健全な意識のもと、死の選択が過る。
好きだった人が最近、亡くなった。
その子は、笑顔が可愛くて
いつも周りを励ますような言葉をかける人だった。
ネットニュースで話題になるも、
明日になれば忘れ去られてしまう情報社会。
未だに私は悲しいままだけど、
そんな中でも日常生活が続いていく。
結局、なぜ彼女が死んでしまったのか
理由はわからないけれど、わたしも時々
死を意識してしまうことがある。
例えば、夢中に物事に取り組んで、成果物を生み出した時。人とたくさん会話できた時。夜風を浴びて一人でぼんやり帰っている時。綺麗な景色をみて感動した後。
突然その気持ちがやってくる。
辛いという感情に支配されて
死にたいという意識が湧くようなものではなく、
「あ、いま死にたいな」と思う。ただ、漠然に。
もし死を選択するなら遺書など残して
身辺整理をしてから、亡くなる人もいるかも知れない。
でも準備するようなものじゃなくて。
そんなことする人は、死んだ後の未来を想像してしまっているし、現実に未練たらたらなのではと(辛辣)
思ったことと感じたことは、似て非なるもの。
今の状態、この時が1番輝かしいから、
「永遠のものにしたい」という思考のもと
湧いてくる感情がなのかな。と、私は思った。
まぁまぁ、難しいことは考えず、
もう少し楽に過ごしていきたい今日この頃である。
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