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元被害者が小児性愛障害者と対峙して

「人生で、一番死に近付いた瞬間ってある?」

いつだったか、友人との他愛ない会話でそんな話をした。わたしには、そんな会話の拍子にふと思い出す出来事がある。

「お人形さん事件」

小学2年生の頃。

友人の住むアパートにある階段で、わたしは友人と人形遊びをしていた。すると後ろから「混ぜてよ」と声がした。

振り返ると、黄色いサングラスをかけた30代くらいの男がいた。

「お人形さんだよ」

男はわたしの手をぐいっと引っ張り、男のジーパンのチャックから飛び出ていた黒いものにわたしの手をあてがった。

その出来事があってからしばらく、わたしは小学校からの下校時に、男に待ち伏せされるようになった。出会ったら全速力で家に逃げ帰ったし、自宅のアパートの前や、自宅に続く階段に男がいるのを遠くから視認したときは、なるべくその道を通らないようにして帰っていた。

ある日、いつものように自宅のアパートの階段を上がっていると、「100円あげるからこっちにおいで」と後ろから声をかけられた。あの男だ。

わたしは知らぬ間に男につけられていた。いよいよ捕まってしまうかもしれない、ぞっと恐怖が身を包んだ。
全速力で家に逃げ帰った。「100円なら家にあるもん!」と叫びながら。

さすがに子どもながらに命の危険を感じ、このときはじめて、わたしは母に「変なおじさんに付きまとわれている」と相談した。

青ざめた母は警察に即通報し、警察が聞き取り調査に家にやってきた。警察はわたしの証言をもとに男の似顔絵を作成し、「変質者注意」という文言とともにポスターにして、近所中に貼り出してくれた。

ポスターが掲示されてからというもの、その男はすっかりわたしの前に姿を現さなくなった。

力の差・体格差がある人間から追いかけられる、という恐怖

人にこの話をすると「性的ないたずらかぁ、辛かったでしょう」と言われるが、幸い、いたずらが軽微だったこともあり、それ自体はあまりわたしの心に傷として残っていない。

むしろ、当時は男の行為が性的行為であることすら気づいていなかった。大人になって振り返ったときにはじめて、あれは人形ではなかったことに気がつき、衝撃を受けた。それは「性的に傷つけられた、許せない」という衝撃ではなく、記憶を辿っていたら10年越しに新事実に気づいた経験に対しての衝撃だ。それからわたしはこの事件を「お人形さん事件」と名付け、ネタとして友人にも話すようになった。

それよりずっと恐ろしかったのは、待ち伏せされ、追い回されたことだ。力の差や体格差で絶対に勝てないであろう相手から追い回される、恐怖。

あの時もし、「怖い」という感情を持てていなかったら。
あの時もし、母に相談してなかったら。
あの時もし、ついていってしまっていたら。
あの時もし、無理やり捕まえられてしまっていたら。

今でも、ときどき考えることがある。

AbemaPrime の「小児性愛障害」特集

私が毎週月曜日にレギュラー出演している AbemaTV の『AbemaPrime』というニュース番組で、「小児性愛障害」を取り上げた。

ゲストには、精神保健福祉士・社会福祉士の斉藤章佳さんに加えて、過去に子どもに対して性的に加害した経験を持つ加藤さんを迎えた。加藤さんは実名・顔出しでの出演だった。

加藤さんは、思春期前の男児を性対象とし、およそ10人の子どもたちに対して性的に加害した過去を持つ。

加藤さんが過去に子どもに対して行った行為は、決して肯定できない。わたしもいち被害者として、加藤さんを攻めたい気持ちもある。なぜなら、大人から子どもに対する性的な加害は、双方の合意を結び得ないものだからだ。わたしもそうだったが、性的な目覚めが来る前に、一方的に性対象とされるし、圧倒的な力の差や体格差を前にしたとき弱者は屈服せざるを得ない。

しかし同時に、加藤さんの苦しみも理解できる。加藤さんは苦しみを強調しているわけではなかったが、インタビューやお話を通じて、加藤さんが抱える葛藤が伝わってきた。小児性愛障害は完治するものではないため、日々衝動を抑えながら、例えば子どもが道を通っていたら目を背けるなどの工夫をして、自ら自首してから19年間、子どもに性的な加害をすることなく生活を続けているそうだ。

わたしはこうした一連のお話を伺っていて、言いようもない、加藤さんへの感謝のような気持ちが湧いてきた。

小児性愛障害者の抱える、自身の性的嗜好が他人を傷つけてしまう苦しさは計りしれない。そんななかで、根気強く治療を続け、再犯防止に取り組んでもらっているのは、とてもありがたい。

だって、正直なことを言ってしまえば、野放しは怖い……申し訳ないが、どうしてもそう感じてしまうのだ。

ゲストの精神保健福祉士で社会福祉士の斉藤さんによると、小児性愛障害者は、逮捕されてから専門治療につながるケースが多く、平均しておよそ14年かかると言われているそうだ。
14年。この間に一体何人の子どもが被害にあってしまうのだろうか。

加害してしまう前に、治療につながらないものなのだろうか……。つながってほしい……。

児童ポルノは規制すべきか

日本はコンテンツ大国であり、表現の自由は最大限守られるべきだ。しかし、児童ポルノについてはその範疇ではないかもしれない。(追記: 現在日本では、児童ポルノ禁止法によって児童ポルノは規制の対象とはされているものの、アニメや漫画は対象外になっている。)
なぜなら、斉藤さんによると「児童ポルノが加害行為のトリガーになったと言っている人が95%もいる」時点で、コンテンツによる被害者が存在するからだ。

加藤さんもその話を聞きながら、強く頷いていたのは印象的だった。加藤さんの場合も、男児ポルノが「自分は少年愛者だ」という自覚につながったそうだ。

確かに、児童ポルノを通して、児童ポルノがコンテンツになるほど市場があると知ることは、彼らの安堵につながるのかもしれない。それに、児童ポルノが性加害を受けた子どもの恐怖や苦しみを正確に描かいているとは考えづらいため、性加害を受ける子どもに対する誤った認識にもつながりかねない。

表現の自由を守ることを主眼に置くと、表現がもたらす影響を軽視してしまいがちだ。しかし、表現の自由を最大限守るためにも、被害者が生まれる表現をどう扱うかを考えていかねばならない。

「あのひともまた、苦しんでいるのかもしれない」という視点

わたしは番組中、「この場には被害者からの視点も必要なのではないか」と考え、過去の自分の経験を語ろうとしたところ、急に言葉に詰まり、涙が出てきた。すっかり癒えたものだと思っていたので、自分でも驚いた。改めて、あの時の恐怖は相当なものだったんだと再認識した。

自分と同じような、もしくは自分よりひどい被害を受ける子どもがいることを考えると、やはり許せるものではない。しかし一方で、小児性愛障害者を「気持ち悪い」で切り捨て、彼らが肩身の狭い世の中にすることや、彼らが今重ねている努力を無視することは、果たして本当に子どもへの被害を食い止めることにつながるのだろうかという疑問もある。

個人的には、彼らも苦しいのだという視点を持つこと、そしてどうすればよいのかわたしたちも考えることは、重要なのではないかと思う。

この特集は「加害者を出していいのか」という批判もあったが、そういう視点を得るためには有益だった。顔と実名を晒して、あえて矢面に立たれた加藤さんにも感謝したい。

より詳しい番組内容はこの記事にまとまっている。

また、放送日から4日間は AbemaTV で番組を見ることもできる。

彼らに対する嫌悪感にのまれてしまう前に、ぜひ一度考えてみてほしい。

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