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小学校で、鉛筆かシャープペンシルかと言うことの議論について


どちらかひとつに絞る。又は、鉛筆にしなさいなど、筆記用具を規制するのはおかしい。むしろ逆で、「この字を書くためには、どのような筆記用具を使って書けばいいか考えてみましょう」とするのがいいと思うのです。甲骨文字とか見せて。


カリグラフィの英語の文字、龍門石窟の石に刻した文字、粘葉本和漢朗詠集の連綿のひらがな。私は、鉛筆でもシャーペンでもやれと言われればやります。が、カリグラフィーペン、やや硬めの大筆、精品写巻があれば、もっと書きやすいわけです。


万年筆一つとったって、jinhao、モンブラン、セーラー、パイロット、OHTOとあり、ペン先もいろいろあります。


さらに、シャープペンか鉛筆かということを議論していて、鉛筆がいいという人で、

「では、ノートは何がいいですか?」と聞くと、的確に答えられる人はかなり少ないです。ノートの紙質についての言及はなく、升目とか罫線の話になります。


筆記用具と、書かれるための文房具。これはセットとして語られなければならないのに。書くための一部の筆記用具だけであれこれ言うなんて、実にナンセンスです。


で、この話をすると必ず出てくるのが、生活指導系の話。経済的な差が出て困るとか、盗まれるとか。それは、別問題なのに。スマホを学校に持ち込ませないことの根っこと同じ。


自分と目的に合ったものを選ばせることを学ばせない。


私なんて学生たちがiPhone 11 Proなのに、iPhone8plusです。小筆だってDAISOの100円筆です。万年筆はjinhaoの200円ぐらいのを使ってますし。


自分に合っているものを、考えさせる。また、安くていいものを紹介する。規制するではなく。そっちの方が大事だと思います。


文房具で自分と目的に合ったものを選ぶことを考えさせないから、コンピュータもなんとなくこれかなあなんてことで選ぶことになる。そして、後で後悔する。


文房具なら数百円で済むけど、コンピュータはたまったもんじゃない。


自分の感じたこと考えたことが、適切に記録できる筆記用具は何か。これを考えさせるべきなのです。



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