フィジー

幸せな会社をつくるための秘訣

人事における究極の課題は、「人はなぜ働くのか?」だと思います。人はなぜ働くのでしょうか?

お金のため?

もちろんそれもあるでしょう。否定はできません。ただ、それだけのために働くのでしょうか?

多様な価値観が存在する現代において「はたらく」という行為の意味は昔とは違ってきていると思います。

「私はお金なんかいりません。それよりもプライベートを重視して生きていきたいんです。」

そんな人に「給料を上げるから、もっと働け」といっても、当然響きません。でも・・・「幸せになるために働いている。」これを否定できる人はいないのではないでしょうか。


世界一幸せな国Fijiでの調査

幸せとはなんだろう?そんな疑問を解決するヒントが得られないか、そんな想いから世界一幸せな国と言われるフィジーに行って、フィジー人の村で村長に交渉し、実際にフィジーの村で数日間過ごしてきました。

世界には、客観的幸福度調査と主観的幸福度調査、この2つの幸せに関する調査があります。簡単に説明すると客観的幸福度調査は、どれだけ恵まれた環境にいるかを調査するもので、主観的幸福度調査は、どれだけ幸せを感じているかを調査するものです。フィジーは客観的幸福度調査では、かなり下のランキングなのですが、主観的幸福度調査では毎年1位近辺にランキングされています。つまり最も幸せを感じている国民ということになります。

村ではたくさんの人に直接インタビューをして、幸せについて聞いてきました。

インタビューの様子

最初は疑心暗鬼だったが・・・

現地でインタビューをするまでは、村の様子を見て、「世界一幸せな国って本当なのかな?」という気持ちでした。
というのもフィジーはものすごく貧乏な国で、私が滞在させて頂いた村も正直恵まれた環境には見えませんでした。

台風が多い地域なのにも関わらずトタンで作られた貧弱な家。壊れた家が沢山あります。
私が泊まった家のシャワーは、壁から飛び出しているただのパイプでした。

私が滞在したFIJIの村

日本とは大きく違うそんな環境に戸惑いつつも、まずはインタビューをと思い、最初にインタビューをしたのは、滞在させて頂いている村長の家のおじさんでした。

「あなたは幸せですか?」
満面の笑みで「幸せだ」という回答が返ってきます。

色々と話をしていくと、なんとおじさんは今年奥さんと子供を事故で亡くしていると言います。それでも自信満々で「幸せだ」と話します。
奥さんと子供がいなくても家族がいる。村人がいる。だから幸せなんだと。

私の感覚ではあまり理解できません。

フィジーにはケレケレと呼ばれる文化があります。
ケレケレとは、フィジーにある独特の文化で、物やサービスを共有することを言います。
例えば、夜ご飯を作っていて醤油がなかったとします。そんな時フィジーでは近所の誰かに「醤油ちょうだい」といえば、当たり前に醤油を与える。そんなイメージです。たとえそれが2日、3日と続いたとしてもフィジーでは、恥ずかしい行為でもなければ、図々しい奴だなともなりません。

「ちょっと車貸して」「いいよ~」
こんなのもOKです。日本人だったらあり得ないですよね。

困っている人がいれば、当たり前に助ける。そんな文化が浸透しているフィジーの村では家族の概念がかなり日本より広く、村人はみんな家族といった感じです。

住めば都。居心地の良さ。

そんな村でインタビューをしながら、一夜を明かし、次の日。
今日も村人にインタビューをしようと外を歩いていると、すれ違う村人がみんな「Bula Tomo」と声を掛けてきます。
※Bula(ブラ)とは現地の言葉でこんにちは。

助け合いが当たり前の村では、コミュニティーにおける村人同士の結びつきも強く、情報が素早く伝播するのか、私の名前を呼んで笑顔で話しかけてきます。これがめちゃくちゃ居心地が良い。2日目にしてもう村人になった気分になります。

近所の子供たち

現地調査から得られた私の考え

①幸せはなるものではなく、もう既にあるもの

たった1つの村にはなりますが、私が100人以上の人に声をかけ、集めた意見から1つわかったことが、これです。

「100%幸せな状態で産まれてくるフィジー人」

「プラスマイナス0%の状態で産まれてくる日本人」

日本人は知らず知らずのうちに、あなたは頑張ったら幸せになれるよ、怠けていると不幸せになるよと教えられて育ちます。幸せになれるかどうかは自分次第なのです。

でもフィジー人は違います。生きてるだけで超ハッピー。人生いろんなことが起きるし、不幸なことも当然起こります。でもそんな環境でも周りを見渡せば幸せなことも沢山ある。

そう、フィジー人は幸せを見つける天才なんです。

②人との繋がりの大切さ

もう1つ幸せを感じる要素として重要だなと感じたのが、人との繋がりです。人はやはり1人では幸せを感じられない生き物だという事です。数式で表すと以下の数式で表せるような気がしました。

「幸福を感じる人との繋がり=人との繋がりの量×繋がりの太さ」

近年は、リアルな繋がりは希薄になり、SNS等で繋がりを広げる傾向にありますが、それも幸せを感じる要素にはなっているはずです。
上の数式で言えば人との繋がりの量が上がるイメージです。
一方、広い人間関係を好まず、少ない人数と深い関係性を構築することを好む方もいます。そういった方は、繋がりの太さに幸福度を感じているのではないかと思います。

フィジーは、人との繋がりの量も多く、繋がりの太さも太い。結果的に幸福度が最大化されているのではないかという結論に至りました。

かつての日本もそうだった!?

もう一つフィジーで現地調査をしている最中に私の頭に思い起こされる本が1冊ありました。

この本は、幕末から明治時代に日本に滞在した外国人が当時の日本人を観察した記録を調査し、分析した本です。
その本の中で、当時の外国人が日本に訪問してどのような感想を持ったかというと、現代の日本人からすると驚くほど意外な印象です。

オズボーン(イギリスの使節団)
「不機嫌でむっつりした顔にはひとつとて出会わなかったというが、これはほとんどの欧米人観察者の目に留まった当時の人々の特徴だった。」

ボーヴォワル(1860年代に世界一周旅行したフランス人)
「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。」

リンダウ(スイス通商調査団の団長)
日本人ほど愉快になり易い人種は殆どあるまい。良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。そして子供のように笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである。」

ベルク(オイレンブルク使節団)
「話し合うときには冗談と笑いが興を添える。日本人は生まれつきそういう気質があるのである。」

ディクソン(工学大学の教師を務めたイギリス人)
「ひとつの事実がたちどころに明白になる。つまり上機嫌な様子が行き渡っているのだ。群衆の間でこれほど目につくことはない。彼らは明らかに世の中の苦労をあまり気にしていないのだ。彼らは生活の厳しい現実に対して、ヨーロッパ人ほど敏感ではないらしい。西洋の都会の群衆によく見かける心労にひしがれた顔つきなど全く見られない。頭を丸めた老婆からきゃっきゃっと笑っている赤子に至るまで、彼ら群衆はにこやかに満ち足りている。彼ら老若男女を見ていると、世の中には悲哀など存在しないかに思われてくる。」

クライトナー(オーストリア陸軍中尉)
「日本人はおしなべて親切で愛想がよい。底抜けに陽気な住民は、子供じみた手前勝手な哄笑をよくするが、これは電流のごとく文字通りに伝播する。」

これを見て、現代の日本人はどう感じるでしょうか?私も現代日本を生きる日本人として、とても同じ国だとは思えません。たった150年くらいの間に何が日本を変えてしまったのでしょうか。

恵まれているかどうかは問題ではない

日本社会で生きていると、どうしてもお金を持っているか?容姿が良いか?学歴はどうか?どんな仕事をしているのか?に目が行きがちになります。

ただ、他人との比較を重視しすぎると、幸せはどんどん遠のいてしまいます。結局自分より恵まれている人は沢山いますから。結果的に自分の幸せに気付けないということになってしまいます。

大切なことは、今ある幸せに気付けるかどうかです。

人は「ニンジン🥕」では走らない

世の多くの人事制度は、モチベーションを上げさせるために「ニンジン」をぶら下げることばかりを考えているように思います。

「これだけ頑張ったら、こんなにご褒美がもらえるよ」

そうやって社員を鼓舞する。これって正しいようで、なんか嘘くさくないですか?

もちろん、やってもやらなくても一緒。頑張った人がバカを見る。そんな仕組みではいけないと思います。でも仕事の報酬が金銭的なモノに偏ってしまうと、それは果たして人を幸せにするための仕組みといえるのでしょうか。

幸せな会社をつくるための秘訣

良い会社の定義にもよるのかもしれませんが、良い会社の定義を「社員の幸福度を最大化する会社」だと定義するならば、本当に取り組まなければならないことはなんでしょうか?

  • 社員同士を競争させ、ノルマを課し、高い報酬を払うこと?

  • 人時生産性を追い求め、会議時間や雑談を限界まで減らすこと?

  • 残業が全くない会社をつくること?

働き方改革関連法が施行されてから、残業はダメなこと。効率化こそ正義。そんな雰囲気が社会全体に蔓延してきているような気がします。ここを追求していった先に幸せな会社はないような気がします。効率化を追い求め、残業時間を削減していった結果、働きやすい会社というよりも、働き心地の悪い会社になっていったという会社もあるのではないかと思います。
もちろんダラダラと非効率に働くことや、残業ばかりのブラック企業を擁護するつもりはありません。ただ、残業時間を減らすことがイコール良い会社をつくるということではないということです。

そんなことよりも、社員同士であってもしっかりと挨拶をする。困っていたら、お互い様の精神で助け合い、「ありがとう」が溢れる職場をつくる。
雑談したっていい。少しくらい残業したっていいじゃない。そんな中で生まれるコミュニケーションが社員同士の信頼関係を育むこともあると思います。

つまり幸せな会社をつくる秘訣は、なにも新しいものではなく、「人として当たり前のことを当たり前にする」ことだったのです。

環境づくり

では、人として当たり前のことを当たり前にするためには、職場として何ができるでしょうか?例えばということで、弊社で取り組んでいることをいくつか紹介させて頂きます。

①帰るときは全員とハイタッチ

弊社では、帰る時には残っている人全員のところに行き、目の前で挨拶して帰るということをルールにしています。コロナが流行る前は全員にハイタッチをして帰っていました。こうすることでちょっとしたコミュニケーションが生まれ、人間関係が良くなったと思います。

②ウィンセッション

弊社では、毎週月曜日に今週取り組むことを決める会議を、金曜日には1週間の振り返りをするための会議を開催しており、金曜日の会議のことをウィンセッションと呼んでいます。
この会議は、やることを決める月曜日の会議とは違い、企画等を行わない振り返りが中心の会議なので、重苦しい雰囲気ではなく、なるべく明るくフランクな雰囲気で実施したいということで、お菓子屋やジュース等を飲みながら実施しています。

社風をつくるのは、一朝一夕ではできません。
こういった地道な活動を通じてでしか社風は変わっていきません。そして最も大切なことは経営陣から率先して取り組むこと。
私たちも道半ばではありますが、人事に携わるものとして、皆が幸せになれる会社を目指していきたいと思います。

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