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チャイコフスキー交響曲第4番を分解する #1 「やっぱり、いい! いまだに、いい!」

 チャイコフスキーの4番が好きだ。

 この交響曲は、私にとって特別な曲である。
 なぜなら、初めて私に「クラシック音楽っていいかも!」と思わせてくれた作品だからだ。

 20代後半の一時期、私は、自分の趣味を拡張する試みをしていた。
 それまでに馴染みのなかったことを敢えてやってみて、自分の感性が何を受け入れ・何を受け入れないかの境界を知ろうという趣旨だったのではないかと思われる。
 その中に、例えば「ウィスキー」を飲んでみよう、があった。
「煙草」を吸ってみよう、があった。
「競輪」を見に行ってみよう、があった(拙著『賭けない競輪のススメ』参照)。
 その並びに「クラシック音楽」を聴いてみよう、があったのだ。

 最初に買ったのは、チャイコフスキーの交響曲全集のアルバムだった。
 3枚組以上で、こんなに分厚いCDケースがあるのかと思ったことを覚えている。
 しかし、なぜチャイコフスキーを選んだのかについては、記憶がない。
「初心者はチャイコフスキー」と、何かの本で読んだのかもしれない。
 特に準備もないまま聴いてみた。
 どれも悪くなかった。
 特に4番・5番・6番はいいな、と思った。
 けれど、その中で、いつしか何度も再生するようになっていたCDがある。
 それが、4番の入ったディスクだったのである。

 そんなことを思い出しながら、私は列車に揺られて、山深い渓谷の景色を見つめていた。
 久しぶりの旅に出ていた。
 長時間の移動になるため、あらかじめハードディスクのmp3ファイルのストックを物色して、少しでも目に留まったものをスマートフォンに詰め込んできたのだ。
 それを、ガラ空きのローカル線の車両の中で、耳にイヤホンを突っ込んで聴いていた。
 そして、聞き覚えのある4番の音の塊を頭蓋骨の中に響かせながら、
「やっぱり、いい! いまだに、いい!」
 と、ひとり車内で興奮してしまったのだ。

 自分は4番の何が気に入ったのだろうか?
 歌謡曲ではあり得ない息の長い旋律。
 漂うアンニュイ感。
 暗い感じで始まって、最後は明るく終わるところ。
 勝利感。カタルシス。
 例えば、映画「ロッキー」を見終わった後のような。――

 それで、これは一度、この曲としっかり向き合わねば、と思った。
 ただ受け身的に聴いて、いいなあ~と感想を吐いてるだけではダメだ。
 この曲をもっと自分のものにしなくてはならない。
 そのためには、曲の〝地図〟を作らなくてはならない。
 あそこを曲がったら、こんな風景が開けている。
 次の角を曲がったら、今度はこんな景色に切り替わる、と他人をガイドできるほどに。

 そのためには、曲を分解してみることである。
 何事も、分解して組み立て直してみると、仕組みがよく分かる。
 ところが、自分には音楽の素養がない。
 楽譜が読めない。
 分解してみると言ったって、歌謡曲で言うところの「Aメロ・Bメロ・サビ」の部分が分かるにとどまるだろう。
 しかし、それでもかまわない。
 分解したい欲求を抑えられないのである。
 それで今、これを行った結果を記録しているということなのだ。

 この記事の参考文献を示しておこう。

チャイコフスキー(作曲)、園部四郎(解説)「チャイコフスキー 交響曲第4番 ヘ短調 作品36(zen-on score)」全音楽譜出版社

(ただし、このスコアの「解説」は、残念ながら誤字も含まれているし、全般的に信頼性に欠けると感じたため、参考にはしたが、信頼はしていない。)

音楽之友社「チャイコフスキー(作曲家別名曲解説ライブラリー)」音楽之友社 2007年

 また、この記事では映像資料としてYouTubeの次の動画を参照する。
(広告が無いし、いい演奏だと思う。)

Tschaikowsky: 4. Sinfonie ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Carlos Miguel Prieto

 曲を分解してチャイコフスキーの〝魔法〟を解いてしまうことは、以後この作品を聴くことを、これまでよりも面白くなくしてしまうかもしれない。
 タネを知っている手品を見物するときのように。
 その意味では、神秘は神秘のまま、手を触れないでいた方がよいのかもしれない。
 しかし一方で、曲の造りを知ることで、この作品を今後より一層楽しめるようになるのでは? という予感もしている。

 それでは分解を始めよう。

(次回に続く)

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