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初めての海外旅行の香港でジャケット買いしたCDアルバムのあの歌手は誰だったのかを二二年後に調べるの巻 #1

 どんな人にとっても初めての海外体験というのは忘れがたいものであるに違いない。
 私の分についても書き残してシェアすることにしよう。
 時は今から二二年前の二〇〇〇年の二月。私の年齢は二〇歳。
 所は香港だ。
 行先を香港に決めたのには理由がある。
 理由の一。遠すぎないこと。
 初めての海外だからあまりに遠方だと不安になる(これには航空券が高すぎないことという裏面があったと思う)。
 理由の二。英語が通じること。
 英会話なら出来るというわけではまったくなかったけれど、何の単語も知らないよりはマシだと考えた。
 理由の三。邱永漢(きゅう・えいかん)のゆかりの地であること。
 当時の私は大学生であったが、邱永漢の本を片端から読むということをしていた。
 邱永漢といっても今となっては認知度が低いかもしれない。一九ニ四年生まれ、台湾に育ち、日本の東京帝国大学に留学、台湾に戻るも香港に亡命し、再び日本に来て作家となり直木賞を受賞、その後は渋谷にビルを建てて、株と不動産で大儲けしたという人物だ。別名「金儲けの神様」。
 その直木賞を受賞した小説のタイトルが、ズバリ『香港』なのだ。
 といっても私は氏の小説に感銘を受けたというわけではなく、『私は七七歳で死にたい 逆算の人生計画』などの自己啓発本を通じて(実際には八八歳で亡くなっている)、国境をまたいでたくましく生きてきた氏の人生観やおカネに対するスタンスなどを学んだということだ。今振り返ってみて、私の人生の実用面における氏の影響は大であったと言える。

 私はその旅で、現地で購入したCDアルバムを持ち帰っていた。
 旅の記念にしようと思ったのだ。
 といっても私は香港のアーティストのことなどまったく知らない。広東語も分からないから、いわゆるジャケット買いというやつだ。
 目をつぶってクジを引くようなものであるが、日本に戻って聴いてみると、意外にも自分好みの曲調の作品が多く、これは当たりだったなと思ったものだ。
 以来、私の香港の思い出はこのCDアルバムの曲とともにあった。これを聴くと、しっとりと雨に濡れた香港の街が思い出されてくるのだ。
 あれから二二年――。
 現代にはインターネットという武器がある。
 当時は何のことやらさっぱり分からなかったそのCDアルバムの歌い手や曲のことが、今ここで机の前のパソコンに向かってキーボードを叩くだけで、たちどころに判明するはずである。
 そこで、二二年ぶりの〝答え合わせ〟というわけではないが、記念に買ったそのCDアルバムの謎を解きながら、当時の旅を振り返ってみるのも悪くないと思ったのだ。

 当時インターネットはすでにあり大学でも使っていたが、eコマース(もはや死語か)はまだそれほど発達していなかったので、学生旅行といえばエイチ・アイ・エスの店舗を訪れる以外に方法を思いつかなかった。
 それで、JR中央線の窓越しにその存在を確認できる飯田橋店に申込に行ったと記憶する。
 海外旅行をしたことのない私は、紙のパンフレットを集めて調べて、パッケージ旅行に一人で参加したのだ。今なら絶対にやらないだろうけれど。
 それが二泊三日だったか三泊四日だったか、定かではない。
 旅の細部に関する記憶は薄い。旅のことを後で文章に起こした記憶もない。
 けれど、初めて外国を訪れたときのあの圧倒されるような体験を何か書き残しておかずにはいられなかったはずだ。
 そこで個人的な思い出の品を詰めてある段ボール箱を久しぶりにあさってみたら、わずかながらではあるが、旅の記録が出てきた。ポケットサイズの手帳の見開き三ページに、鉛筆書きのメモが残されていたのだ。
 ちなみに当時の私は〝旅の光景は心に刻みつける派〟を自認していたので、写真の類はいっさい残っていない。スマートフォンが登場する前の時代だ(調べてみたらiPhoneが出たのが七年後の二〇〇七年)。写真撮影機能のある携帯電話(ガラケー)も持っていなかったと思われる。
 今からすれば富士フイルムの「写ルンです」くらい持って行けばよかったなと思わなくもないが、仕方がない。見開き三ページの手書きメモをもとにして、あの時の体験を蘇らせてみようと思う。

(次回に続く)

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