amazonレビューと数量化の静かな浸透

 Twitterなどで書籍の作者がamazonレビューについてつぶやく光景をときおり目にしてきた。どのような話の流れで触れられるかといえば、その多くは、悪意のある低評価がつくことで営業的に妨害されるという憤りである。実際、内容に則しているならまだしも、まともに読んでもいないと思しき悪質なレビューや、内容の一部のみをあげつらった悪意を感じる投稿を目にすることは少なくない。世界最大手のECサイトとして強い影響力をもつamazonの商品サイトにおいて、発売間もなくレビュー数が少ない時点でそのようなレビューが早期に低評価で投稿されてしまえば、悪目立ちしてしまって商品のイメージが不当に低くなって売上に悪影響が及ぶことは十分に考えられ、販売する側が不満を抱くのももっともである。そのような状況から、発信者のなかにはレビューシステムが諸悪の根源であるとして、その存在意義自体を問う声もあった。

 この半年ほど、書籍のレビューをamazonとその他二つの読書記録サイトに投稿している。そのいずれにも必ず存在しているのが、レビュアーが商品(書籍)に対する評価を5段階で決定する機能である。この評価機能は現在ではありふれているが、私が知る限りではこれをメジャーにした媒体のひとつがamazonであり、普及し始めた当初はユーザーによる評価を購買の参考にできる点を画期的に感じた記憶がある。評価機能がこれほどまでに普及した理由については、もちろん先行して商品を利用したユーザーの意見が参考になるためであるが、そもそもレビューが投稿されなければ参考にすること自体ができない。しかしレビューを投稿する行為そのものには明確なメリットはない。にも関わらずamazonに多くのレビューが寄せられるのはなぜだろうか。

 その原因として思い当たるのが、文章によるレビューそのもの以上に、5点満点の星によって表示される評価機能である。対象が何であったとしても、評価を下せる立場に立つことが可能となることにはある種の快楽が生じるうえ、点数を付けるだけであれば投稿への障壁はかなり低い。amazonに多くのレビューが寄せられるのはユーザーが一方的に評価を決めることができるという機能を搭載することで、利用者のこのような心理をくすぐることに成功したからではないだろうか。amazonがレビュー自体よりも評価機能を優先していることは、5点満点の評価のみの投稿は可能であっても、採点しないレビューのみを投稿することは不可能であることからも汲み取れる。そして、このような経緯と動機があるとすれば、対象に向けてマウントを取る機会としてレビュー機能を利用する投稿者がある程度は現れても不思議ではない。

 現代の資本主義社会において、被雇用者本人も認めるような無意味な仕事が増殖する状況に目を向けた著書であるデヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』のなかには、ケアリング労働を代表に、定量化できないものまでをも数値化しようとする欲望が現代の社会状況を生み出す一因となっているという指摘がある。先に述べたような一般に評価機能が広く普及した現状についても、この「数量化への欲望」が駆動する現象の一環として見て取ることができる。そして手軽な採点機能が静かに深く浸透した事実は、多くの人々が数量化への誘惑に無自覚であることを示す現象の一片ではないだろうか。対象が何であれ、それがどのような意味を持つかは状況や誰が見るかによって全く異なるはずであり、同じ人間のなかであっても時を置いて印象が大きく覆ることも珍しくはないはずだ。しかし数量化があまりに自明視されると、誰もが知るはずのこの事実が見落とされやすくなる。レビューシステムをはじめとしたカジュアルな採点機能の静かな浸透は利便性の反面、本来は多面的な現実を軽視する、硬直した価値観を植え付ける危険をはらむのではないかと危惧している。

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