【インタビュー】人生最期のときを共にする伴走者 ~ある訪問看護師による看取りとグリーフケア~②
前回までの記事はこちら。
最期まで“生きる”を見せる
みちこさんには忘れられない利用者Aさんがいる。
みちこさんと同年代の女性で、夫と3人の子どもがいて、とても仲が良い家族だった。
がんが転移して、余命2、3ヶ月のときに自宅に戻った。彼女は帰宅してからもやりたいことがたくさんあり、日々を楽しんでいたため、宣告を受けた2,3ヶ月はゆうに生き抜き、結局、一年延命した。
Aさんをとても愛していた夫は、彼女を失いたくなかった。わずかな可能性に賭けるため、抗がん剤を使用した。みちこさんは、抗がん剤治療の合間に、週一回自宅を訪問していた。といっても、Aさんが自分で動ける人だったため、彼女の話を聴くことがみちこさんの主な役割だった。
家族の願いも空しく、徐々に抗がん剤は効かなくなり、一縷の望みをかけた治験(未承認の薬)も効果が現れなかった。
いよいよもって今後どうしていくのかを主治医、看護師、Aさんと夫で話し合った。
彼女は、「恥ずかしいところを見せるかもしれないけれど、最期まで家で過ごしたい」とはっきりと言った。そのとき、夫は「でも、僕は1%でも奇跡を信じたいんです」と言って泣いた。
腹水が貯まってきている状態だったが、それでもなお、大好きな家族との時間を作りたかったAさんは、遊園地に行くなど、家族との時間を思い切り楽しんだ。その動画を見たみちこさんは、彼女のすごさに脱帽した。
その後も容赦なく腹水は溜まり、Aさんは横になることも難しくなった。
がん末期の症状の中に、口渇がある。症状によっては水分を摂ると吐いてしまうケースもあるため、その症状に苦しむ患者は多い。
Aさんに同じ症状があった。それにも関わらず、みちこさんのためにお茶とお菓子を用意して、「どうぞ」といつものように勧めてくれていた。今までは一緒にお茶を飲みながら話をしていたが、その時のAさんはもう飲めなかった。みちこさんは、彼女がのどが渇いているのに飲めないのが分かるため、お茶に手を付けられなかった。
みちこさんの息子とAさんの末っ子は同学年だったため、行事の時期がだいたい同じだった。
お互いの子どもの体育祭の日程が一緒だったが、Aさんは病状が進み、観に行くことができなかった。一方、みちこさんは非番で体育祭を観に行っていた。オンコール当番のスタッフがAさんの様子を見に行ったとき、Aさんは「みちこさん、息子さんの体育祭、観に行けたかな」と聞いた。スタッフからのメールでそれを知ったみちこさんは、彼女の優しさに号泣した。
亡くなる少し前、医師やスタッフで、「Aさんはご家族にメッセージを残せたのだろうか」という話になった。
夫が外出しているときに、Aさんに「ご家族にメッセージはある?」と聞くと、腹部が張って苦しい中、家族宛てに順番にメッセージを残していった。みちこさんは一言一句書き洩らさないように耳を澄ませて記録した。
Aさんはその3日後に息を引き取った。
みちこさんはきれいなメッセージカードに書き写し、亡くなったときにご家族に手紙を渡した。
しかし、後になって考えてみると、彼女はあえてその経験を自分にさせてくれたんだとみちこさんは思った。Aさんのことだから、すでにご家族宛てにメッセージを用意していたに違いない。改めてAさんに感謝の気持ちが湧いた。
Aさんが旅立つ日の夕方、みちこさんはしばらく職場で待機していたが、オンコール当番に任せて帰宅することにした。当番のスタッフに「あとはよろしくね」と言ってリュックを背負ったその瞬間に電話が鳴った。Aさんが亡くなった知らせだった。
みちこさんはすぐに彼女に会いに行った。
みちこさんが担当する利用者の方は、看取りが近くなったタイミング、もしくはもう亡くなるという瞬間に、必ずみちこさんを呼んでくれるため、お別れすることができている。
ご縁のあった利用者一人ひとりを大切にし、心を込めて丁寧にケアするみちこさんに、人は皆、最期に会いたいと思うのだろう。みちこさんの職場のスタッフは、皆同じような思いでやっているため、立ち会えることが多いという。
「ご主人はAさんを亡くした喪失感がすごく大きいんだけれど、末っ子の天真爛漫なお子さんをとても可愛がっていて、その成長を楽しみにしているの。ことあるごとにお子さんの成長の様子を書き綴って、写真を添付して送ってくれる。しかも、面白いもので子どもたちは同じ高校に進学した。つくづくご縁を感じる。彼女はそうやって人を繋いだんだと思う」
核家族化が進み、死を目の当たりにする人たちが今とても少ない。どんな過程で人が亡くなっていくのかを知らない人も多い。かくいう私もそうだ。
「死を忌み嫌わないでほしい。死は誰しもが体験する自然なこと。死はとても神々しくて、その人が最期まで生きるということを見せてくれているんだと知ってほしい。だから、看取りのことに興味を持ってくれたのはすごく嬉しい」
死への怖さというのは、知らないことに起因するのかもしれない。
死というものが身近にないから不透明でなんとなく怖いのだ。死は苦しみや痛みを伴うのではないか。そんな不安がある。
そう思ったときに、思い出したのは障害者のこと。
例えば、電車の中でぶつぶつと独り言を繰り返す人と出くわすと、いきなり何かされるのではないかという怖さがあり、いつでも逃げられるように少し距離を取りたくなった。
そんな私は、10年ほど前から小学校で支援員をするようになり、様々な障害のある子どもたちと出会った。彼らと共に過ごすことで、言葉があまり通じなくても、表情や態度で彼らの思いを読み取れるようになったり、どういうときに独り言が出るのかなどが分かるようになった。
すると、今まで感じていた障害者への怖れがなくなり、電車の中で避けることもなくなった。それだけでなく、話しかけられたときに会話を楽しむまでに変化した。
「たしかに、病気になると苦しみながら死ぬというイメージがある。昔は病名も伏せていたし、痛みのコントロールもできなかった。でも、今は薬で痛みのコントロールもできる。
ただ、神様は亡くなる少し前にちょっとだけ辛い時期を作っているんじゃないかと思うときがあるの。それは、ご家族がこれだけのことをやってあげたという証を作るために起こっているように感じている。だから、一瞬だけ薬が効かない瞬間が訪れる。でも、最期はみんな穏やかで安らかなお顔になるの」
看護師が行なうグリーフケア
亡くなった直後、故人のぬくもりを感じてもらうために、後ろから故人を抱きしめる「ハグ」という行為がある。ケースバイケースだが、そのような時間を設けることがある。その様子を見守るみちこさんには、故人が眠っているように見える。
「亡くなったら、故人を触ってはいけないように思う人がいるけれど、決してそんなことはない。グリーフケアの一つになっていると思う」
グリーフケアとは、身近な人との死別を経験し、悲嘆に暮れる人を、悲しみから立ち直れるように支援すること。
以前、私は、「亡くなったおばあちゃんに子や孫たちで死化粧をした」という島田彩さんの体験談をnoteで読んだ。
祖母が亡くなる少し前に、映画「おくりびと」を観た島田さんは、故人を送り出す様々な作法に強い魅力を感じていた。
「おばあちゃんのお化粧、してみたいな」という彼女の一言に、周りにいた親類が賛同し、いつも祖母が使っていた化粧道具を使って、葬儀屋にコツを教えてもらいながら、自分たちの手で化粧を施したという内容だった。
皆で生前の祖母の顔を思い浮かべながら丁寧に化粧をしたところ、いつも以上に可愛くなって弔問客にも好評だったという。
これもグリーフケアなのだろうと思った。
すると、みちこさんも、「私たち看護師もご家族と一緒に死化粧をしたり、身体をきれいに拭き清めたりする」と言った。
信頼している看護師と一緒に大切な故人の旅支度を行なえるのは、きっと残された家族にとって大きな癒しになるだろう。
また、亡くなってから四十九日が経った頃、みちこさんの事業所では利用者のご遺族に連絡をして、お花を持ってお線香をあげに行く。
先日、お線香をあげに行ったとき、遺族の女性が夫のことを語り出した。
初めてみちこさんがその男性宅を訪問した日、その男性は笑いながら自身のことをたくさん話した。人のストーリーを聴くのが好きで、聴くとその人の人柄が好きになってしまう好奇心旺盛なみちこさんは、その男性の話を聴くことがとても楽しかった。
実は、遺族の女性はそのときに久しぶりに夫の笑顔を見たのだという。
「あのときに久しぶりに夫の笑顔が見られたこと、『みちこさんは、次はいつ来るんだ』と言っていたことが、すごく嬉しかった」
と泣きながらみちこさんに伝えた。
みちこさんが引き出した夫の笑顔を思い出すこと自体が、遺族の女性のグリーフケアになっているということだろう。
それはみちこさんにとっても嬉しい言葉だった。こういう言葉が看護師の血となり肉となるとみちこさんは感じている。
訪問看護がスタートしてから、終末期、臨終期、看取り後まで、看護師が家族に行なうグリーフケアは継続的だ。揺れ動く思いに寄り添ってもらいながら、大切な人との別れのときを迎えることができるのはとても心強いことだろう。また、残された家族が今後歩んでいく人生の支えになるに違いない。
看護師が看取りの経験を家族と共有することが、より効果的なグリーフケアになっていると思われる。
死は人が必ず通る道。とはいえ、誰にとっても初めての体験となるため、予測不能でどうしても不安や怖さがつきまとう。2世代、3世代で暮らしていた時代はもっと死が身近にあり、ある程度の心構えがあった。核家族化が進んでいる今、死はほぼ未知の世界だ。
インタビューを終えてみて、患者が最期のその瞬間まで自分の人生を生き切る上で、こうしたみちこさんようなプロの伴走者の果たす役割は想像以上に大きいものだと知った。
それは周りの家族にとっても同様で、患者とその家族の中に看護師が入ることで、家族の関係性や生活環境がよりよいものとなり、残された日々を心地よく過ごせるようになる。
「今、とても便利な世の中になっているけれど、生まれるときと死ぬときは、人は血の通ったあたたかみのある手で触れられたい。それは時代が変わっても変わらないと思う。だから、看護師という職業はなくならない」
人が好きで、看護師の仕事をこよなく愛するみちこさんは、今日も心を通わせながら、ご縁のあった誰かの人生に伴走する。
(2020年10月24日、11月15日インタビュー)
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