかも
/森 慎太郎「シャッフル・ボイス」on Twitter
https://twitter.com/Mori_QK/status/1469631127732518917?s=20&t=EZC0eczZ2OW2cmkehhsJ9A

「やらなくてはいけない」ことを「やらないでいる」時、つまりサボってる時というのは、「やらなくてはいけない」ということを忘れているのではない。忘れているなら、それはサボっているのではなくて、「やらなくてはいけない」と認識できていないのである。

だから、サボっているということは「やらなくてはいけない」ことがあること、そして、それを自分が「やらないでいる」ことの両方について、自覚しているということなのである。「やらなくてはいけない」と思いながら、「明日の自分は後悔するのかもな」と思いながら、それでも「やらないでいる」自分がいまここに存在していることを自覚している。

しかし、この歌が読み手の感情を揺さぶるのは、はたしてダイイングメッセージを書く練習というのは「やらなくてはいけない」ことなのか?ということだ。というかそもそも、ダイイングメッセージを書く練習というのはなんなのか?

ダイイングメッセージを書くことが「やらなくてはいけない」ことになる場合というのは、これを伝えずして死ぬに死にきれないというものを抱えながら死んでいく場合なわけで、たとえばそれは、自分を殺した犯人を伝えたいとか、決定的な証拠の在処とか、遺産の隠し場所とかだったりする。

やっぱり、これを伝えずして死ぬに死にきれないというものを抱えながら死んでいく場合というのは、大抵の場合では、望ましくないことなんだろうと思う。誰かに財産を取られたくないとか、仇を討ってほしいとか、負の感情に支配されるものだろう。

とはいえ、これを伝えずして死ぬに死にきれないというものを抱えているのに、ダイイングメッセージを書く練習をしていなかったばっかりに、それを伝えられずに死んでしまうというのは、もっと望ましくない。二重の望ましくないジレンマがそこに横たわっているのである。

それを「やらないでいる」自分は、あとの自分からして後悔する対象なのか、それとも後悔しない対象なのかというのは、今の段階ではわからない。それでも、「やらなくてはいけない」かもしれないことを「やらないでいる」自分が、いまここに存在していることを自覚しているという状況だけがある。その空間感、SPACYさが読み手をふんわりと宙に漂わせる。

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