初めての海外旅行の香港でジャケット買いしたCDアルバムのあの歌手は誰だったのかを二二年後に調べるの巻 #3
二日目 〝日本を相対化する感覚〟を獲得
二日目の天気も曇りだったような気がする。
季節のせいなのか、この旅で青空を見た記憶が一度もない。
この日はオプショナルツアーに参加することにしていたのだ。
他に二人とあるが、別のホテルを回って参加者を拾い、合計六~八名になったと記憶する。
ツアーが始まった。
一部、読み取れない文字もあるが、どうやら香港島の裏まで回ったらしい。
有名なヴィクトリアピークも訪れたが、周囲は白一色で、これではどこにいても同じだと思った。
そしておそらく昼食がツアーに組み込まれていたのだろう。
かなりちゃんとしたレストランでコース料理が出てきた。
「あせって箸で突いて、春巻きが皿から跳んで行かないようにね!」
と、食べる前に陳さんが注意を与えていたのを覚えている。
料理はもちろん旨かったが、そして春巻きも跳んで行かなかったが、ここでの最大の収穫はチャーシューマンという食べ物を知ったことだ。
肉まんの具のかわりに、塗料をぬったかのように赤くて甘~いチャーシューが詰めてあるのだ。こんな食べ物があるのかと感激した。
「絹・漢方 押し売りまがいで感心せず」とあるが、バスの中で物販でもやっていたのだろうか。軽く憤慨したようだ。
その後、「横大仙」なる観光地へ行ったらしいが、まったく記憶がない。
他人に連れ回されるだけだと、旅も記憶に残らないものだ。
今グーグルマップに打ち込むと、嗇色園黄大仙廟なるスポットが確かにある。
道教寺院のようだが、アップされている写真を見ると、じわじわと記憶が蘇ってきた。確かにこのような庭園を歩いたような気がする。そしてここで、最終日のピックアップの時刻を確認するために、前日の何時に陳さん宛に電話を入れてくれ、と指示されたのだった。
ツアーは午後の早い時刻に終わったと思われる。
「Row」の意味が不明だが、ホテルの部屋に入れなかったらしい。
大家楽なる中華料理のファストフード店(このチェーンは今でも健在のようだ)に立ち寄った後に、部屋に入っている。
ホテルの北に九龍公園がある。
そこで何と、大家楽の直後にマクドナルドを買って食べているんだね。それにしても、なぜ隣りがフィリピン人と分かったのだろう?
ここからまた街歩きが始まる。
Jordanというのは漢字で書くと佐敦で、ホテルのある尖沙咀(チムサーチョイ)の次の地下鉄駅だ。
ここでスーパーマーケットに入り物色している。
なぜシャンプーを買う? ホテルに備え付けが無かったのだろうか。我ながら不可解な行動をしている。
女人街(ノイヤンガイ)を通った。まあ夜市だな。欲しい物はまったく無かったけれど、商品の物量に圧倒された。
豚を炒めたのをご飯の上に載せた料理を食べた。
これがやたらと旨かったのを覚えている。これで二〇〇円ちょっとということに感動したものだ。
MTRというのは地下鉄のことで、太子駅まで歩いて地下鉄に乗って海の下をくぐって香港島に行き上環(ションワン)の駅で降りたようだ。
いわゆるビジネス街だったと記憶する。高層ビルの途中階から上が霧に包まれて見えなかったことに感激している。
そして沢木耕太郎の『深夜特急』にも出てくるスターフェリーに乗ってホテルに戻った(このときは『深夜特急』を知らなかったけれど)。
ぼんやりと風に吹かれて、黒い海に映る両岸のネオンを眺める時間は素晴らしいものだった。
その他に次のようなことを書き留めている。
「竹の足場づくり」というのは、建設現場で建物の壁に沿って設ける足場が、日本では金属のパイプを使うところ、香港では竹の棒を利用していることに驚いたということだ。
私は初めて海外に来て、〝日本を相対化する〟という感覚を知った。この感覚は、一度海外に出てみなければ得られないものだと思う。
もちろん外国といっても同じ人間のやることだから、本質的なところはそう変わりはしないのだが、日本のやり方がすべてではないよ、別の方法もあるのだよ、ということを気づかせてくれることが、海外旅行をする意義の一つであると思うのだ。
この日のメモはそこで終わっている。
(次回に続く)
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