父と話せないのに父と2人で過ごすことになった時の食事

私は,状況によって話すことができたりできなかったりする子だった。
病院に行かなかったので診断は受けていないが,場面緘黙(選択性緘黙)だったのではないかと思っている。

場面緘黙といえば,家庭では話すことができて学校では話すことができないというケースが多い。
しかし,私の場合は少し違っていて,家庭でも問題なく話せるわけではなかった。母や兄とは話すことができたが,父とは話すことができなかった。

それにもかかわらず,父と2人で過ごすことになってしまった時の話を書いてみようと思う。
どうでもいいけれども記憶に残っている緘黙エピソードである。

小学校一年生の夏休み,母が入院してしまったため,父と兄と3人で過ごしていた。
私は父と話せなかったので,兄を通してコミュニケーションをとっていた。
そんな中,兄が習い事の一泊二日の行事に行ってしまう予定があった。

その行事の直前に母のお見舞いに行った時には母に心配された。
「パパと2人で大丈夫?」
「大丈夫だよ!!しゃべれないけど!」
根拠のない自信に満ち溢れていた私はわけのわからない回答をした。
「そっか」
母もなぜか納得した。

そんな感じで何の不安も抱かずに父と2人で過ごす日を迎えた。

しかし,兄を見送った後,父と2人になってから気がついた。
話せないと意思疎通が困難ではないか!(当時はこんな語彙は持っていなかったけど)

この時点で気がついてもどうしようもなく,父と2人きりの一泊二日が始まってしまった。

印象に残っているのは,食事の時のことである。
他のことは記憶にないので,なんやかんやどうにかなっていたのかもしれない。

ごはんを食べようということで,マ〇ドナルドに行った。

注文の時点で第一の壁にぶつかった。
「何が良い?」と聞かれたが答えられない。
とりあえず『ピクルスが入ってないやつ!!!!』と全力で念を送った。

通じるわけがなく,
「ハンバーガーにする?チーズバーガーがいいかな?…」という感じで質問された。
父も面倒だろうにたくさん聞いてくれたし,私も頑張って一つ一つの質問にうなずきか首振りで答えた。
ピクルスが入っていないのがどれかわからないので,勘で回答していたけど。

最終的に父が「あ,ホットケーキにしよう」と言って決定した。
それまでの質問に出てきていなかったホットケーキ。
あの問答は何だったのか…
あんなにたくさん質問してくれていたのに,最後は勝手に決めてしまうのか…
謎。

ともあれ,ピクルスが入っていないので良かった。

ピクルス入ってない!わーい!と思ったのだが,食べようと思って第二の壁にぶつかった。

ホットケーキを切りたいが,動きが制限されていて切ることができない。
緘動(かんどう)と言われる身体を自由に動かせないという症状に当てはまるかもしれない。

「食べていいよ」と父は言ったが,どうしたものか…と困ってしまった。
私が固まっていると,「切ってあげようか」と言って父が切ってくれた。パパやさしい!
しかし,一切れが大きすぎた…
私は普段ホットケーキを食べるときには3×3cmくらいに切って食べていたのだが,父が切ってくれた一切れはその5倍くらいあった。

どうしようもないので,大きいままかぶりつくように食べた。
動きが制限されていて,ホットケーキを切ることはできないのに,かぶりつくことはできたのは不思議…。


後日,ホットケーキの一切れが大きかったことを母に報告したら,
「もっと細かくしてって言えば良かったんじゃない?」と言われた。

確かに…!でもその発想はなかった!と思った。

当時は自分が話せないことをしっかり認識できていなかったのだと思う。
話せなくて不便なことは度々あった気がするが,この頃はまだ悩んだりはしていなかった。

この食事の件については,ちょっと食べにくかったけどピクルスも入っていなかったし,私の中ではハッピーエンドということになっている。


――――
これは緘黙に限らずいろんな障害で当てはまると思うのだけど,メディア等で取り上げられるときには,つらい・苦しいというしんみりした話とか,大変だけど頑張っているみたいなキラキラした話が多い気がする。
私にもそういうエピソードもあるのだけど,そういうドラマチックな(?)話ばかりだと,特別なものとして扱われているようでなんだか距離を感じるというか,なんというか…
そんなわけで,話せない日常のどうでもいいエピソードを書いてみた。

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